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History Junior High

このしかくのぶぶんは、緊張がゆるまったか高まったかがはいるのですが、しかくの全部どれが緩まったか高まったか教えてください。

No Date 1.226-227 7/5(水) 冷戦後、世界はどんな状況になっているのだろう? (1) 冷戦の経過と終結 ・アメリカとソ連の対立により、資本主義と共産主義の2つの陣営に分かれる・・・・・・。 ○次のできごとを、冷戦が激しくなる方向と緩和する方向に分けてみよう。 □1948年 朝鮮半島をアメリカとソ連が南北にわけて占領 □1949年 ドイツが東西に分かれて独立 緊張緩和 1226~230 1950年代半ばから次第に緊張が緩和・ □1955年(アジア、アフリカ) 会議:植民地支配から独立した国々が平和共存を 訴える 育1962年(キューバ危機): キューバにソ連の核ミサイル基地が建設される →米ソ間の核戦争一歩手前まで発展! 解決後、緊張緩和が本格的に進む □1965年 1955年から続く(ベトナム)戦争にアメリカが本格的に介入 世界各地で反戦運動が高まる □1967年 西ヨーロッパ諸国がヨーロッパ共同体 (EC) を設立 一方で70年代前半には東ヨーロッパ諸国との関係を改善 □1973年 アメリカがベトナムから撤兵 →アジアにも緊張緩和が広まる □1979年 □1985年 ~冷戦の終結 ソ連がアフガニスタンに侵攻 東西両陣営の対立が再び激化! ソ連のゴルバチョフ書記長がアメリカなどの西側陣営と関係を改善 →国内の政治・経済の立て直しを目指す! (ベレストロイカ) (改革)(グラスノスチ(情報公開) □1989年 東ヨーロッパ諸国では民主化運動が高まり、共産党政権が次々倒れる 11月 ベルリンの壁崩壊 12月 (マルタ会談 ゴルバチョフ・ブッシュ 冷戦の終結を宣言! □1991年 ソ連解体→ロシア連邦やウクライナなどが独立

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Japanese classics Senior High

模試で古今著聞集を解いたのですが文章で出てくる位がよくわからないです。 中納言と右大弁は兼任できるのですか。 正三位と中納言はどちらの方が偉いのですか。 なぜ正三位になったら左大弁になれないのですか。 誰かお願いします😭😭

