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Japanese classics Senior High

古典文法の問題でどうやったらこんな活用形が思い浮かぶのか分かりません。覚えないといけないと思うんですが、簡単な考え方やコツなどあったら教えて欲しいです🙇‍♂️

次の傍線部の動詞の基本形と活用の行·種類、および文中での活用形を答 IR6° 「の行·種類 oO足ずりをして泣けともかひなし。かさ じだんだを踏んで泣くがどうにもならない。 (伊勢物語·六) だいこくでん X@大雨の時には大極殿に行きてこれを蹴る。 けけrolt古今著聞集,四一0) 大雨のときには大極殿に行ってこれ(=まり)を蹴る。 コ9活用 メ@大きなる利を得むがために、 、 大きな利益を手に入れるために (徒然草·八五) (活用 04 0心して降りよ。りリリり 注意して降りなさい (徒然草,一○九) 地田 S0 ) かきつばた、といふ五文字を句の上にすゑて、、久 かきつぱた、という五文字を歌の各句の初めに置いて、 んえ(伊勢物語·九) て種活用 や O弓射ることを習ふに、 、、D. 弓を射ることを習うのに (徒然草·九二) その時悔ゆともかひあらんや。寺0み むみめ その時後悔しても可のかいがあるだろうか、いや、ない (徒然草·四九) 力行四後 活用 己然 役上二段通 力五下一S役活用 枚 の 2 えま

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Science Junior High

採点をお願いします🙇🏻‍♀️

2 2|重要事項トレーニング 次の各問いに答えなさい。 (1)冷たい空気とあたたかい空気が接したときにできる境界面を何というか。 (2)(1)と地表面が交わる線を何というか。 (3) あたたかい空気が冷たい空気の上にはい上がるようにして進む前線のこと を,何前線というか。 (4)(3)の前線付近にてきる, 雨をもたらす雲を何というか。 (5)(3)の前線による雨の降り方の特徴はどのようなものか。 (6)(3)の前線が通過したあとに,気温はどのように変化するか。 (7) 冷たい空気があたたかい空気の下にもぐりこむようにして進む前線のこと を,何前線というか。 (8)(7)の前線付近にてきる, 雨をもたらす雲を何というか。 (9)(7)の前線による雨の降り方の特徴はどのようなものか。 (10)(7)の前線が通過したあと, 気温はどのように変化するか。 (1) 寒冷前線が温暖前線に追いつき, 2つが重なってできた前線のことを, 何 前線というか。 12 冷たい空気とあたたかい空気の勢力がほぼ同じて、 ほとんど動かない前線 を何前線というか。 13) 日本付近の天気は西から東にだんだん移っていく。これは, 日本の上空を 吹いている何という風の影響を受けているのか。 (14 温帯低気圧にはともなうが、熱帯低気圧にはともなわないものは何か。 (15) 熱帯低気圧が発達すると何になるか。 tH ()能 (長時間に弱く 上る とくちょう (6 (寒冷前藤 ()積ま要 (9久る時間に領市 下がる P明をく前除 (10) 3 価西因 前線 ふ。 えいきょう 15)

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Chinese classics Senior High

緑の傍線部の訳が「昔の人は、その才能が今の人よりも非常にまさっていたわけではない。」となるのですが、なぜそういう訳になるのか分かりません💦 解説お願いします!!

の心持ちか 問五 傍線部の「心やましくもあらず」とあるが、女のこの発言はどのようなことに対し 問六 傍線部@「かたみに背きぬべききざみになむある」とあるが、女がこのように判断した理由を答えなさい 問七 傍線部@「世を背きぬべき身」とあるが、この「世を背く」には二つの意味が掛けられている。その二つの意味を答えなさい。 三次の文章は、北宋の蘇 載 が、初任地で役人をしていた二十代の頃、同僚の張暁という人物を送別して書いた「稼説、送張暁」から、一部を である。これを読んで、後の問いに答えなさい(設問の都合で、返り点、送り仮名を省いたところがある)。(配点0) 406く'其のオ 以って大いに合うの人に過くる有るに非さるなり、 (注1) (注2) へく3 きよ (独3) ノ みづかラ ヒテ ザルルニ テ イ ミ なり Amm かるがるシ SDく 古之人、其 非有三以 大 過」今之人」也。其 平 居所以 自 養 而 不三敢 軽 (注4) びん びん えん トシテ つよキニ/ ナル ハ キ えい ズルヲ キハ 待。其 成」者、/ 関 如|要 児之望長也 弱 者 養,之 以至,於 剛,/虚 者 養」 11 (地の) つか^ (注6(注7) ニシテ 1|シテ シク スル うちニ ツテー 於充三 十 而 後 仕、五 十 而 後爵/ 信,於 久屈之中/而 用於至足之後,/ 11 (注) あふ ルル ち スル まんヲ ニシテ イニ グル B 溢之余/ 而 発』於持,満之末/此古之人 所以大過》人、而 今之君子 所ョ以石 此小 古の人の大い人に退くん所以にして、今の君子の及はさるゆんんなり

