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World history Senior High

世界史 インド・東南アジア 【至急】提出する課題です!空欄で出してはいけないのですが答えが分からないところがたくさんあって、教えていただけないでしょうか。 量が多くて申し訳ありません。よろしくお願いします🙇‍♂️

インダス川中流域の(10) 地方を中心に展開したインド最古の文明インダス文明は、 インダス中流域の(1②) や下流域の(1③)が代表的な遺跡である。 バラモン教の根本聖典は(20)人が神々を賛美した賛歌集である。このうちインド 最古で、『アヴェスター』との共通性が見られる聖典が『(2②)』である。 ヴァルナの第2位に位置する階層(3①) は武士·貴族階層で、主に政治·軍事を担 当し、仏教を創始した(3@) やジャイナ教を創始した(3③)の出身階層である。 4 ヴァルナの第3位に位置する階層(4①) は一般農民·商人階層で、主に生産·商業 活動を担当した。また、第4位に位置する階層 (4②) は征服された(4③) 系で、主 に隷属農民として扱われた。 (50)朝の創始者(5②)は、アレクサンドロス大王の侵入に乗じて(5③) 朝を 打倒した。さらにギリシア人勢力を駆逐して西北インド·アフガニスタンを統一した(5 の朝は中国では「華氏城」の名で知られる(5@)に都を置いた。 6 インド統一をほぼ達成した(50)朝第 3代(6①) 王は、(6②) を理想として(6®) を実施し、磨崖碑·石柱碑を残した。王子マヒンダをインド東南部の島(6④) に派遣 1 2 3 5 して仏教を普及させ、 中国では「阿育王」の名で知られる。 (70)から自立したイラン系 (7②) 族は、インダス川中流に位置する (7③)を 都として(72)朝を創始した。この王朝は(7④) 王の時期に全盛期を迎えてローマ帝国 と交易を行った。 8 第(80)回仏典結集で(8②) 信仰をもとに(8③) の救済を目指した仏教の一派 (80)は、中央アジアを経由して中国 朝鮮·日本に伝来して広く信仰された。 バラモン出身の仏教学者 (9①)は中国名で(9②)と呼ばれるが、『中論』 を著して (80)の理論を確立した。 10 (72)朝期、(100) 文化の影響を受けたギリシア的要素の濃い美術 (102) 美術が (73)を中心に流行し、インドで (10③) が制作される契機となった。 11 (72)朝と同時期、 デカン高原で (110) 系の人々が(11②) 朝を創始した。この 王朝は海上貿易で栄えてローマ帝国の金貨が流入する一方、 東南アジアへの仏教数伝播に も貢献した。 12 ビハール地方で台頭して勢力を拡大し、 ガンジス川中流域を征服した (12①) は(5 の)に都を置き(12②) 朝を創始した。最盛期の(12③) の治世で (12④) 文学が 栄えたこの王朝の下では、 仏教学院 (12⑤) も建立された。 その後、(12⑥) の侵入 を受け衰退した。 13(122)朝期、 北インドでは (13①) に各地の民間信仰が融合して (13②) が成立し た。この新宗教は (13③)· (13④) を中心とする多神教で、(1 3⑤) を神聖視し、 『(136)』『(13⑦)』『(13③)』にその教えがまとめられた。 7 9

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Japanese history Senior High

Aの最後にある 「⑤や④とともに②と争うことになった」の文は ②高句麗④加耶⑤百済が答えなのですが、新羅は争いに入ってなかったのか教えていただきたいです。

(3)次のA· Bの史料文を読んで, それぞれの史料に関する説明文の空欄(①~②)に適する語句を記せ。 A 百残,新羅は旧是属民なり。由来朝貢す。而るに倭,辛卵の年よりこのかた, 海を渡りて百残を破 り新羅を口口し, 以て臣民と為す。六年丙申を以て, 王射ら水軍を率る, 残国を討科す。 ひゃくざん もとこれ ゆらい しか しんぼう もっ しんみん な へいしん みずか とう か 【説明文]史料の出典は(① )の碑文で, 倭国が( ② )と交戦したことが述べられている。朝鮮半島南部 の()資源を確保するために, ( ④ ) 諸国と密接な関係をもっていた倭国は, 4世紀後半に( ② )が 南下策を進めると, (⑤ )や(④ )とともに(② )と争うことになった。 しょうめい つかわ いわ ほうこく へんえん はん B 興死して弟武立つ。 …順帝の昇 明二年,使を遣して上表して日く, 「封国は偏遠にして, 藩を外に そでいみずか かっちゅう つらぬ ばっしょう ねいしょ いとま もうじん 作す。昔より祖禰射ら甲胃を撮き,山川を歌渉して寧処に違あらず。東は毛入を征すること五十五国。 ……」と。 (説明文]史料の出典は( ⑥ )で, 5世紀後半に倭の五王の一人である武が中国の南朝に( ⑦ )して倭王 と認められたこと, 倭国の王権が勢力を拡大して地方豪族たちを服属させたことが述べられている。埼 玉県の( )古墳出土の鉄剣銘と熊本県の(③ )古墳出土の鉄刀銘には, ともに「獲加多支園大王」と記 され,統治を助けた地方豪族名がそれぞれみられる。この大王は, 武であり, 「記紀」に記された( 0 ) にあたる。なお, 鉄剣と鉄刀の銘文は( @ )の使用を裏付けるものである。ヤマト政権のもとで, T仙面立書などの作成に当たったのは(1② )に組織された渡来人たちであった。 TI

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