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Japanese history Senior High

緊急です。どなたかお願いします

3. 幕府の良出と近代への道 143 142 6石川島に 7 )を設立、無精人を始制収容して職業訓練 6( 8 ):町費の節約分を町会所で遮用·積立一→飢艇·災害に備える 4: 底本·御家人対策 0 9 ):札差に旗本,御家人への貸金を放棄させる の法本,御家人に生活資金を賃金会所で低利貸付 2 伝統的な絵画 11 文人画(南西):文人·学者が描いた画風一明 .清の南宗画の影響 8 んじゅうぎ (5 ).( 6 )「十便十宜図」 (2) 山派:写生重視の画風→(7 )-「雪松図展風」「保津川図昇風」 3 西洋画 (5) 学間,思怒の統制 8 ):「西洋婦人図」 はずいャ D( 10 ):朱子学を正学とし翌堂学間所(のち官立の昌平坂学問所に発展)で 2 ( 9 ):「不忍准図」,平賀源内に学び、銅版画を創始 10 ):谷文晃に学ぶが、洋風画銅版画に転向,『浅間山図麻風、 (4) 秋出蘭面:秋田藩で生まれた和洋折奥の絵画 9 10 朱子学以外の謝義·研究を禁止→寛政の三博士 = 柴野票山·尾藤 二洲-岡田寒泉(のち古賀精星) 10 2出版統制令 の酒落本の( 11 ), 黄表紙の( 12 ), 出版元鳥屋重三郎の処罰 の( 13 )(「海国兵談:「三国通路図説』)の処罰 図版チェック 次の絵画の作者名A~Fを答えよ。 11 12 13 父習確認松平定信 徳川吉宗の孫にあたる松平定信は,商業資本をおさえ、本百姓を維持するため の政策を進めた。 A 「市川坂蔵」 【作者:(C )) 「弾琴美人」 「ポッピンを吹く女」 【作者:(A )1 【作者:(B)1 「史料チェック林子平の海防論 当世の俗習にて,異国船の入津ハ( 14 )に限たる事にて…… 当時( 14 )に厳項に石火矢の傷有て,却て安房。相模の海港に共備なし。 此半甚不審。創カに思へば江戸の日本橋より唐、阿歯陀迄境なしの水路也。 14 (史料名:「( 15 )』 15 「十便十宜図」 「雪松図扉風。 「史料チェック1寛政の改革への風刺 A 世の中に較ほどうるさきものはなし ぶんぶといふて夜もねられず B 白河の清きに魚のすみかねてもとの海りの出沼こひしき 問1 Bの白河は誰の政治を暗示したものか。( 16 ) 問2 Bの口沼は誰の政治を貯示したものか。( 17) 【作者:( D )】 【作者:(E )1 「西洋婦人図」 【作者:(F )】 16 の衰退と近代への道 17 寛政の改革 ト数o.237 3( 18 )(1789):光格大皇が父開院宮典仁級王に太上天皇の称号を願ろうとす るが、松平定信が拒否→武家伝奏の公家を処分(1793) 4 諸藩の改革:農村の復興,特産物生産の奨励,専売制,教育の充実など (1) 熊本藩:藩主( 19 )が殖産果業 租視軽減に努め,藩校時習館を設立 (2) 沢書:蓄主( 20 )が財致整理·殖産興業に努め、藩校興譲館を再興 (3 秋田藩:藩主( 21 )が直業の保護育成に努め,書校明徳館を設立 (1 )の打ちこわし(1787):全国規換の打ちこわし一天明の飢艇(1782~87) )の改革:I1代将軍( 3 )のとき、老中( 4 1 18 2( 2 )による改革 検約令 12; 農村復興 19 D出稼ぎの制限 20 の公金の貸付 21 5 ):飢隆に備えて社倉 義倉に来殻を蓄えさせる 鎮国の動揺)都 p.235-- 1 ロシアの接近と幕府の対応 1789年:国後島のアイメが蜂起→松前藩が鎮圧 (3) 都市政策 の豪商,両替商を勘定所御用達として幕府に登用 (の物価·米価の引下げ の人別改めを強化 D 6 ):正来をもたない者に資金を与えて農村に帰す 1792年:ロシアの(1 )が( 2 )に来航→( 3 )ら漂流民を届け,通商を 求める ※光太夫の休験談→桂川南周「北楼関略」 3 ページ2/4 T

