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Chemistry Senior High

高1です。科学と人間生活の熱や光の科学の所で、このページが、分からないのですが、教えてくださると嬉しいです。

る」 った表 温 (温 色対零 構成 が停止 温度 とと, とは 絶対 度の (= き, 2.熱容量と比熱 次の各問いに答えよ。 (1) 比熱0.39J/(g・K)の銅でできた200g の容器の熱容量は何 J/K か。 (2) 15℃の熱容量35J/Kの物体に700J の熱を加えると物体の温度は何℃に なるか。 (3) 熱量4.2J/(g・K) の水100gの温度を20K (20℃) 上げるのに必要な熱量は 何Jか。 3. 熱量の保存 10℃の水300g と, 50℃の水100gを混合した。 水の比熱を 4.2J/(g・K) として,次の各問いに答えよ。 熱は外部に逃げないものとする。 (1) 混合後,熱平衡に達したときの温度をt[℃] として, ① 10℃の水が得た熱量を表す式を記せ。 ② 50℃の水が失った熱量を表す式を記せ。 (2) 上の①と②が等しいことから, t〔℃〕を求めよ。 10 °C 300g 350 t°C 100×4.2×20=8400 50 °C 100g 8.4×10². 300×4=2x(t-10)=100×4.2%(50-+) 探究 4. 物質の温まりやすさ 水と食用油の温まりやすさを調べるために、次の ような実験を行った。 ( )内に適当な語や式を記入せよ。 また (5)について は①②のいずれかを番号で答えよ。 水と食用油をそれぞれ350gずつビーカーに入れてホットプレートで同じ だけ熱を加えた。 このとき, 水は13℃上昇し, 食用油は22℃上昇した。 こ の結果から,( 1 ) の方が温まりやすいことが分かる。 次に,水と食用油の比熱を比較する。 水の比熱をc1 [J/(g・K)], 食用油の 比熱をc2 [J/(g・K)] とすると, 水の得た熱量は( 2 ), 食用油の得た熱量 は( 3 )と表すことができる。 (2) と(3) が等しいことから, ( 4 ) の方が 比熱が大きいことが分かる。 このことから,比熱が (5①大き, ② 小さ) い物質の方が温まりやすい物質といえる。 ト 200×0.3 2 (1) (2) (3) ント C = mc Q=C(T₂ Q = mc (1 3 5 (1) ① (2) 4 ②4 (1) (2) ( (3) (5)

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Japanese Junior High

1枚目(左)の文章を読んで 2枚目の(右)の問の答えを解いて 答えを教えてください!! 私立の一般入試の問題です。 答えが配られてないのでわかる方教えてください😭

次の文章を読んで、あとの (1) から (六)までの問いに答えなさい。 (文字数の指定がある場合は、句読点も一字に数える) 昔、人々は自分の住んでいる地域内でいっさいの暮らしを立て、村ざかいや それぞれの地 国ざかいを越えて、よその地域に出かけることはなく、 域でそれぞれの地域特有の言葉Ⅰが形成されていきました。 ところが、明治維新になって、東京に明治政府ができ、日本語を統一しよう として、東京の言葉を標準語として、徹底した共通語の普及を強引に行ったこ 戦後、爆発的に膨張したマス・コミュニケー とはよく知られています。 ション、なかんずく放送ジャーナリズムが、その普及に大きく加担しました。 そうしたことのために、一方では、日本中どこへ行っても言葉が通じなくて困 一方では、方言の中の、たく るというようなことはなくなりました。 さんの美しい言葉、 微妙な感情を伝える言い方、力強い表現、 ゆかしい言い回 などを死滅させ、今もさせつつあります。 C ヨーロッパでは、中世封建制が崩れ、近代国家が作り上げられていく過程で、 各地の言葉が混ざり合い、溶け合い、それに芸術家や学者が磨きをかけて、長 い時間をかけて、それぞれの国語が熟成していきました。 日本では、その熟成期間が飛ばされてしまったのだといえるでしょう。 学校で、標準語の普及を図る手段として、方言を口にしたら罰として背中や 胸に「方言札」と書かれた木の札を掛けるということまで行われました。 沖縄県平良市の大神島では、戦後もこの方言札が、小・中学生だけでなく、そ の父兄たちにまで用いられたそうです。 こうした、無理強いの、ゆがんだ経過を経て流通している、いわゆる標準語 は、まだまだインスタントの人工語で、たいそうやせており、 方言の側から輸 1 血しないと、ますます貧血の度が進むというのが、わたしの認識です。 日本の近代化の陰で、標準語という名の消しゴムに消された方言の中から、 輸血するに値する濃度を持った言葉を探し出すことは、地上から消えていくわ らぶき屋根を惜しむといったふうの感傷を超えた、日本語の現場の問題なのだ とわたしは思っています。 ききゅうす それにしても、方言は日々幾何級数的なといえるほどの速度で衰微しつつあ ります。消えてしまったら、それでもう終わりです。 ろんし 世の中の変化とともに、言葉も変わっていくのだから、方言が消えていくの も、自然な推移だ、という論旨があります。言葉とはそういうものだと、わた しもそれに基本的には賛成です。 しかし、同じ一つ屋根の下に住む家族で、おじいさん、おばあさんのしゃべ る言葉が、孫にはもうよく理解できない、それほどの状態を生むような時代の せっかちな流れ方に、その速さに、このまま身を任せてていいのだろうか、と 思うのです。 捨てなくていいものまで、わたしたちは、捨てつつあるのではないか、と危惧 します。共通語自身、例えばニホンかニッポンか、日本の国の名さえどっちつ かずであるほど、まだ しているのです。いい換えれば、日本にはまだ真 の意味での共通語はでき上っていません。そんなとき、日本の各地で、遠い昔 からの人々の生活と結び付いて息づいてきた方言を顧みることなく、点検 もせず、あっさり捨て去っていいはずがありません。 (川崎洋『感じる日本語』による)

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