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Chemistry Senior High

化学基礎の問題です。 Q温泉水(すべて塩酸とする)がpH=0だと仮定すると、 1分あたり8400L湧き出る温泉水を完全に反応させるのに必要な石灰石(すべて炭酸カルシウムとする)は理論上、1分当たり何kgか。 この問題の解説をしていただきたいです。 ちなみに答えは42kgです。

秋田県にある玉川温泉は、97℃の温泉が毎分8400L も噴出しており、1ヶ所からの湧出量では日本一で ある。この温泉は pH1.2 と強酸性のため、温泉が流れ込む玉川を酸性に変えてしまい、飲み水や農業用水な どには使用できず、河川工作物が酸化されるなどの被害も生じ、 流れ着く田沢湖では幻の魚「クニマス」も 姿を消してしまったため、 「玉川毒水」ともいわれていた。 このため 1972年、野積みの石灰石に酸性水を散水する簡易石灰石中和法を開始、そして1989年10月、 粒状の石灰石が大量に詰まった中和反応槽に温泉水を流入させて中和する中和処理施設の運転を開始した。 これによって pH1.3 だった水を3.5以上にして川へ放流できるようになった。 この施設の効果は大きく、 田沢湖は処理前のpH4.7 に対して2008年度には5.2 まで改善された。 目標値 6.0 には到達していないもの の、水面から魚影が確認できるまでになった。 しかし、 田沢湖は湖が深く貯水量も多いため、 湖水全体に 効果を波及させるにはこれからも相当な時間がかかるといわれている。 以下の各問いに答えよ。

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Contemporary writings Senior High

【至急】ホンマに助けて下さい 明日テスト 宇野重規の〈私〉時代のデモクラシー この文に「折り返し点」という記述があると思うのですが、折返し点とはなにを表してるのですか?

な人間関係の束縛からいかに る影もありません。 時代は変わったのです。 「近代」のもう一つの目標は、宗教からの解放でした。伝統的な社会においては、つね 「聖なるもの」の感覚がありました。 人間を超えた「聖なるもの」は、人々の畏れる 2 べき対象であると同時に、人々にあるべき姿、進むべき道を示してくれるものでもあり ました。 「近代化」は、この「聖なるもの」の感覚に支えられた宗教から人々を解放し、 個人の意志を新たな価値の源泉にしました。人々が選択にあたって指針とするのは、も 々自身のうちに、あらゆる価値の源が見いだ はや人間を超えたものではありません。「人々自身の S せるというのが、「近代」のスローガンでした。 「聖なるもの」が一つひとつ失われていったのが、「近代」という時代です。ある意味 で、私がこのように強調される現代とは、そのような「近代」の行き着いた時代な のかもしれません。なぜなら、あらゆる「聖なるもの」が見失われてしまった現代にお いて、価値とされるものは、もはや〈私〉しかないからです。 現代の社会理論家の代表的な一人であるジーグムント・バウマンは、次のようにいい ます。近代においても、最初のころには歴史において実現されるべき目標の理念があり ました。「公正で平和な社会」などというのが、それです。このような時代においては、 そのような社会の理想を実現するための「革命」という言葉には、独特の魅力がありま した。しかしながら、現代の社会理論で強調されるのは、むしろ「個人の差異」や「個 人の選択」です。もはや社会的な理想は力をもたず、もっぱら一人ひとりの〈私〉の選 択こそが強調されるのが、いまの時代だというのです。つまり、近代という時代も一つ の折り返し点に達したということなのでしょう。 バウマンは、私たちの生きる近代は、 同じ近代でも、〈個人〉や〈私〉中心の近代だといいます。 このような「折り返し点」を過ぎた「近代」のことを、現代ヨーロッパの理論家で、 社会学者であるアンソニー・ギデンズやウルリッヒ・ベックらは、「後期近代」とか 「再帰的近代」などと呼んでいます。このようないい方のポイントは、「折り返し点」を 過ぎたとしても、「近代」が終わったわけではないし、「近代」を押し進めた運動がスト ップしたわけではない、ということです。 つまり、「近代」が終わり、「近代」とはまっ たく別の「脱近代(ポスト・モダン)」が始まったわけではないのです。むしろ、「近 5 O

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Japanese classics Senior High

写真二枚目の5つの選択肢がありますが、⑤は正しいです。 ⑤の「文章Ⅱの後半は和歌の修辞などを取り入れた台詞回しがあるために優美さも感じられます」とありますが、合っている理由を教えてください。

【文章Ⅱ】 さるほどに一の谷の合戦、今はかうよと見えしほどに、みなく船に取り乗って海上に浮かむ。 むさし かた われも船に乗らんとて、みぎはの方にうち出でしに、後ろを見れば、武蔵の国の住人に、岡部の六野太忠純 たづな と名乗って、六七騎にて追っかけたり。これこそ望むところよと思ひ、駒の手綱を引つ返せば、六野太やがて むずと組み、両馬が間にどうど落ち、かの六野太を取って押さへ、すでに刀に手をかけに、 THE NEL うだう かひな おぼ のたま M 六野太が朗等、おん後ろより立ち回り、上にまします忠度の、右の腕を打ち落せば、左のおん手にて、 六野 5 太を取って投げのけ、今はかなはじと思し召して、そこ退き給へ人びとよ、西拝まんと宣ひて、光明遍照、十 方世界念仏衆生摂取不捨と宣ひし、おん声の下よりも、いたはしやあへなくも、 六野太太刀を抜き持ち、つ ひにおん首を打ち落とす。 六野太心に思ふやう、 しがい いたはしゃかの人の、おん死骸を見奉れば、その年もまだしき、長月ごろの薄曇り、降りみ降らずみ定め 並ひおいでな (注) むらもみぢ にしき ひたたれ なき、時雨ぞ通ふ斑紅葉の錦の直垂は、ただ世の常にもあらじ。 いかさまこれは君達の、おん中にこそ きんだち えびら たんじゃく あるらめと、おん名ゆかしきところに、腹を見れば不思議やな、短冊を付けられたり。見れば旅宿の題を据ゑ、 行き暮れて、木の下かげをやどとせば、花やこよひのあるじならまし、忠度と書かれたり。 さては疑ひ嵐の音 に、聞こえし薩摩の守にてますぞいたはしき。 あらし 注斑紅葉濃く淡くまだらに色づいた紅葉。 ここでは錦の直垂の形容。 9 1+1 こま

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