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World history Senior High

中国が全くわかりません。 全部お願いします。 わかる方よろしくお願いします。 答え以外のコメントはしないでください。

2 [春秋 戦国時代/諸子百家] 前11世紀後半, てその地を治めさせ, 貢納と軍役の義務を課した。周王と諸侯のもとには, それぞ れ(2)大夫· 士からなる家臣団があり,彼らにも領地が与えられた。このような 政治体制を。封建制という。 前771年,西方から侵入した(③)によって都は陥落し周 は東方の(O)に遷都し, 時代は春秋 戦国時代に突入した。春秋時代のなかば,周 王の権威が衰えると, 斉の桓公, 晋の(⑤)などの覇者が会盟を主宰して(⑥)のス ローガンを掲げ, 一方長江流域の楚, 呉, (⑦)は王を自称して周王の権威を認めず ⑤ 覇を競った。戦国時代になると黄河流域の諸侯も王を称するようになり,斉 楚· 秦·()·韓鍵 超の七雄が並び立った。この間,開発の進展によって農業生産 が向上し,鉄製農具や(④)などの普及とあいまって,多数の自営農民が現れた。商 の 工業もさかんになり, 都市がうまれ, 遠隔地間の交易に従事する大商人が活躍した。列国は。富国強兵に 努め,君主の手足となって政治を支える官僚が必要となり, これを支える思想家が 登場した。春秋時代末期の。孔子は「仁」 を広く社会国家へ及ぼす徳治主義の政治 を主張した。孔子の教えを発展させた孟子は王朝交代を天の意志とする(①)の思想 や性善説を主張した。 これに対して荷子は性悪説を唱え社会的秩序の形成には人為 O 的な外的規範である 「(@)」 によるべきだと説いた。(®)を開祖とする学派は, 孔 子の説く「仁」を家族中心の差別的な愛として批判し, 血縁をこえた博愛と平和を 説いた。老子や荘子らの道家は儒家の教えを人為的なものとして政治の要諦は「道」 に従ってあるがままの状態に逆らわない(1④)にもとづくべきだと主張した。このほ か「法」によって国家統治すべきだとした法家や万物を陰陽の気で説明する(®)な ど多様な分野での思想学問が説かれた。 問1 文中の空欄の~⑤に適語を入れよ。 問2 下線部a~eについて次の各問いに答えよ。 周の武王に討たれたといわれる最後の股王は誰か, 漢字2字で記せ。 b これに対して, 秦の統一以後に確立された中央集権的な支配体制は何か。 c 韓·貌·超など, 山西 河南地方でおもに使用された, 農具の形をした青銅 の貨幣は何か。漢字2字で記せ。 d 秦の富国強兵策(変法)を推進した衛出身の宰相は誰か。 e 孔子の死後に弟子たちが編集した, 孔子と弟子たちの言行録の書名は何か。 (10 駒浮大学· 12 西南学院大学より作成) 2 周が股を倒す。周は都を(O)に定め一族や功臣を各地に封建し 問10 こうしん a たいふ 2② は しゃ かいめい かんたん 青銅の貨幣が流通し,斉の(10), 超の部郭などのような経済 (8 C 9 とくち e 10 2 ようてい 13) 14 15) 問2a b a C d えい e

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Contemporary sociology Senior High

「青年期と自己の形成」が全く分かりません。 わかるかた本当におねがいします!

4デカルトが到達した学問の第ー原理は,何ということばで示されるか、だ当で を 49カントは自律的で自由な主体のことを何とよんだか。 のま そ さゆこ まま2 45歴史は自由を本質とする「絶対精神」 により動くと考えた思想家は誰か。 き読 46)事物の発展は対立と統合の変化の過程だとする論理を何というか。 4D「最大多数の最大幸福」 を立法の原則と考えた功利主義思想家は維か。 のまごつな事自 48他者に危害を加えない限り、自由に幸福を追求できるとした原理は何か。 き し 11 49ハーバーマスが, 自由な討論の場で必要だとした理性を何というか。ささ けくいる大 50全体主義を選避けるため,公共空間での議論が必要だと説いた思想家は誰か。山題林 本 5)平均的で画一的な言動をとる人々のことを何というか。即朝の本日 の (半1 JS 1 5のキリスト教が価値創造を行わない人々を生んだと批判した思想家は誰か。」人食 S上 53自分自身を作るために社会に関わることを,サルトルは何とよんだか。 関 1 式年人共( 50強者に卑屈で, 弱者に徴慢な性格を, アドルノは何とよんだか。J場 , 以 いのと 上号宜部本 田現代人は自由から逃げようとしている。と指摘した思想家は誰か。 50現代人は同時代人の言動を行動基準にしている, と指摘した書籍は何か。 大さ自入 30も 巻 5Dガンディーの非暴力の基礎となっている,インドの伝統的思想は何か。 開家こ 天群 未 インドのコルカタに「死を待つ人々の家」を建てた修道女は誰か。ささ 実真二 59人間を「生きようとする生命に囲まれた生きようとする生命」ととらえたのは雑か。 、 60キング牧師が行った,黒人の権利獲得のための運動は何という運動か。 動 のる (8 61)古代日本において尊ばれた, 私心のない純真な心のことを何というか。 幹平育 6の日本のいたろところにいる神々を総称して何というか。 63仏教の力により国家の安泰と平安を祈願する思想を何というか。 ャト

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Contemporary writings Senior High

