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English Senior High

マーカー部分の文構造教えてください! 関係代名詞と修飾される名詞が離れてることは納得できたのですが、neverthelessがどうしてここにいるのかぎわかりません! よろしくお願いします!

第3 段落 T This may sound strange, but tests have now been carried out which reveal that it is nevertheless the true explanation. 2Groups of new-born babies in a hospital nursery were exposed for a considerable time to the recorded sound of a heart-beat at a standard rate of 72 beats per minute. There were nine babies in each group and it was found that one or more of them was crying for 60 per cent of the time when the sound was not switched on, but that this figure fell to only 38 per cent when the heart-beat recording was thumping away. The heart-beat groups also showed a greater weight-gain than the others, although the amount of food taken was the same in both cases. 5Clearly the beatless groups were burning up a lot more energy as a result of the vigorous actions of their crying. これは奇妙に聞こえるかもしれないが,それにもかかわらずこれが正しい説明であることを 明らかにする調査がいくつか今までに行われている。 2病院の育児室にいる新生児のグループ に, 1分間に72回という標準的な脈拍の録音された鼓動音を相当期間聞かせた。 3 それぞれのグ ループには9人の赤ちゃんがいて, そのうちの少なくとも1人以上が, 音が流されていない時 間の60パーセントの間泣いていたが, この数字が, 鼓動の録音がドキンドキンと鳴っていると きにはわずか38パーセントに下がることが判明した。 4鼓動音を聞かされたグループはまた,も う一方のグループと比べて, 摂取した食事の量はいずれでも同じであったにもかかわらず,体 重の増加が著しかった。 5明らかに, 鼓動音を聞かされなかったグループは, 泣くという激しい 運動の結果, ずっと多くのエネルギーを消費していたのである。

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Contemporary writings Senior High

5️⃣の言ってることが理解出来ません💦 どうしてオノズカラシカリとは作為が無いことになるのでしょうか?むしろあると思うのですが、、

2ndステップ 論理 たかし t うちやま 日本人にとっての自然とは 5 理然 日本人はなぜキツネに 内山 館 テ 筆者が改めて考察している事柄をつかも だまされなくなったのか 攻略のプロセス1・2を通して、《日本人の自然》を《再考察の対象となる事柄をおさえ》たうえで読み取ろう。 日本の人々にとって自然とは、客観的な、あるいは人間の外にある自然体系のことではなかった。それ は自分自身が選っていく場所でもあり、自然に帰りたいという祈りをとおしてつかみとられていくもので もあった。とすると、その自然とはどのようなものであったのか。 すでによく知られているように、かつての日本では自然はジネンと発音されていた。 シゼンという発音 が一般的になったのは、明治時代の後半に入ってからである。英語のネイチャー、 フランス語のナチュー 5 ルを日本語にするためにシゼンが使われるようになった。その意味でシゼンは外来語の訳語である。 ジネンはオノズカラ、あるいはオノズカラシカリという意味の言葉である。今日でも私たちは「自然にそ うなった」とか「自然のなりゆき」という表現を使うが、これがジネンと読んでいた時代の意味の名残だと思 えばよい。 このように見ていくと、自然に帰りたいという人々の伝統的な思いは、シゼンに帰るということより、10 ジネンに帰る、つまりオノズカラの世界に帰りたいという思いだったことがわかってくる。 オノズカラの ままに生きたい、ということである。 自然(ジネン)訓で読んだときのオノズカラシカリ(ナリ)とは作為がない、ということであろう。有意 ではない、と言ってもよい。 自我のはたらきから生ずる意図がない、あるいは「我(われ)」がない、と表現 することもできる。 (注1) そしてこの気持ちにも仏教が言葉を与えた。人間は自我があるから「我(われ)」にこだわる。 我執のある (注2) ④_ のが人間である。だから「我(われ)」の欲望をもち、「我」を主張して争い、悲しむべき凡夫に堕ちていく。 煩悩は、「我」をもつことそのもののなかにある。だから煩悩を捨てるとは「我」を捨てることだ。そして「我」 を捨てたあり方とは、すべてがオノズカラのままに生きることだ。 オノズカラのままに生きることによっ (注4) (注3) ゆる て、人々を救う。すべての人を。ここで発想は大乗仏教と結ばれる。 もっとも、このように見ていくと、 ジネンという言葉をシゼンと読んだうえで、ネイチャーやナチュー ルの訳語にしたのはかなりダトウだったということがわかる。なぜなら最もジネンなものは自然(シゼン) だからである。自然(シゼン)はすべてがオノズカラのなかに存在している。 シゼンとジネンは同じではな 8. テーマ wwwww... 5

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