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Ethic Senior High

分からないので教えて欲しいです お願いします

いけない。物質文明、技術文明は確かに進歩してきたが、それは、言語を使った 学習と教育、記録による伝達によってどんどん蓄積されてきたからであって、 人一人の人間の脳が、毎世代、石器時代よりも進化して賢くなることによって進 歩してきたのではない。 それが何より証拠には、人類史における伝統的な生計活動である狩猟と採集で 現在も暮らしを立てている地域で生まれた人々でも、子供の頃から教育すれば、 パイロットにも脳外科医にもなる。一方、技術文明の恩恵を十二分に受けて暮ら している私たちのうち、コンピューターや飛行機を自分で造れる人が何人いるだ ろうか。私が飛行機に乗り、コンピューターを操って、百年前の人々にはできな かったような仕事をしても、それは、私自身の脳が百年前の人々よりも優れてい るからではないのである。 1 10 9可塑性 およそ五万年前までにできあがった、非常に可塑性に富む人類の脳が、一致団 結して知恵を蓄積してきた結果、こんな技術や社会ができた。しかし、この技術 内容積と生活環境の改変は、 あまりにも急速に起こったため、 類は、自らの脳 しまった。私たちは、理性によって原子力やロケットを利用するすべを開発した が、体や感覚はそんなものにはついていけないのである。 自在に できる ? 「こん とは、 未知への人間の挑戦と、その結果獲得した技術はすばらしい。しかし、私たち 10 は、ラップトップを抱えた「石器人」でもあるのだと、もう一度謙虚に認識する 必要があるだろう。 10ラップトッ top 小型軽 型パソコン 改変 変更

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Japanese Junior High

1.2枚目は問題文で3枚目が問いです。 答えはウなんですけど、なぜウになるか教えて欲しいです。 急ぎでお願いします!

狩猟採集民は、自然の造った動物や植物のおこぼれにあずかって生きている人々である。自然を意のままに制 御するとか、征服しようとかの考えは最初から考慮の外にある。自然は圧倒的に強く、畏怖する以外に仕方のな はな い対象である。人間より圧倒的に強く、畏怖する対象を神と呼ぶならば、自然物にはすべて神が宿っている。従 ってアニミズムは必然的に多神教的になる。 狩猟採集民が、自然の意味づけをアニミズム的なやり方で行ったのは、けだし当然であろう。そこでは自我も また、自然の中の神々とつながっており、死後の自我の平安と永続性は、このような自然観の下で保証された。 もちろん、このような自然観は、個々人がそのつど考えたものではない。言語や自然観は、ある集団に人間が 生まれついた時から、すでに与えられたものとしてある。すなわち、文化と伝統である。強固な文化と伝統の下 では、人はわざわざ、自己とは何かなどと考える必要はない。 文化と伝統に従うのは、心安らかなことであり、人々はこの中で成長し、老い、心安らかに死んでゆく。 ②よ ほどのことがない限り、これを引っくり返すのは難しい。 現代人の自然観は科学技術文明に支配されている。科学技術の中心思想はコントロールである。人々はこの思 想を忠実に生きている。しかし不幸にもこの思想は、死後の自我の平穏も存在も保証しないので、人々は刹那的 に生きざるを得ないのかも知れない。私がいくら「科学は錯覚である」(私は一九九三年に宝島社から同名の本 を出版した)と言っても、さしあたってどうしようもないのである。 何が人々の自然観を変えるのか。様々な要因を述べることができるだろうし、ある場合には無根拠に変わるの かも知れない。しかし、③技術の発明が少なくとも大きなきっかけになることはまちがいなさそうである。 狩猟採集民に起こった最初の重要な技術は、採集物の貯蔵技術である。 貯蔵技術は定住をうながす。大量の貯 蔵物を携帯して移動することは困難だからである。ひとたび定住すれば、食糧ばかりでなく、それ以外の財狩 猟道具、衣服、装飾具)を保持することも容易になるため、持つ者と持たざる者の格差が発生する。 定住は不平 等を産み出すのである。たくさんの貯蔵食糧と財を所有すれば、当然これらを管理する必要が生ずる。 ここに、 コントロールという思考が芽生える。 貯蔵技術の次に人間が発明したのは農耕技術である。農耕は自然との変革管理なしには行えない。 野原や森林 を切り拓いて、田や畑にする。田畑は放っておくと、原野に戻ろうとするから手入れをしなければならない。自 然のコントロールという思想は、ここに確かなものとなる。しかし、自然は簡単にコントロールできるものでは ない。洪水、ひでり、大地震。 これらは現在でも手に負えない。コントロールしたいが、コントロールできない 自然。農耕民は、自然をコントロールしたいという願望と、コントロール不能な自然とのギャップにはさまれ、 ④非定住狩猟採集民とは少し違った自然観をもつようになる。 定住・農耕は自然の上に立つ神の出現と関係があるように思う。関係があるというのは、もちろん、因果関係 があるという意味ではない。 ⑤定住・農耕は、自然の上に立つ神という考えを受け入れやすい精神状態を作った のではないかということである。 アニミズム的な考えでは、自然はそれ自体が神々であった。一方、自然の上に立つ神は、自然を創造し、自然 を制御する。 ⑥このような神は、自然に対する人々のコントロール願望の反映なのではないだろうか。自分たち が制御できない自然を神に託して、神を崇拝することで、自然を間接的にコントロールしたい。 アニミズムにはおそらく真理という観念はない。多数の神々すなわち自然は、自分勝手に好きなことをして、 人間を楽しませたり、困らせたり、殺したりする。人間もまた神々のネットワークの一部であり、死ねば神々と 同化する。 それに対し自然の上に立つ神では、神の行いと考えが自然現象を決定するわけだから、すなわち、これが真理