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Mathematics Junior High

色々書いているので見ずらいかもしれませんが、解説お願い致します。 (2)の問題で差は2πmのまま変わらないところが分かりません。 2に円周率をかけているので値は変わらないとこは分かりますが、差が変わらないと言うのはどういうことでしょうか?? 位置がズレても同じ長さ走っている... Read More

5 は、体有格の日に投庭を見ているとかのみ当ん。 Bんの会法とトクックの明です。れら を続んで、 下の各間に答えなさい。 (J0点) Aさん「体育祭でトラック競技を行うとき, 各レーンでタートの 位置が違うね。」 T12ル Bさん「スタートが同じ位置でゴールまで同じレーンで1問すると。 外側のレーンの方が走る距離が長くなるからね) ル Aさん「どれくらいスタートの位置に差があるのかな。」 下の図のように, トラックは2つの半円と1つの長方形を組み合わせたものです。 レーンの |幅は1mで, 各レーンの1周の長さはそれぞれのレーンの内側の線の長当とします。 井円都分 直線部分 学門部分 の HAk イ m 水社久 め の 第1レーンのスクート 第1レーン DIA 第2レーン ゴール 43 o ona 第2レーンのスタート 分 山 )第1レーンの内側の長方形を長方形 ABCD とし, AB, CD を2つの半円の直径とします。 第1レーンの1周の長さが200m, 半円の直径 ABが30mのとき、 ADの長さを求めなさい。 ただし、円周率はnとし、 ラインの幅は考えないものとします。 (5点) 1 (2)各レーンの想は1mのまま, 直線部分の長さやー着内側の半円の直径を変えて、 レーンの 1周の長さを変えたとしても、 第1レーンと第るレーンのスタートの位置 変わりません。 誰が変わらない理由を, 1つの直線部分の長さを、一番内側の半円の直径を2rmとして、 説明 (20 7 2レ4 しなさい。 ただし、円周率はnとし、 ラインの幅は考えないものとします。 (5点) の t 2nr 30p 700-30万1 700-150

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Contemporary writings Senior High

