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Japanese Junior High

私の答え合ってますか?

1 ^の文章を読んで、あとの1~5の問いに答えなさい よく考えると当たり前だけど、服は農産物·畜産物であり石油である。もちろん原材料がと いうことだが、ふだん意識することはほとんどない それに気づかされる事件があった。数年前、インドやパキスタンで洪水が起き、中国でも干 ばつがあったのを覚えている人もいるだろう。ニュースはしばらくその災害の映像を流してい たが、外国のことだからみんなすぐに忘れてしまった。しかしその後、生地屋さんから困った 声で電話がかかってきた。「日本に糸が入ってこない!」と これらの国は綿の世界的な産地だ。この被害で収穫が減り、人口の多い自分の国の消費で精 いつぱい。輸出を制限してしまい、日本に入る綿が激減して、糸の値段が一時高騰した。あの 時僕らが着ているシャツや下着は、綿花の実からとれた農産物であり、ウールやシルクは、羊 や蚕を育てて作る畜産物なんだと、あらためて痛感した。デザインされた服はトレンドや美し いイメージで彩られ、おしゃれなお店に並んでいるから、ファッションと農業なんて全く関係 がないと思ってしまうけれど… 一食料危機」が危倶されて久しい。二〇五〇年には世界人口は九O億を突破すると言われて いる。 温暖化による気候変動や石油枯渇がそれに拍車をかける。もし「I」が足りなくな るなら、 もやはり危機だろう。「衣料危機」なんてまだ誰も言っていないが、それ 日 は食と同じレベルで人類の問題だ。人は服なしでは、生存できないのだから ところで日本の食料自給率は、なんとか六五(二〇1七年生産額)を保っている。それ に対して衣服の自給率をご存知だろうか? なんと二·八%(二〇一六年)である。つまり 九七·二%は外国製なのだ。それはまだ製品の話で、綿や麻やウールなど原材料の自給率は、 なんとほぼ○%である つまり日本は「衣食住」という切な生活の三つの基礎のうち、衣服を自分たちでまかなう 力をもはや全く持っていないのである。なぜかメディアもほとんど報道しないが、これは驚く べきことではないだろうか? 最初に書いた「綿が洪水で激減した話」は、一般の人にはほと んど知られていないけれど、日本の立ち位置の危うさを如実に示している。 先日知り合いのクリーニング屋さんからびっくりする話を聞いた。中年の女性がファスト ファッションで買ったダウンジャケットをもつて来て、「クリーニング代はいくら?」と聞いて きたそうだ。価格を聞くと「あら、買った時よりも高いじゃないの1じゃあ、もういいわ また新しいの買うから」といって去ってしまった。クリーニング屋さんは、呆然としてしまっ たそうだ。クリーニング代のほうが買値よりも高いから、まだ着られる服を捨ててしまうよう な、現代の消費型ファッション。しかしこんな異常な時代が長く続くはずはない。近い将来 根本的に見直さなければならない時が来るだろう。 私は時々、古い布を扱う骨董屋さんに遊びにいく。あまった緋糸から手織りされた残糸織の 布や、継ぎ接ぎのボロを手にとる。かつて人々が貴重な布をどれだけ大切に使ってきたか、じっ と見ていると強く胸に迫ってくるものがある。彼らは自分たちで麻を育て、蛋を飼って糸を紡 いだ。そして自分で織って、縫製したのである。穴が開いてボロボロになっても、布を裂いて よこ糸にして織ったり、雑巾にしたりして、最後まで無駄にすることがなかった。 こんなふうに最後まで大切に使い切る人を昔は「始末がいい」といった。このほめ言葉は一 今はほとんど死語になっている。「始末」とは、文字通り「始まり」と「終わり」のことであ る。それは物の始まりと終わりに、自分が生活の中で責任をもつことだ。 人は服なしで生きることはできない。だとしたら単なる流行を超えて、一生愛され、まとえ (ニャ Aう る服を作ることが、これからのデザイナーの真価だと思う。 (堀畑裕之「言葉の服 おしゃれと気づきの哲学」による) (注1)トレンド…動向、傾向。また、流行、はやり。 (注2)如実…現実のままであること。事実のとおりであること (注3)ファストファッション…流行を採り入れつつ低価格に抑えた衣料品を、大量生産し、 短いサイクルで販売するブランドやその業態のこと。 (注4骨董屋…古美術品や希少価値のある古道具などを取り扱う店。 (注5)緋糸…かすったような模様を規則的に織り出すために、あらかじめ染め分けた糸。 (注6)残糸織…織物を織る工程から出た残り糸を使って織った織物。

