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Japanese Junior High

(1)傍線部の、「住みわびて、暇をこふ」の現代語訳がわかりません…。わかる方教えてください。 この文の出典は『十訓抄』です。

次の文章を読んで、1から4までの問いに答えなさい。( 左側は現代語訳である。) (注1) しゅぽいしん (注3)りよしやうほ 朱買臣、文の道は富めりしかども、家貧しかりけり。年ごろの妻、 才能) ひととせ 住みわびて、暇をこふに、「いま一年を待て」としたひをしめども、 (注2) くわいけい ふるさと しゅ 聞かずして別れ去りぬ。その次の年、買臣、古里の会稽の守になり たみ て赴く時、かの妻、国の民の妻となりて、買臣に見えにけるを、恥 ぢ悲しみて、消え入りにけりとなむ。 (気を失い、死んでしまった) (顔を合わせてしまったことを 呂尚父が妻、同じく家を住みわびて、離れにけり。呂尚父、王の となりて、いみじかりける時、かの妻、 帰り来て、もとのごとく (富み栄えるようになった) をけ あらむことをこひのぞむ。その時に、呂尚父、桶一つを取り出でて、 「これに水入れよ」といふままに入れつ。「こぼせ」といへば、こぼ しけり。さて、「もとのやうに返し入れよ」といふ時、妻笑ひて、 「土にこぼせる水、いかでか返し入れむ」といふ。呂尚いはく、「汝、 われに縁尽きしこと、桶の水をこぼせるに同じ。いまさら、いかで か帰り住まむ」とぞいひける。 なんぢ これら、ものねたみにはあらねども、貧しき世を忍びえず、心短 きたぐひなり。 (嫉妬心を抱いた話ではないが) (注1)朱買臣=古代中国の前漢の政治家。 (注2)会稽の守=地方の郡の長官。 (注3)呂尚父=古代中国 賢臣。 太公望。 たいこうぼう じっきんしょう (「十訓抄」から)

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History Junior High

答え教えてください!!

問1 しんたさんとかなこさんは、 織田信長と豊臣秀吉の年表を見ながら話をしている。[年表] や [会話文] を参考にして、各問いに答えなさい。 査 [豊臣秀吉の年表] [織田信長の年表] 1560 (A)の戦いで今川氏を破る 1571 滋賀県にある寺院を焼き打ちする a 1573室町幕府の将軍を京都から追放する 1575 (B)の戦いで武田軍を破る 1582 太閤検地を行う 1583 大阪城の築城を始める 1587 バテレン追放令を出す 1588 刀狩令を出す 1577 楽市令を出す [会話文] ・ 1592 文禄の役 しんた:織田信長が全国統一に歩みを進めた要因はどのような点にあると思いますか。 かなこ:その要因は、 経済政策にあったのではないかと思います。 織田信長は1577年に楽市 令を出して、 b 楽市楽座を実施しました。 この政策によって、商工業者たちは( c ) ことができなくなりました。 また、 (D ) も、商工業者たちに税を納めさせることが できなくなりました。 出 しんた: なるほど。 信長が実施した楽市楽座はこれまでの経済のしくみを大きく転換させ [ るきっかけになったことが分かりますね。 しんた: では、豊臣秀吉が全国統一に歩みを進めた要因についてはどうでしょうか。 私は、 キリスト教を禁止する政策を行ったことが大きな要因だと考えます。 年表にもある [金] (a) 通り、1587年に。バテレン追放令を出しましたね。 方 かなこ: ちょっと待ってください。 確かに、秀吉はバテレン追放令を出しました。ただ、別 eber の資料を見ると、バテレン追放令が出されたときのキリシタンの数は約(E)人でし ARS-0008 たが、それ以降、(F)。そうなったのは、バテレン追放令にも明記されているよう Acer に、(Go)ことが原因だと考えられます。 しんた:なるほど。 では、キリスト教の禁止はあまり徹底されていなかったのですね。 人 かなこ:そうですね。 むしろ私は、刀狩とこれまでの検地とは異なる。 太閤検地を行ったことが 大きな要因だと考えます。 しんた: つまり、信長の楽市楽座は (H)という点で、秀吉の刀狩や太閤検地は ( I )という点で、 全国統一を押し進めた原動力となったわけですね。

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Japanese history Senior High

日本史わかる方答え教えてほしいです。

答えはすべて解答欄に書きなさい。 (3点×2) (3) 日英同盟と日露戦争に関する次の説明で、誤りのあるものを 一つ選び記号で答えよ。 (教科書 P.235 参照) [3] (3) ア 義和団戦争後も満洲に居座るロシア軍に対し,政府は韓国が ロシアに支配されるとの危機感から, 日英同盟を結び対抗策を 取った。 (4) 1904年,日露戦争が始まり, 日本陸軍は旅順, 奉天と敗戦を 重ねたが,海軍が日本海海戦で圧勝し戦争を逆転勝利に導いた。 ウ 戦争継続が困難になった日露両国は、アメリカの斡旋でポーツマス条約を結び講和したが, 日本は賠償金を獲得できなかった。 (4) 桂園体制から大正政変に関する次の説明で,正しいものを一つ選び記号で答えよ。 (教科書 P.238~P.239 参照) ア 桂太郎と西園寺公望が交互に組閣する桂園時代は, 桂率いる政友会と西園寺が束ねる藩閥勢力の妥協で 政権が運営された。 イ 1912 年末にできた桂内閣は,権力濫用との批判をかわすため、 倒閣を狙う第一次護憲運動を認めたが大正 政変で総辞職した。 ウ 政友会の支持で誕生した山本内閣は、軍部大臣現役武官制や文官任用令を改めるなどして、政党勢力拡 大への道を開いた。

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