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Geography Junior High

bの答えが人工的に卵から返した稚魚を放流とあったのですが、魚の卵を稚魚になるまで育て、放流するでは違いますかね??

ぞれ,図1中ので示したP つを,次のア~エから一つ選び 鉱石 ) 日本の近海は世界的な漁場と 上 の最西端である与那国島(北 分ごろである。 次のア~エの 59分) の2021年3月20日 で囲みなさい。 (アイウエ) I 午前8時48分 やいづ まくらざき 焼津, 枕崎の六つの漁 大阪府 (一般入学者選抜) (2021年)-55 している内容を, 日本列島に沿って流れる海流の名称を用いて, 簡潔に書きなさい。 日本の近海は豊かな漁場となっており、豊かな漁場の形成には海流が関係している。例え さんりく ば、三陸海岸の沖合には,(栗子) ことでできる潮境 (潮目) がみられ,また, 日本海 側から別の海流も流入している。それらの海流により,三陸海岸の沖合は世界有数の好漁場 となっている。 ③ 日本は漁業生産量がかつて世界一であった。 次の文は, 日本の漁業について述べたものであ |に当てはまる語を漢字7字で書きなさい。 また, 文中の ( ⑥ ) に入れるの る。 文中の に適している内容を,「卵」 「稚魚」の2語を用いて簡潔に書きなさい。 本日⑥ (art ・日本の漁業生産量は1980年代中ごろが最も多く、その後1990年代中ごろにかけて急速に減 少した。その背景には,1982 (昭和57)年に採択された国連海洋法条約にもとづいて② と呼ばれる海域を設ける国が増加し, 他国の漁業を規制するようになったことがある。 このよ うな状況の中, 日本では魚介類を 「とる漁業」 から 「育てる漁業」 への転換が図られてきた。 ・「育てる漁業」のうち、養殖漁業は魚などを出荷する大きさになるまでいけすなどで育てて漁 獲する漁業のことであり、 栽培漁業は ( ⑥ ) して, 自然の中で成長したものを漁獲 する漁業のことである on 25337 1 2 (3

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Japanese Junior High

漢詩で、こんな感じで説明されている部分は、原文・書き下し文でもなく、筆者の 説明文ということであっていますか?

春の眠りは、誰しも経験があるように、非常に気持ちのよいものです。寒くてつらい、長 かった冬も過ぎ、いよいよ春になったぞという喜びを、「暁を覚えず」、つまり、夜が明けた のも気づかないぬくぬくとした眠りで表しています。外はいい天気らしく、あちらでもこち らでも鳥の声が聞こえます。そういえば、ゆうべは「風雨」の音がしていたなあ、と回想し ます。花はいったいどれほど散ったことやら。 作者は寝 床の中にいて、明るくのどかな気分に浸っているのです。 作者の孟浩然は、故郷の鹿門山に自適の暮らしをして ろくもん いました。この詩はその頃のものでしょう。 季節の訪れ も気づかず、あくせくと過ごす俗人の世界に対して、悠 然と自然に溶け入った世界が歌われています。 5 このような、四句から成る漢詩を、絶句といいます。 短い詩型ですから、あれもこれも歌い込むことはできま せん。そこで、詩人は、ここぞという一点を切り取って 心の高まりや感動を表現します。その工夫の一つが、 「起承転結」という構成法です。 第一句は、歌い起こして、起句といいます。 起句が平凡だと詩は生きません。 「春暁」で ここち は、春の眠りの心地よさを、朝になったことに気づかないと表現するところに、詩人の発想 があります。第二句は承句といい、起句を承けてさらに展開します。第三句は転句で、場面 が転換します。「夜」「風雨」という語が暗い雰囲気をかもし出し、前半の明るい情景から一 変します。これが転換の妙味、読者に、おやっと思わせます。 最後は、全体を締めくくる結 旬です。 読者の眼前には、庭一面に散り敷いた花びらが、ぱっと広がります。花びらは雨に ぬれ、朝日を浴びていよいよ鮮やかです。転句が暗いだけによけい印象が強くなるのです。 そして、それが余韻となって、 春の朝の気分が漂います。見事な収束デ この構成法は、誰かが考え出したものではなく、 2 いにしえの心を訪ねる 163 春の朝 。 2 15 漢 ごん 漢床とこ ゆか 3 鹿門山 今の湖北省にある。 しちごん 絶句 一句が五文字のものを 言絶句、七文字のものを七言絶 句という。(1ページ「律詩に ついて」参照) ショウ (ギョウ) 日 あかつき 凡ポン 雰フン どこ 寝床 平俗寝 凡人 平凡 フン あかつき 暁 V

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Mathematics Junior High

解説お願いします!

