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Contemporary writings Senior High

高階秀爾さんの『オブジェとイマージュ』において 右のページ16行目の「その最も平凡な、最も一般的な意味」とはどう言う意味ですか? 「しかしここでは」と言うことは「もちろん」以下の内容ではないと言うことですよね?

絵画とを決定的に分けるものなのである。 2 (現実の世界と深い関わり合いは持ちながら、現実の世界とはまったく別の、いわば実 で - 体を持たない「影」の世界としての絵画の特性;それを我々は「イマージュ」の世界と 1 イマージュ image (フランス語)。 呼ぶことにしたい。それに対し、先ほどから「実物」という言葉で表してきた現実のも N のの世界、それは「オブジェ」の世界と呼んでもよいものであろう。 2 2 オブジェobjet(フラー ンス語) 和ちろんイマージュとかオブジェという言葉は、人により、場合により、さまざまな 意味に使われる。現代美術においてオブジェといえば、普通、単にどこにでも転がって 3 ベルグソン Henri-Louis Bergson (1八五~1四1)。フランス の哲学者 4 サルトルJean-Paul Sartre(1504~一次0) 。 フランスの文学者,哲 いる「もの」ではなく、何らかの形で日常的価値を離れた造形的意味を持った「もの」 寸 けい じ じょうがく という特殊な存在を指す。また、ベルグソンやサルトルが、形而 上学ないしは心理学 の用語としてイマージュというとき、それは知覚の領域、ないしは想像力の領域におけ る特殊な存在を意味する。しかしここでは、オブジェもイマージュも、その最も平凡な、 最も一般的な意味で用いることとする。オブジェとは、その語源からも明らかなように、 我々の働きかけや運動に対して「投げ出されたもの」であり、我々を取り巻く外界のさ 5 ジャック·マリタン まざまの「対象」、「客観的存在」であり、ジャック·マリタンが「芸術と詩における創 Jacques Maritain(I<<) ~一聖三)。フランスの哲 学者。「芸術と詩にお ける創造的直観」は一 九五三年刊。 造的直観」の中で、芸術家の「自己」に対してその「自己」が働きかけるあらゆる存 o 在という意味で呼んだ文字どおりの「もの」の世界である。Cイマージュは、 ルネ·ユイ 6 ルネ·ユイグ René グが「見えるものとの対話」の中で二十世紀を「イマージュの文明」の時代と規定した Huyghe(150K~一九九モ)。 フランスの美術史家· 随筆家。「見えるもの との対話」は一九五五 ような意味での視覚的映像の世界であり、重さも、厚みも、質量も持たない二次元の色 と形の世界である。オブジェが人間の触覚的働きかけを受けとめるものとすれば、イマ 年刊。 ージュは人間の視覚的働きかけを受けとめるものであるといってもよい。 とすれば、我々人間は自己自身も含めて無数のオブジェのただ中にあって、それらの一 オブジェを主としてイマージュの形で把握している存在ということになる。もちろん、 っない。聴覚も、味 「オブジェを主として イマージュの形で把握 している」とは、どう いうことか。

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赤色の部分を参考にして、「脚」の持つ意味を教えていただきたいです

14:13 C@ 70% 安全ではありません- naka-h.ibk.ed.jp 0評論1| 18 19 ミロのヴィーナス ちに襲われるのだ。選ばれたどんなイメージも、既に述べたように、失われていること以 上の美しさを生み出すことができないのである。もし真の原形が発見され、そのことが疑 いようもなく僕に納得されたとしたら、僕は一種の怒りをもって、その真の原形を否認し 多なぜ「真の原形を否認 したい」のか。 たいと思うだろう、まさに、芸術というものの名において。 を ここで、別の意味で興味があることは、失われているものが、両腕以外の何ものかであっ てはならないということである。両腕でなく他の肉体の部分が失われていたとしたら、僕 がここで述べている感動は、恐らく生じなかったにちがいない。例えば、目が潰れていた り、鼻が欠けていたり、あるいは乳房がもぎとられていたりして、しかも両腕が損なわれ ずにきちんとついていたとしたら、そこには、生命の変幻自在な輝きなど、たぶんありえ なかったのである。 なぜ、失われたものが両腕でなければならないのか? 僕はここで、彫刻におけるトル oLミ> torso(rタ リア語)頭部、腕、脚 を持たない、開体だけ の彫像。 ソの美学などに近づこうとしているのではない。/腕というもの、もっと切り詰めて言えば、 手というものの人間存在における象徴的な意味について、注目しておきたいのである。そ れが最も深く、最も根源的に暗示しているものはなんだろうか? ここには、実体と象徴 のある程度の合致がもちろんあるわけだが、それは、世界との、他人との、あるいは自己

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問題提起の後は筆者の主張が来ると思うんですが,筆者の主張の部分ってどこですか?? 問題の答えになるのは根拠ですよね?

また、「たしかに」以外にも、もちろん」「なるほど」「むろん」なども譲歩の合図です。こちらも覚え ておいてくださいね。 Oと@は、反対の意見です。 は、主張の根拠です。 Cl「たしかに」「もちろん」「なるほど」「むろん」は、「譲歩」の合図である。 それに続く「しかし」などの逆接の接続表現の後に、「筆者の主張」が書かれている 次の文章を読んで、後の問いに答えよ。 日本人は修行が好きだ。歴史物語でも伝記物でも、努力した者が高く評価される。一種の因果応 報の思想かもしれない。高じて敗者にさえ独特の美学を見ようとする。むろん、それはそれで独自 -(劇作法)を生み出した。梶原一騎の劇画的世界などが典型だろう。私も決して 実践 かじわらいっ き 、のドラマツルギー 嫌いではない。が、野球や拳闘のみならず、この筋でいくと、雲術まで苦行をよしとするようになっ r> てしまう。(が、それはちょっとまずいのではないか。 スポーツや学間がある種の苦行を必要とするというのは真実だ。それは芸能でも同じであろう。 たしかに芸能で修行は絶対の条件であり、技は磨かれなければ到底見られたものではない。しかし 並兵術はどうであろうか。M術に修行が必要だろうか7的込提召(け手者の王述 たぶん、こんな疑問が出ること自体、私たちが芸術と芸能の区別があまりできていないことを示 しているのではないか。 はっきり言うが、芸術に技は必ずしも必要ではない。芸術に必要なのは、圧倒的に感性である。 (糖木野衣「感性は感動しない 美術の見方、批評の作法』より、 け 間 傍線部「それはちょっとまずいのではないか」とあるが、そのようにいえるのはなぜか。 次の選択肢O~@から最も適当なものを一つ選べ。 日本人は修行が好きで、努力した者が高く評価されるから。 芸能では技を磨くための修行は絶対の条件であるから。 芸術に必要なのは修行による技ではなく感性であるから。 まず、傍線部に指示語がありますから、指示内容をとらえましょう。 指示内容 芸術まで苦行をよしとするようになってしまう それは ちょっとまずいのではないか。 指示内容をとらえると、〈芸術まで苦 いる) こ!が 義キ麦れ3!! (が)

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