現代文の100字要約の問題です。 上手くまとまらず、悩んでいるのでわかる方教えていただきたいです。

現代文の文章ですが、松尾芭蕉以降の近世の世界観を逃 さてここで、「山吹や蛙飛びこむ水の音」に戻ろう。このようにかはづの和 歌の歴史を見てくると、「山吹」「かはづ」「水」という組み合わせはさほど不 思議ではない。しかしここにはすでに、和歌の観点から見た場合、重大な欠落 がある。それは「鳴く」という言葉の欠落だ。連歌集である『蒐玖波 集』の 歌でさえ、「なにごとのあらそひか有る鳴く蛙」と、かはづは鳴くことになっ ている。しかし芭蕉はかはづを鳴かせなかった。「蛙飛びこむ水の音」という 着想だけでも、これは和歌の言葉を通して見た自然ではなく、その隙間を縫っ て芭蕉自身が発見した新しい自然だった。かはづは鳴かない。なんと、ぶざま にも水に飛び込んだのである。そして山吹の問題だ。其角は和歌の歴史から 言って当然のように山吹をつけた。なにしろかはづが鳴かないのだから、せめ て山吹でもないことには歌の道に連なることができない。しかし(芭蕉は即座 にそれを退け、やがて「古池や」に至ったという。結果としてここに、「山吹」 も「清流」も「鳴く」も無い、無いものだらけのかはづの句ができた。千年の あいだ続いたかはづの自然は、ここにあとかたも無く崩壊したのである。 それにしても、このような和歌の歴史の中で考えてくると、なんと革命的な 句なのだろう。単に和歌で必須とされる要素が無い、というばかりではない。 鳴く」に対して「 I」が対時され、「声」に対して「 Ⅱ 時され、「清い」に対して「一 D の文章を読み、あとの設問に答えよ。 芭蕉は「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」と言ったという。『三冊子』 はこの言葉について、「X私意をはなれよといふ事也」と書きとめている。魔 末保は、このようなことが言われるには、「松が、まさにそこにある松、つま り、 即物的に接することのできる松として出現しはじめた時代だという前提が なければならない」と論じた。これは「江戸時代にとって自然とは何であった か」という問題を考える上での根幹である。我々の時代はすでにそういう時代 が始まってから久しく、物は「即物的に」物でしかないのが当たり前になって しまった。そうでなければ、これほど環境は悪化しないし、これほど多くの物 が平然と消費され捨てられたりはしない。それゆえに、近世という時代が始 まって間もなく、芭蕉や西鶴や近松に何が起こっていたか、よほビ自夏刀b かせなければ理解できないのである。(中略) A自然はすでに近世において、ただの樹木や石や水という「物」になってし まった、と考えられる。それまでは表現するだけで自然の力を感じさせた雅語 (たとえば和歌の言葉)や雅の絵画(中世山水画など)さえももはや力を持た ず、貨幣経済の中でひたすら自然が消費されていくようになった。遊山を描く 扉風絵や旅を書きつける旅行記などは、まさにそのような消費対象としての 自然(自然の俗化)を調歌しているわけだが、同時に、このような「物」とし ての自然の出現は、新しい文学をもたらすことにもなったのである。 芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」の句は、作られた時のことが「葛の松 原』に書かれている。『野ざらし紀行』の旅を終えて江戸に戻って一年ほど後 のことだ。旧暦三月の暮れ、江戸の郊外に遊んだ。雨が静かに降り、風柔らか に吹き、ときたま蛙が水に飛び込む。芭蕉は「言外の0フゼイこの筋にうかび て、蛙飛びこむ水の音 といへる七五は得給へりけり」という。このとき芭蕉 は七五のみ想い浮かんで、上の言葉は浮かばなかった。するとそこにいた其角 小、上を付けた。それが「山吹や」である。ここに、「山吹や蛙飛びこむ水の 昔」という発句ができあがった。この其角の案はもっともで、まさに和歌に連 なる句の世界としては、まっとうな作だった。そしてそこには、Bまだ近世の 俳人たちを支配していた自然観がかいま見える。 『万葉集』にいう。「かはづ鳴く清き川原を今日見ては何時か越え来て見つつ 偲はむ」||かはづは必ず清い川、澄んだ水にいる。そしてかはづは必ず「鳴 く」。澄んだ水でないと生息しない蛙のうち、和歌の世界でその美しい鳴き声 が詠まれるのはたった一種類、かじか蛙だけである。『万葉集』に始まった 「かはづ」の歌は、つまりかじか蛙だけのための歌であり、そうであるからに は「澄んだ水、清流」そして「鳴く」という二つの言葉が不可欠だったのであ る。「かはづ鳴く神名火川に影見えて今か咲くらむ山吹の花」 は、神社のある場所の川のことをいう。ここでは飛鳥川か竜田川だ。この歌に は山吹の花が出現する。「清流」「鳴く」「山吹」の三つの言葉がこうして、「か はづ」とセットになって現れるようになる。「かはづなくるでの山吹ちりにけ り花のさかりにあはまし物を」 |これは『古今和歌集』の歌だ。井出の玉川 は山城の国の川のことだが、「玉川」は清流を意味する。川は清流でなくては ならず、水は、常に流れて水を入れ替える=でよくてはよう!よい。「匹こよく pv しゅう が対 日 」が対時され、「流れる川」に対して 」が対時されたのである。古池とはどんな池だろうか。まず流れな い。水が入れ替わらない。澄んでいない。その底には、枯れ葉や木の残骸や動 物の死体が腐って堆積し、間違いなく濁っている。その周辺には苔や菌類や古 木や下草がいつも濡れてじっとりと生きていて、数え切れないほどの生命が地 を這っている。古池とは歴史の堆積であり、生命のるつぼなのだ。そこに蛙が 飛び込めば底の堆積物は一気に舞い上がり、水はさらに濁るだろう。かじか性 がそういう環境に暮らせるはずがなく、ここに登場する蛙はがま蛙や殿様蛙 牛蛙など、そのあたりで庶民が日常的にみかける生命力旺盛な蛙に違いない。 Vト さらに言えば、古池が川と違うところは、ふだんはじっと動かないところ だ。まるで川は我々人間の意識の流れのようであり、古池は我々人間の無意識 の堆積物のようである。みじろぎもしないその濁り水に突然一匹の蛙が飛び込 む、というその一瞬に起こるハモンのざわめきは、記憶の堆積と無意識に起 こるざわめきのようだ。何が起こったのか。周知のように禅では、座禅の際に このざわめきを意図的に起こす。p意識によって隠された連関への目覚めをも たらすためである。 芭蕉はこの句から、風雅の道を見つけたと言われている。すなわち、蕉風の 確立である。蕉焦風では、言葉の革命と新しい境地の創造が、確かにあった。そ トトキA+ -神名火川と れは、和歌の言葉の背後に隠された自然を、詩の言葉として発掘するというこ とだった。「木のもとに汁もなますも桜かな」 ーごく日常的な食べ物の出現。 J るャ 了東風々に糞のいきれを吹きまはし」 ふがん人のうしろむき」 -排池物も詠まれる。「団扇もて -まるで浮世絵のように、俗世の人の姿を捉える。 うぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれか うたをよまざりける」と、『古今和歌集·仮名序』にも言う。もはやかはづは 驚と同じくらい、和歌の世界のスターとなった。それもその美声ゆえであっ た。いったんスターとなったからには、代表的な和歌の集に登場し続ける。 海くれて鴨のこゑほのかに白し」||思い切りのいい不定形。声が色とL て眼に見える。和歌の言葉の繰り返しの中で日本人の脳裏に形成された定型E 自然観は、このように次第に崩れてゆき、江戸時代になってそれは新たな自 世界を構成することになった。私たちの今日の自然観は、和歌のそれではな~ 俳譜の自然観にずっと近い。 傍線部 a.bの漢字の読みを記せ。 (日留) (田中優子『江戸の自然,

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