えなさい わたしたちを揺さぶり動かす力をもちつづけてきた映像の世界が、ここにきて急速に、デジタル映像の世界へ 変わってきました。そのデジタル映像への転換は、思いがけないことに、いままで映像が日常的につくってきた、 わたしたちの物の見方、感じ方、考え方を変えていく方向を指しているように、わたしには思えます。 映像の世界にデジタル技術が導いたのは、驚くほどの大画面と、驚くほど精緻な映像がもたらした、新たな「風 景」の発見です。遠くの遠くまでも、細部の細部までも、きわめて鮮明な映像が感得させるのは、これまではずっと、 背景でしかなかった「風景」こそが、実はこの世界の主人公であるということです。 おおざっぱ 映像がわたしたちの物の見方、感じ方、考え方を動かすようになったのは、大雑把に言えば、二十世紀の百年 の時代です。モノクロからカラーへ、写真、映画、テレビ、ビデオとつづいてきた、アナログによる映像の世界 において、主人公だったのは、有名無名を問わずつねに人であり、人間が世界の主人公でした。 もっぱら人が世界の主人公としてとらえられてきた時代は、逆に言えば、人もまた「風景」の一部にほかなら ないということが忘れられてきた、そういう時代でもあります。そうしてそれは、アナログによる映像の世界で、 極端なまでに凝縮した部分に雄弁に語らせる、クローズアップという手法が多用されてきた、そういう時代です。 クローズアップされた人の映像は、ぬきさしならないほどわたしたちの物の見方、感じ方、考え方に影響をあ たえてきました。 ニュースでも、ドラマでも、映画でも、スポーツでも、あるいはごく個人的な写真やビデオでも、 まず求められてきたのは、つねに効果的なクローズアップの映像であり、忘れがたいクローズアップの映像が、 わたしたちの物の見方、感じ方、考え方にのこした影響は少なくありません。 そのクローズアップの魔術は、しかし、遠くの遠くまでも細部の細部までもきわめて鮮明なデジタルの映像で は、すでに全能ではなくなってきているのではないでしょうか。 クローズアップではなく、その逆に、たとえば空撮のように、「風景」全体をイッキョにとらえるときにもっ とも効果的な映像を、デジタル映像はもたらします。 そうして、「風景」 に対しての、広がりをもったきわめて 鮮明な感覚をよびさます力を、デジタル映像の視覚は秘めています。 まなざ 全体と細部を、同時に見わたすような、「風景」に対しての、広がりをもった鮮明な感覚をよびさますというのは、 しかし、実は、新しい技術の魔術というものなどではなくて、むしろ「風景」への眼差しを遠ざけてきたクロー ズアップの時代以前の視覚を、原初的なまなざしというものを、いまここに取り戻してゆくということだと、わ たし自身は思っています。 (長田弘「なつかしい時間」による) おさだ ひろし (注) ○ 精緻=きわめてくわしく細かいこと。 ○ 空撮 =空中から地上を撮影すること。

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Mathematics Junior High

解説お願いします!

えなさい わたしたちを揺さぶり動かす力をもちつづけてきた映像の世界が、ここにきて急速に、デジタル映像の世界へ 変わってきました。そのデジタル映像への転換は、思いがけないことに、いままで映像が日常的につくってきた、 わたしたちの物の見方、感じ方、考え方を変えていく方向を指しているように、わたしには思えます。 映像の世界にデジタル技術が導いたのは、驚くほどの大画面と、驚くほど精緻な映像がもたらした、新たな「風 景」の発見です。遠くの遠くまでも、細部の細部までも、きわめて鮮明な映像が感得させるのは、これまではずっと、 背景でしかなかった「風景」こそが、実はこの世界の主人公であるということです。 おおざっぱ 映像がわたしたちの物の見方、感じ方、考え方を動かすようになったのは、大雑把に言えば、二十世紀の百年 の時代です。モノクロからカラーへ、写真、映画、テレビ、ビデオとつづいてきた、アナログによる映像の世界 において、主人公だったのは、有名無名を問わずつねに人であり、人間が世界の主人公でした。 もっぱら人が世界の主人公としてとらえられてきた時代は、逆に言えば、人もまた「風景」の一部にほかなら ないということが忘れられてきた、そういう時代でもあります。そうしてそれは、アナログによる映像の世界で、 極端なまでに凝縮した部分に雄弁に語らせる、クローズアップという手法が多用されてきた、そういう時代です。 クローズアップされた人の映像は、ぬきさしならないほどわたしたちの物の見方、感じ方、考え方に影響をあ たえてきました。 ニュースでも、ドラマでも、映画でも、スポーツでも、あるいはごく個人的な写真やビデオでも、 まず求められてきたのは、つねに効果的なクローズアップの映像であり、忘れがたいクローズアップの映像が、 わたしたちの物の見方、感じ方、考え方にのこした影響は少なくありません。 そのクローズアップの魔術は、しかし、遠くの遠くまでも細部の細部までもきわめて鮮明なデジタルの映像で は、すでに全能ではなくなってきているのではないでしょうか。 クローズアップではなく、その逆に、たとえば空撮のように、「風景」全体をイッキョにとらえるときにもっ とも効果的な映像を、デジタル映像はもたらします。 そうして、「風景」 に対しての、広がりをもったきわめて 鮮明な感覚をよびさます力を、デジタル映像の視覚は秘めています。 まなざ 全体と細部を、同時に見わたすような、「風景」に対しての、広がりをもった鮮明な感覚をよびさますというのは、 しかし、実は、新しい技術の魔術というものなどではなくて、むしろ「風景」への眼差しを遠ざけてきたクロー ズアップの時代以前の視覚を、原初的なまなざしというものを、いまここに取り戻してゆくということだと、わ たし自身は思っています。 (長田弘「なつかしい時間」による) おさだ ひろし (注) ○ 精緻=きわめてくわしく細かいこと。 ○ 空撮 =空中から地上を撮影すること。

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