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Geography Senior High

高1の地理総合のケッペンの気候区分のところで、赤で線を引いているところの[5]がわかりません。答えを教えてほしいです🙇‍♀️

小区分: 樹林気候は大文字と小文字, 無樹林気候は大文字の組み合わせで表示。 ① 熱帯, 温帯, 亜寒帯:原則として降水量の季節配分によって,s (夏乾燥で冬雨), w (冬乾燥で夏雨), f (乾季がなく年中湿潤)の三つに区分。 ●熱帯: 年中高温で、気温から夏と冬を区別しにくいため、乾季のある[ 4 ] 気候 (Aw) と乾季のない熱帯雨林気候 (Af) に分ける。 乾季は、月降水量が 5]mm未満の月とする。 熱帯モンスーン気候(Am, 弱い乾季のある熱帯 雨林気候) はAf と Awの中間的な気候で,乾季はあるが, 植生はAfと共通する ため、気候区分図では熱帯雨林気候に含められることもある。 ●温帯・亜寒帯: 最少雨月が夏(北半球なら5~10月頃)に現れ, その降水量が冬 の最多雨月の1/3以下ならs, 逆に最少雨月が冬で,その降水量が夏の最多 雨月の1/10以下ならwと判定する。s, wいずれにも該当しないものをfと する。 s型(冬雨) が1/3, w型 (夏雨) が1/10と基準が異なるのは、冬は低温 で蒸発量が少なく, 夏より少ない降水量でも植物の生育に必要な土壌水分を確 保できるが、夏は蒸発量が多く乾燥しやすいためである。 ●CfaCfb : 温帯と亜寒帯は最寒月平均気温で区分するため、冬季温暖な大陸 西岸では温帯が高緯度まで分布し, Cfは,西岸では緯度40~60度,東岸では緯 度30~40度付近にみられる。 しかし、夏季の気温は緯度の違いに対応し高緯度 の西岸で低く、低緯度の東岸で高いため, 最暖月平均気温 [ 6 ]℃以上の温 暖湿潤気候 (Cfa) と, [ 6 ]℃未満の西岸海洋性気候 (Cfb) に区分する。 ②寒帯: 最暖月平均気温0℃以上10℃未満で,地衣類や蘚苔類などが生育する [7]気候(ET) と, 0℃未満で植生のみられない氷雪気候(EF)に区分する。 ③乾燥帯: 雨が少し降り短草草原が広がるステップ気候(BS) と,ほとんど植生 がみられない砂漠気候 (BW)に区分する。 両者の区分は、ある地点の年降水量 (r:mm)を,年平均気温から算出される乾燥限界 (R:mm) と比較し, BS: R/2≦r <R, BW: r < R/2 で定義される (→P.282)。 ただし, 乾燥 限界は降水の季節配分 (sfw)により計算式が異なる。 ④高山気候(H) 標高3000m以上の高山。 気温 降水量による区分基準はない。 2 小区分 summer乾燥 winter乾燥 4 サバナ 5 6 7

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問2が答えと解説を読んでも なんでそうなるのかも解説が言ってる意味も よく分かりません 問2の答えは「中央の出先機関の立場」だそうです

3 基礎編 1 →解答解説は本冊ムページ 評論①『まちづくりの実践』田村明 課題対比の箇所に注目し、その箇所に傍線を引いて読んでみよう。 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。 にぎ 戦国時代の権力者は、軍事要塞として城を築き、その近くに商人や職人たちを集めて町をつ くった。織田信長の楽市楽座はその典型で、都市を充実した賑わいの場にすることに成功した。 権力者が町をつくり住民を住まわせる城下町が日本の都市の主流になる。明治になってからも、 都市は「お上」がつくり、また「企業」がその城下町をつくってきた。 2 西欧では中世から、商工業者を中心にした市民が、権力者である領主から自立して、自治都 市あるいは自由都市という立場を勝ち取って町をつくることが多かったが、日本にはその例は ほとんどない。だから受動的な「住民」はいても、主体的に都市をつくろうという「市民」は 不在である。つい最近まで、都市や町をつくるのは行政権力や企業権力であり、住民はそこで 暮らすだけで、 自ら「まち」をつくるという意識は希薄なままであった。 一九一九年に制定された都市計画法では、計画は「内閣に諮って主務大臣が決定する」と規 定され、都市は国家という「お上」がつくることになっている。自治体は国家の決めたこと を実施する代官にすぎない。この状態が、戦前ばかりか戦後のごく最近まで続く。自治体は住 民代表の立場ではないから、住民から要望や提案が出ても取り上げられない。だから、できる だけ住民の意見を聞かないで、せいぜい説明だけですませたいという気持ちが強かった。 4 これではおかしい。日本は第二次大戦の敗戦によって民主主義国家に生まれ変わったはずだ。55 「地方分権」を言うまでもなく、自治体の自立性は現行憲法でうたわれている。それなのに固有 の風土と歴史のある地域が、全国画一的に各省庁バラバラな施策で振り回されていては、「よ 「い」「まち」はできない。住民から直接公選された首長たちには、法令はなくても自らの判断で 地域と市民のための施策を行う動きが出てきた。 ⑤ 一九六〇年代初頭から、先進自治体では、独自の方法で乱開発による崖崩れの防止、学校用 20 地の確保、排水の整備、あるいは工場の公害にたいする予防措置などを行い始める。また、民 主主義の実践の場としての市民参加のさまざまな試みを始めた。地域の個性や文化を求める地 域ごとの工夫も始まる。都市という複雑で総合的で個性的な計画をするには、国家という画一 的な「お上」では無理である。ようやく、自治体は国の出先機関ではなく、市民の側に立っ て、独自の立場で個性的な地域づくりを自覚するようになった。 9 一般的な自治体は、事態の変動に鈍感で、相変わらず中央の出先機関の立場に甘んじている ものが多かった。直接に生活を脅かされる住民の方が敏感に反応し、さまざまな反対運動がお きる。そのうちいくつかは、自発的な「まちづくり」運動へと発展していった。 7 一九六〇年代になると市民参加をはっきり打ち出す自治体も現れた。 議会や中央官庁から . 25 5 「企業」がその城下町を くって大企業とその 請けの中小企業が、 自 の主要な産業の中心と てかたまって存在する 比喩的に表現した 画一的個性や特徴 ないこと。 類語に「一様 「均一」がある。 一九六〇年代―一九五 年から一九七三年にかけて 「高度経済成長期」に会 まれる。

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