問4と問5の解説お願いします。 答えは④,①です。 わかる問題だけでも構いません。

0コ0コ ロロ同 のようなテーマが彼らにとっては全く「中立」に映らないだろうということです。もし私たちにとっ でその主題が「中立的」に見えるとしたら、それは私たちが「民主主義は当然のこと」という価値観 が普及した地域にいて、他の価値観をさほど想定せずに済んでいるからです。 理系が関わる例でも事情は変わりません。一九七○年代~八○年代の日本では、環境問題を研究テー ーマに選ぶ理系学生は民間企業での就職が大変になるといわれていました。マジョリティが環境問題」 に関心がなかった時代、敢えて環境に関心を持つことは「偏ったこと」とみなされかねなかったので」 す。現代ならこの感覚はむしろ逆でしょう。 「地球環境を気にかけること」も「民主主義を自明視すること」も、それぞれ一つの価値観であり、 政治的信念の一種です。ただ、その価値観がマジョリティにとって一般的になっている時代、地域で一 はそのことが目立たないだけです。 の うん。 もちろん、「テーマの選択が政治性を持つ」ことは仕方ないにしても、それは研究の過程に政治性が一 入り込むこととは違うのではないか、という指摘は可能です。 たとえば、公害問題や、歴史上の虐殺事件といった問題に対し、ある組織や人物にとって不利にな」 る証拠を隠蔽した上で論文を書いたとしたら、それは「政治的」かつ「党派的」なデータの隠蔽です し、研究不正に等しい行いです。 論争になりやすいのは逆のケース、すなわち証拠として用いる材料を広げる場合です。たとえば、 教育を受けた役所の人間が残した文書記録や、定量的に計測可能な証拠といった従来も用いられてい た判断材料だけではなく、知的障害をもつ人の数十年前の記憶や、コンピュータによるシミュレーシ ョンなど、確実さにおいて劣る要素を持ち込む場合、前者は「実証的」だが後者は違うとして、拒否」 されることがあります。そして、そのような不確かなものを研究の材料に使うのは、政治的な意図が あるからだと。キュウダンされたりするのです。 事例ごとに事情は違うので、一般化は困難なのですが、科学史を踏まえて私が思うのは、どちらか といえば、検証する対象を増やす方が、検証の厳密さを求めてそれを避けるよりは実りが多いのでは一 ないかということです。 1101八年現在、日本では過去の優生政策により障害者に対する強制的断種手術が行われたことが 問題視されていますが、これも最初は当事者の証言を真剣に聞き、証拠となる資料を探した歴史家の一 努力がありました。また、地球温暖化問題が前世紀半ば、最初に話題になったときには、それがシミ ユレーションに基づく推論であることが問題視されましたが、現在はそうした手法が科学的推論の一 (ahsg) つとして認知されています。 以上のことを踏まえるならば、むしろ、「複雑な対象を前にして、価値中立を掲げることが持ちうる 政治性」こそが念頭に置かれなければなりません。すなわち、マジョリティの価値観に浸っているた一 めに自らの政治性が自覚できていない状態のことを、「中立」という名で呼び変えていないかどうかを、 改めて問い直す必要があるでしよょう。 それに加えて、人間の理性の限界という問題もあります。実際、本人は真剣に研究をしている場合 でも、無意識のバイアスで、ある証拠を完全に見逃し、自分の論点を支持する証拠ばかり集めるとい うことがありうるからです。一世紀において、女性の知性が男性に劣るとの見解を出したいくつか の研究には、明らかにこのような傾向がみられました。 司寺に言えるのは、「学問は現実の対象に近づくほど不可避の政治性を帯びる」ということを踏まえ vそれでも「学問的方法論に根ざして言葉を紡ぐことの大切さです。物理学のような法則定立的な方一 AuDろ、歴史学のような個性記述的な方法にしろ、定量的な社会学のようにその中間的なものにし Lo、それは世界を認識する異なったやり方として、数世代にわたり様々なテストを生き残り、受け継 がれてきた人類の遺産なのです。

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Contemporary writings Senior High

答えは⑤です。 解説お願いします。

地球温暖化問題においては、問題が起きる前に手を打つ「予防原則」の立場から、気候変動条約や CO2削減といった様々な政策的 論が不確定なうちに政治が動き出した」との印象を抱き、研究の不備や政治的偏向を主張したりして (ト) ソチが動き出しました。 結果として、反対する人は「科学的な結 論争が続くことになったのです。 このような状況を否定的に捉えて、政治論争が起きるような学問はまともでない、政治的中立性が ないとの結論に飛んでいく人もいます。あるいはその逆で、科学的な検証を行って出した答えに反対 する人がいるなんて信じられない、 x ではないと叩く人もいます 私自身は、カントのように、論争の存在自体をY に捉える立場です。それも、彼よりは一歩踏 み込んで、ある学問が人間社会に関わる切実な対象を扱うほどに、その一Z な論争と、政治的論争 との間の境目が不明確になっていくのはやむを得ないし、だからこそ論争が必要だと思っています それは、人間の認識能力の不完全さと、対象の複雑さとが合わさったとき、何らかの政治性が生まれ てしまうことは避けがたいと考えているからでもあります(なお私は、「政治的(political)であるこ 」と「党派的 (partisan)であること」を区別しています。前者は「市民生活においてどの価値を優 先するか」ということ、後者は「誰の味方か」という人間関係的な側面のことです)。 完全に世界を認識し、記述できるシステムはありません。もしそ れ以外のものは

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