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定期考査の直しで、答えはイなんですけど、なぜいいになるかわかりますか? 急いでます。本当にお願いします

狩猟採集民は、自然の造った動物や植物のおこぼれにあずかって生きている人々である。自然を意のままに制 はな 御するとか、征服しようとかの考えは最初から考慮の外にある。自然は圧倒的に強く、畏怖する以外に仕方のな い対象である。人間より圧倒的に強く、畏怖する対象を神と呼ぶならば、自然物にはすべて神が宿っている。従 ってアニミズムは必然的に多神教的になる。 狩猟採集民が、自然の意味づけをアニミズム的なやり方で行ったのは、けだし当然であろう。 そこでは自我も また、自然の中の神々とつながっており、死後の自我の平安と永続性は、このような自然観の下で保証された。 もちろん、このような自然観は、個々人がそのつど考えたものではない。言語や自然観は、ある集団に人間が 生まれついた時から、すでに与えられたものとしてある。すなわち、文化と伝統である。強固な文化と伝統の下 では、人はわざわざ、自己とは何かなどと考える必要はない。 文化と伝統に従うのは、心安らかなことであり、人々はこの中で成長し、老い、心安らかに死んでゆく。 ②よ ほどのことがない限り、これを引っくり返すのは難しい。 現代人の自然観は科学技術文明に支配されている。科学技術の中心思想はコントロールである。人々はこの思 想を忠実に生きている。しかし不幸にもこの思想は、死後の自我の平穏も存在も保証しないので、人々は刹那的 に生きざるを得ないのかも知れない。私がいくら「科学は錯覚である」(私は一九九三年に宝島社から同名の本 を出版した)と言っても、さしあたってどうしようもないのである。 何が人々の自然観を変えるのか。 様々な要因を述べることができるだろうし、ある場合には無根拠に変わるの かも知れない。しかし、③技術の発明が少なくとも大きなきっかけになることはまちがいなさそうである。 狩猟採集民に起こった最初の重要な技術は、採集物の貯蔵技術である。貯蔵技術は定住をうながす。 大量の貯 蔵物を携帯して移動することは困難だからである。ひとたび定住すれば、食糧ばかりでなく、それ以外の財(狩 猟道具、衣服、装飾具)を保持することも容易になるため、持つ者と持たざる者の格差が発生する。 定住は不平 等を産み出すのである。たくさんの貯蔵食糧と財を所有すれば、当然これらを管理する必要が生ずる。ここに、 コントロールという思考が芽生える。 貯蔵技術の次に人間が発明したのは農耕技術である。農耕は自然との変革管理なしには行えない。 野原や森林 を切り拓いて、田や畑にする。田畑は放っておくと、原野に戻ろうとするから手入れをしなければならない。自 然のコントロールという思想は、ここに確かなものとなる。しかし、自然は簡単にコントロールできるものでは ない。洪水、ひでり、大地震。 これらは現在でも手に負えない。コントロールしたいが、コントロールできない 自然。農耕民は、自然をコントロールしたいという願望と、コントロール不能な自然とのギャップにはさまれ、 ⑨非定住狩猟採集民とは少し違った自然観をもつようになる。 定住・農耕は自然の上に立つ神の出現と関係があるように思う。関係があるというのは、もちろん、因果関係 があるという意味ではない。⑤定住・農耕は、自然の上に立つ神という考えを受け入れやすい精神状態を作った のではないかということである。 アニミズム的な考えでは、自然はそれ自体が神々であった。一方、自然の上に立つ神は、自然を創造し、自然 を制御する。 ⑥このような神は、自然に対する人々のコントロール願望の反映なのではないだろうか。自分たち が制御できない自然を神に託して、神を崇拝することで、自然を間接的にコントロールしたい。 アニミズムにはおそらく真理という観念はない。多数の神々すなわち自然は、自分勝手に好きなことをして、 同化する。 人間を楽しませたり、困らせたり、殺したりする。 人間もまた神々のネットワークの一部であり、死ねば神々と それに対し自然の上に立つ神では、神の行いと考えが自然現象を決定するわけだから、すなわち、これが真理