選択肢】 冒頭に「歌合せでは」とあって、歌合せの場合だけに限定してい が正しいとすると、「歌合せ」以外の場では歌の表現に注意しなくてもよいと になってしまおう。 ここでは、話題を「神の前で詠む和歌」に限定しているのが不適。【文章Ⅰ】 の前で詠む和歌」の作法は話題になっていない。 ②と同じく、話題を「歌合せ」に限定しているのが不適。 は⑩。 したように、【文章Ⅰ】の主題は、「和歌を詠むときには、その和歌の内容が の前に かもしれないので、その表現に注意しなければならない」ということであっ を踏まえて、浜の南の宮が焼けたことと、生徒Aの発言中の 南の宮作り改めてけり夜半の白雪」という表現は、本当は雪が降って浜の 段と違って見えるということを詠んだだけだけど」 とあることから解いてい る。 「浜の南の宮作り改めてけり夜半の白雪」は雪の降った翌朝の景色が普 と詠んだのだが、「作り改めてけり」が浜の南の宮が焼失して作り直すこ を暗示する表現になっていたために、本当に火事になってしまったという話 前の実綱の国の歌で述べたことを補強している。 以上を踏まえると、「浜 が近い将来作り直されることを暗示するような表現」が正解と判断される。 「涙の南の宮の改修は神の望みである」、③「浜の南の宮がどんな災害をも回避す ⑨「浜の南の宮の修理は順調に進行する」は、「文章Ⅰ】 の本文にそれと相当す 実守中納言は、宰相の中将でいらっしゃったが、東宮坊に勤めたことに対する賞で 正三位に昇進なさったので、 実綱は)左大弁になる順番を追い越されてしまった。「こ の歌のせいだろうか」と、当時の人々は噂しあっていたということだ。 本当に詩歌の道 はよくよく考えなければならないことである。昔もこのような例はたくさんあったので しょうか。 同じ広田神社)歌合せで、「社頭の雪」という題の歌) 女房の佐が詠みました 歌は、 今朝見ると、浜の南の宮を作り直してしまったのだなあ。 夜半の雪によって。 この歌が詠まれた)後、再び浜の南の宮は焼けておしまいになった。 これも歌の徴候 が現れたものだろうか。 あの実績の中納言は、弟の実房・実国などに官位を) 追い越されなさったときは、 どうして私たち一族は序列が乱れているのだろうか。 羨ましいのは(列を乱 さないで飛ぶ) 秋の雁たちだ。 このようにお読みになったのは、たいそう殊勝なことで、恨みはそのように深かっただ ろうが、誠信が、弟の斉信に追い越されて、目の前で悪行の報いで死後に苦悩の世界に 赴くことを心に決めて恨み死にをなさったのとは似ていないだろうか。 【文章】 斉信民部卿が宰相の当時、才能が人より) 優れていることによって、兄の誠信の君 を追い越して、 中納言におなりになったので、 誠信は、我が身の失態を忘れて、目の前 の恨みに耐えられないで口惜しいとお思いになったのだろうか、七日目の日に、恨み死 にでお亡くなりになった。 (誠信は) 手を握ってお亡くなりになったが、恨みの) 心が 強かったからだろうか、指の爪が、 みな甲へと突き抜けていたということだ。 弟に官位を追い越されることは、帝王や、臣下をはじめとして、その例は少なく ない。 直ちに、これほどまでのことがあるだろうか(いやない) と、 恐ろしく思えるこ 三条内大臣公教会のご子息である、 実綱中納言は、弟の君達である、 実房、 実国など に追い越されて、 どうして私たち一族はこのよう (に序列が乱れているのだろうか。羨ましいのは (列を乱さないで飛ぶ) 秋の雁たちだ。 などとお休みになったとかいうことも、実綱の) 恨みはたいそう深くお感じになって いたのだろうが、このようなこと(=誠信のように恨み死にをすることはなかった。 誠信が目の前の現世)における悪行の報いで死後に苦悩の世界に赴く報いを実感な とだ。 +2 ●現代語訳 【文章Ⅰ】 同じ(承安二年、この(二年前の住吉大社の)歌合せの行事を広田大明神が、海の 上から羨ましくお思いになっているということを、二、三人が同じように夢として見申 し上げた。 道因がそのことを聞いて、また(二年前と同じように)人々の歌を請い求め 歌合せを開催した。歌合せの題は、「社頭の雪」「海上の眺望」「述懐」が、このよう <= 人々の歌を請い求めての歌合せ〉であった。これ<=この歌合せ>も藤原俊成が判者を つとめた。「述懐」の歌に、二条中納言実綱卿が左大弁のとき、宰相の教長入道と歌合 の相手として組み合わせて、 のりなが 「位山を上る」という「上る」ではないが、位が上がれば人に追い越されてしま う我が身であるよ。(古歌に「最上川のぼればくだる」とあるが、私は) 最上川 を漕ぐ舟ではないのになあ。 その 実綱)は、四位・五位だった期間は重要な役職を経験することなく、弟たち二 人に位階を追い越されて哀れな境遇になっておられたが、仁安元年十一月八日、蔵 人の頭に任命されて、 同じ (仁安) 二年二月十一日、参議に就任して右大弁を兼任した。 同じ(仁安) 三年八月四日、従三位に就任した。 嘉応二年正月十八日、左大弁に転じた。 昔の哀れな境遇のとき)の恨みも解消するくらいに、このように次々と続いて昇進な さっていたのに、この歌<=「位山のぼればくだる..…」 の歌〉をお詠みになったのは どのようにお思いになったからだろうか。こうしている間に、同じ(承安) 三年正月六 さったというのは、本当につまらないことと思われる。 顕基中納言が、いつも「罪がないのに流罪になって)、配所の月を見たかったなあ」 とおっしゃっていた状況には(誠信の死に方は) 似ていらっしゃらなかった <=違って いらっしゃった〉。 実に適切な仏道に人を導いてくれる機縁となる物事に出合えていな がら、(誠信が命を落としてしまったのは、無意味なことではないか。 これだけではなく、寛算が死後悪霊となり (祟りをなしたことや)、清和天皇が、前 世で、法華経転読の功徳を自らの極楽往生のために用いないで、伴善男に対する復讐 のために用いることを誓って死んだ (こと) は、恨みが深いためである。 ともよしお ふくしゅう

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論議に逢ひ給ひたりける の部分の、論議に の、(に)は、どう訳せば良いでしょうか。  儀式の名前の下の(に)の訳し方がわかりません。

ふうていしょう 第3問 次の【文章Ⅰ】は、藤原俊成の歌論書『古来風躰抄』の一節である。また、【文章I】は、 は 葉』の一節で、「芹つみし・・・・」の歌が、一説として以下の故事に依っているということを述べたも 問い(問1~6)に答えよ。 (配点30) 【文章Ⅰ】 「ぎゃうぎぼさつ ちくわう (注1) けうま 行基菩薩、まだ若くおはしける時、智光法師に論義に逢ひ給ひたりけるを、智光少し驕 ひたりと思へる気色なりければ、歌を詠みかけられける。 (注2) まふくだ かたばかま 真福田が修行に出でし片袴我こそ縫ひしかその片袴 H きぶく かく言はれて、 「二生の人にこそおはしけれ」と、帰伏しにけり。この事は、行基菩薩の前の身 (注4) かしづ ひけれど、国の大領などいふものにやありけん。その家の娘のいみじく傅きけるが、かたちな わらは する女のありけるが、子に真福田といふ童ありけり。 十七、八ばかりなりけるが、その家の娘 よし ぬべくなりにける時に、母の女その由を問ひ聞きて、「我が子生きて給ひてんや」と油 さき

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