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Civics Junior High

この問題のCについてなんですが、やはり私の解答は、模範解答と比べてズレてますかね?

下線部のに関して, 次のレボートは,日本銀行が設立された理由について, 下のグラフJ.n に当てはまる語はそ 30 令和3年度(社会7) 4 と b a れぞれ何ですか。 下のア~エの組み合わせのうちから適切なものを選び, その記号を書きなさい には,どのような内容が当てはまりますか。 グラフI.I と資料を基にまとめたものです。 レボート中の C また,レポート中の を踏まえて, 簡潔に書きなさい。 政府は,西南戦争の戦費を, 政府の発行する紙幣と民間の銀行の発行する紙幣を増や すことでまかなった。このことによって, 市場に出回る紙幣の量が増え,紙幣の価値が が起きた。そこで, 日本銀行を設立することによっ レポート ため,激しい b a C を図ろうとしたと考えられる。 て グラフI グラフI 紙幣の発行高の推移 米価の推移 (万円) (円/150kg) 12 18,000 民間の銀行 16,000 10 14,000 12,000 政府 8 10,000 6 8,000 6,000 4,000 2 2,000 0 0 1875 76 77 78 80(年) (日本長期統計総覧により作成。) 79 1875 76 77 78 79 80(年) (改訂日本農業基礎統計により作成。) 資料 1877年 政府は西南戦争を鎮圧した。 1878年 政府は西南戦争の戦費をまかなうための紙幣を発行した。 a 上がった アL。 a 上がった インフレーション イ b デフレーション a 下がった a エ 下がった b インフレーション b デフレーション

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English Senior High

答えが無くて分からないので教えて欲しいです

SIMなし合 22:01 Cop 【1】次の英文を読んで, 設問 1~12に答えなさい。 なお, *印の語(句)には文末に注 がついています。 Modern examinations of working conditions in British and U.S. industry in the nineteenth and early twentieth centuries concentrate mainly on the experiences, Complaints, and overall difficulties of working-class laborers. The first complaint that a majority of industrial workers had was that their workdays* were too long. The average (ア) of hours in a shift varied from industry to industry, from place to place, and from era to era. Workers in British and American textile mills* in the early to middle 1800s generally worked twelve to fifteen hours, six days a week, ( イ) only Sundays off. Their average workweek* was seventy-eight hours. In contrast were the hours of workers who labored in American steel mills in the late 1800s. The length of their shifts was determined by the fact that the blast furnaces* they tended almost always operated twenty-four hours a day. Thus, (oit became customary* for steel mills to have two twelve-hour shifts. However, many of the steel workers labored seven days a week. (a)That gave them a workweek of sighty-four hours. Moreover, sometimes they had to work extra hours on top of this demanding schedule. (オ )the minor differences in the length of workweeks from one industry to another, the average worker put in twelve-to fourteen-hour days at least six days a week, This harsh schedule remained more ( カ) less standard well into the twentieth century. It was not until 1920 that a fifty-hour workweek was introduced in the United States. Anda forty-hour week did not become the rule in most industries until 1938. Low wages was another common complaint of industrial workers. In 1851, the average wage earned by American industrial workers in general was seven to ten dollars per week. That same year New York's Daily Tribune* reported that a worker's family of five required just over ten dollars a week just for basics such as rent, food, and fuel. Most ordinary workers could not afford many simple comforts that middle-class workers enjoyed. (o This miserable situation lasted in America for decades and improved only slowly. As late as 1912, a study found that only 15

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