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特色の問題です。(神奈川独自) 教科のジャンルに特色がなかったので理科にしました。 ⭐︎がついている(イ)と(エ)の解説をして欲しいです。 答えはそれぞれ、9月と1.6.7です ※(ア)のbは⭐︎がついていますが、わかったので解説は必要ありません。

こよみ 問3 「四季」 についての文章を読み、 あとの各問いに答えなさい。 暦は、地球の自転をもとにした「日」, 月の公転をもとにした 「月」, 地球の公転 をもとにした「年」 など, いくつかの単位に分けられています。 古代の人々は、太陽の出没や周期的な月の満ち欠けなどが周期的に起こることに 気づき,これが 「日」 「月」 「年」の概念につながっていきました。 また, 生活の中 で季節の存在やそれにともなう自然現象の推移を感じ、その体験をもとに, ある程 度の時期を定めて農業や狩猟などの目安とするようになりました。 これが暦の起こ りであると考えられています。 暦は大きくわけて二つあります。 月の公転周期 (29.5306日) を基準とした「太陰 暦」と,地球の公転周期 (365.2422日) を基準とした 「太陽暦」 です。 太陰暦は, 新月から次の新月までを1か月として、1年を大の月 (30日)と小の月 ( 29 日)の6か月ずつとしているため, 1年が(a)日となって地球の公転周期との差が生 まれます。 このずれは10年後におよそ (b) 日となり, 暦と季節が合わなくなるとい う不都合が起こります。 例えば, 日本のような中緯度地域では,年々暦と季節がずれ ていき, お正月が今のような冬ではなく, 真夏にくるようなことになるのです。 太陽暦は, 1年を365日とし、それを12か月にわけたものですが, 地球の公転周期 とのずれが生じるため, 4年に一回、 1年が366日の閏年を設けています。 太陰暦, 太陽暦ともに不都合な点があり, それらが改良されて私たちが現在使って いる「グレゴリウス暦」 になりました。 グレゴリウス暦は太陽暦の一種で、基本的に 1年を365日とし, それを 12か月に分けるのは太陽暦と同じですが, 地球の公転周期 とのずれを補正するために下のような 《規則》 を加え, 暦をより精密にしています。 《規則》 ① 西暦が4で割り切れる年は閏年である。 ② ①の場合でも,西暦が100で割り切れる年は、閏年としない。 ③②の例外として, 西暦が400で割り切れる年は、閏年とする。 (7) (a)(b)にあてはまる整数をそれぞれ書きなさい。 354 イ) ある年の「太陰暦」と「太陽暦」 の1月1日が一致していたとする。 その年から10年 経つと、 「太陰暦」の1月1日は「太陽暦」の何月になるか。 整数で答えなさい。

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