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Japanese Junior High

国語の古文の問題で係り結びの問題が分からないので教えて頂きたいです。解説もお願いいたします🙇‍♀️

e J ※ふりがなは現代かなづかいです。 【古文】 次の古文を読んで、あとの問いに答えなさい。 ぼくら ちゅうなごん 中納言、くらつまろにのたまはく、「燕は、いかなる時にか子 つばめ (つばめの子安貝を手に入れたがっている) 中納言が、 くらつまろにおっしゃるには と知りて、人をば上ぐべき」とのたまふ。くらつまろ申す (巣があるという調理場の屋根柱に)人を上げたらよいか 判断して ささ やう、「燕子うまむとする時は、尾を捧げて、七度めぐりてなむ さし上げて うみ落とすめる。(中略)そのり、子安貝は取 らせたまへ」と申す。中納言よろこびたまひて、 おのこ よろづの人にも知らせたまはで、みそかに寮にいまして、男ども だれにもお知らせにならないで ひそかに調理場においでになって 家来たち たけとり の中にまじりて、夜を昼になして取らしめたまふ。(「竹取物語」より) 夜と昼の区別なく お 2 【古文】次の古文を読んで、あと① かろ 大方、 [軽き者になりたれば、「 口が軽い者(と言われるよう)になると 大体に おいて せそ。かの者にな見せそ」などいひ 見せるな くちお るる、口惜しかるべし。 また、人の 残念であろう 聞えたるにつけても、「かれ離れ あの者が関わ についても るべし。しかれば、かたがた人の上 あれこれと 140 m 古文の内容を理解しよう 1 この古文では、どのような人 che や

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Science Junior High

この問題の答えは 緑色の部分 だったのですが、葉緑体 と答えても大丈夫ですか?

■令和2年度問題 RUSKO はち 1 光合成について調べるために, 鉢植えしたアサガオの、ふ入りの葉を使って実験を行った。 下の 内は,その実験レポートの一部である。 【手順】 じゅうぶん 図1のように,葉の一部を表裏ともにアルミニウムはく でおおい, 暗いところに一晩置いた後、 十分に光をあてる。 次に、図2のように, 茎から葉を切りとり, アルミニウム はくをはずして, あたためたエタノールにひたす。 最後に, エタノールから葉をとり出して水洗いし、 ヨウ素液につけ, $11 葉の色の変化を観察する。 【結果】 図2の葉の部分 ヨウ素液による葉の色の変化 A 青紫色になった。 B 変化しなかった。 C 変化しなかった。 D 変化しなかった。 図 1 緑色の部分 ふの部分 アルミニウムはく 図2 A: 光があたった緑色の部分 アルミニウム はくでおおって た部分 B:アルミニウムはくで おおわれていた 緑色の部分 C: 光があたった ふの部分 D : アルミニウムはくで おおわれていた ふの部分 【考察】 ○AとCの結果を比べると, 光合成を行うために は, (ア) が必要だとわかった。 ○イ[()()] の結果を比べると, 光合成を行うためには,光が必要だとわかった。

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Contemporary writings Senior High

【現代文】「自由」の本当の意味 イが正答なのですが、なぜウは間違いなのでしょうか? 「コミュニティが共同体として意思決定をなす際に前提となる一定の方 法」ってあってるとおもったんですけど、、、

823字 制限時間 8分 きよかず 9 「自由」の意味 鷲田清一 制限時間内に、次の文章を読んで後の問いに答えなさい。 せきがく たなかみちたろう あら 古代ギリシャ哲学の碩学、田中美知太郎は、個人の自由は、法の前の平等という政治的な自由がしっかり定着していてこそ 可能なのであって、そういう公的な自由のないところに私的な自由もないとしたうえで、次のように言う。「自由というもの 法の制約なしに追求する、いわゆる民主政治の末期になると、突然自由と正反対の変化が現われてくる」と。 何をしてもい いということは、何をしてもおなじということであり、どのみちいっしょというこの無関心(インディファレンス=無差異) によって、人の生き方は「気まぐれ」に、社会は「原則のない」ものに、なるというのである。 くり返すと、自由は、成員たちがそれぞれに別個の存在として認めあうコミュニティの存在を前提とする。そのコミュニティ はしかし、けっして一致団結を求めるものではなく、一定の法の下でそれぞれの考えを闘わせ、調整しつつ、共同体としての 意志決定をなす。そういう動的な装置として、「護らなければいつ失われてしまうかわからないようなもの」である。だから こそ、たえず入念にチェックし、また手入れと手直しをなす必要がある。 まも 17世紀フランスの思想家、パスカルが「正義」について書きとめた文章を読んでいると、「自由」のほんとうの意味があぶ。 り出されてくる。パスカルは、力のない正義は無力であり、正義のない力は圧制的だとしたうえで、残念ながら、正しい者に 力がなければ、強い者に従わざるをえないという。それはやむをえない 「必然」だと。 これを裏返していえば、弱い者に従う というのが、「必然」の反対、つまりは「自由」の本義だということになる。 英語のリバティを辞書で引くと、たいていの場合、「気前のよさ」が第一の意味として出てくる。 弱さに従う自由とは、ま さに気前のよさのことである。そしてこの気前のよさとは、じぶんの自由より先にまずは他者の自由を擁護するということで ある。そういう相互扶助の精神が充満しているところにしか、おそらくほんとうの自由はない。 *碩学・・・修めた学問が広く深いこと、またその人。 /2 m

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