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Science Junior High

空気キューの方がPよりも湿度が高い。という意味が理解できません!😭

となっているのはなぜか,簡単に書け。 次に,<実験>を行ったところ, <結果>のようになった。 <実験> (1) 水槽を用意し, 中央に板で仕切りをした。 (2) 図2のように, 仕切りをした空間のそれぞれを温度 の異なる空気P, Qで満たした。 また, 空気Pの方に は線香の煙を入れて,どちらの側にもふたをした。 して吹き, 大雪をもたらす。 日本海側の地域に吹く風が湿った風 日本列島 水蒸気を ふくんだ と脈にあたりそこで吸水するからっ 風が北西か40分い (3) 仕切りの板を静かに上へ引き上げていき, 空気の動 きを観察した。 <結果> 図3のように,空気Pが空気Qの下へもぐり込むよう に動いていく様子が見られた。 このとき, 空気PとQは すぐには混じり合わずに, 境の面ができた。 ア イ ウエ <実験>での空気PとQの温度の関係 空気Pの方がQよりも温度が高い。 空気Pの方がQよりも温度が高い。 空気Qの方がPよりも温度が高い。 空気Qの方がPよりも温度が高い。 T I 図2 ふた -6- 水槽 図3 空気P + 線香の煙 [問4] <結果>で見られた空気の動きは,図1のAに見られる2種類の前線のうち、いずれかの前 線のでき方を表している。 <実験>での空気PとQの温度の関係と, <結果>での空気の動きに よってできる前線とを組み合わせたものとして適切なのは、次の表のア~エのうちではどれか。 空気P + 線香の煙 <結果>での空気の動きに よってできる前線 板 温暖前線 寒冷前線 温暖前線 寒冷前線 空気Q 空気Q 53

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Science Junior High

[3]の問題が全部分からなかったです

なさ 2② (R3 北海道改) <8点×5> ③ 中和と沈殿 が40cm入っているビーカーBを用意し, BTB溶液を加えるとどちらも 図のように, うすい硫酸が40cm入っているビーカーA とうすい塩酸 電流計の針が振れた。 同様にBも調べたところ, 電流計の針が振れた。 次に、うすい水酸化バリウム水溶液を, Aに20cm,Bに30cm²加えビーカー 黄色になった。 Aに電極の先を入れて電流が流れるかどうか調べたところ, たところ,どちらも緑色になった。 緑色になったAとBで, と同様に電 流が流れるか調べたところ, Bだけ電流計の針が振れた。 1 (1) ラスに1滴取り、水を蒸発させたところ, 白い粉末が残った。 たところ、 何も残らなかった。 同様に, 2②のBの水溶液を別のスライドガ 3 ② のAの水溶液のうわずみをスライドガラスに1滴取り、水を蒸発させ (71) 次の式は、下線部のときの反応を表したものである。( にあては まる化学式を答えなさい。 ( ① ) +2(②)→(③) ヒント (12) 次の文について、①の{ }にあてはまるものを,ア, イから選び, ( ②にあてはまる内容を答えなさい。 ②でビーカーAの水溶液に電流が流れなかったのは,生じた塩がほとん ど水に①{ア とけてイとけず}, 水溶液中に( ② )からである。 酸性の水溶液の性質だね。 と といえる。 } 電源装置 + ステンレス (2) (2) 電流計

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Japanese Junior High

この文章の四角Cには「かわず」という言葉が入るんですが、なぜかわずなのか教えて欲しいです🙇‍♀️

あとの問い! 砂漠は私たちの住む日本の風土の反対の極と言ってもいいであろう。稀辻哲郎はあの有名な『風土』という書物の中で、世界の風土 をモンスーン型、牧場型、砂漠型の三つに分け、砂漠型を私たちの住むモンスーン型風土の対極に置いた。そして、モンスーン型の日 本人がインド洋を抜けてアラビア半島にたどりついたときの衝撃を記している。その衝撃とは、「人間いたるところに青山あり」など と考えているモンストン型日本人が、どこをどう見回しても青山など見あたらぬ乾ききった風土に直面した驚きだと言う。 *じんかん せいざん たしかに、砂漠は、青山的な私にとって衝撃そのものだった。そこにあるのはただ砂と空だけなのだから。けれど、そうした砂の世 界に何日か身を置いてみると、 砂は私に何事かをささやきはじめた。そして、不思議なことに、今度は自分が住んでいるモン スーン型の日本の風土や、そこにくり広げられている生活が〝世界〟のように思えてくるのである。 B 砂漠には何もない。何もないということが当然のようになってくると、逆に、なぜ日本の生活にはあんなにもたくさんのものがある のか、奇妙に思えてくる。あんなに多くのものに取り巻かれなければ暮らしていけないのだろうか、と。 それらのものは、 全部余計なものではないのか。余計なものに取り巻かれて暮らしているから、余計な心配ばかりが増え、肝心の生きる意味が見失われ てしまうのではないか・・・・・・。しかし、待てよ、と私は考える。生きていくのに必要なものだけしかないということは、文化がないとい うことではないか。 生きていくうえに必要なもの、それを上回る余分のものこそが、実は文化ではないのか。文化とは、言ってみれば、 余計なものの集積なのではないか。だとすれば、砂漠を肯定することは、文化を否定することになりはしまいか・・・・・・。 それにしても――と私はさらに考え直す。私たちはあまりにも余分なものを抱えこみすぎているのではなかろうか。 余分なものこそ 文化にはちがいないが、さりとて、余分なもののすべてが文化であるわけもなかろう。 余分なものの中で、どれが意味があり、何が無 価値であるか、それをもう一度考え直す必要がありはしまいか……。 砂漠とは、こうした反省を私にもたらす世界である。砂漠は現代の文明社会に生きる人びとにとって、一種の鏡の国と言ってもいい ような気がする。 私は砂漠に身を置くたびに、ある探検家がしみじみともらした次の言葉をかみしめる。 「砂漠とは、そこへ入りこむ 先には心配で、そこから出て行くときにはなんの名残もない、そういう地域である。 砂漠には何もない。ただ、その人自身の反省だけ があるのだ」私は、砂漠に自分自身の姿を見に行くのである。 3. 砂漠は、私たち日本人が考えがちなロマンチックな場所ではけっしてない。王子さまとお姫さまが月の光を浴びながら銀色の砂の上 を行く――などというメルヘンの世界ではない。 昼と夜とで温度は激変し、一瞬のうちに砂嵐が天地をおおってしまう、そういうおよ である私は、こうした砂の世界に足を踏み入れたとたん、いつも後悔する。よりに 非情な世界である。日本という井の中の よって、なんでこんなところへ来てしまったのか! だが、その後悔は、やがて反省へ変わり、さらに希望へと移っていく。生きるこ とへの希望へ。 この意味で、砂漠こそ最もロマンチックな場所であり、メルヘンの世界だと私は思う。なぜなら、そうした"世界"へ行こうとす ることこそが、現代ではいちばんロマンチックな行為のように思われるからだ。 メルヘンの世界とは、さかさまの国のことである。だ とすれば、砂漠行こそ、まさしくメルヘンの国への旅ではないか。 もりもとてつろう (森本哲郎「砂漠への旅」<『すばらしき旅』所収〉より) *モンスーン型=季節風に支配される湿度の高い地域の風土。 (骨を埋める場所)があるのだから、広い世間に出て

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