Grade

Type of questions

Chemistry Senior High

化学の気体の分子量の問題です!!!どなたか教えてください!

問3 上記の石灰石には何%の炭酸カルシウムが含まれていたか。有効数字3桁で記せ。 右図のように炭酸水素ナトリウムと炭酸ナト リウム十水和物の混合物を加熱して,発生する 気体を吸収管に吸収させたところ,吸収管Aで は360mg, Bでは440mgの質量の増加が観察さ れた。吸収管Aには塩化カルシウム, Bにはソ ーダ石灰が入っている。次の各間いに答えよ。 A B 自治医科大学改2000 この混合物を加熱したとき,起こる変化 を化学反応式で書け。 問1 問2 吸収管A,Bに吸収される物質は何か。 それぞれ物質名で答えよ。 問3 吸収管A, Bに吸収される物質量はそれ ぞれいくらか。 問4 この混合物中の炭酸水素ナトリウムと炭酸ナトリウム十水和物の物質量の比はいくらか。下から適 るものを選べ。 (ア) 1:1 (イ)2:1 (ウ) 5:1 (エ) 10:1 (オ) 20:1 8)過酸化水素水に少量の二酸化マンガンを加えたところ,すべて反応し, 0℃, 1気圧で22.4mL の気体 生した。次の各問いに答えよ。 問1 この反応で二酸化マンガンのはたらきは何か。 問2 最初に存在した過酸化水素は何molか。 青山学院大学 20 Fe2O3を主成分とする鉄鉱石, コークス(C), 石灰石などの原料を溶鉱炉の上から入れ, 下から熱風を き込む。熱風はコークスと反応し高温の一酸化炭素となって鉄鉱石を還元し, 鉄と二酸化炭素が生じる。 の鉄を銃鉄といい, 炭素を約4%(質量百分率)含んでいる。鉄鉱石から, 炭素を4.0%含む銃鉄100kgを得 のに最低限必要なコークスの質量を次の文にしたがって求めよ。 ただし, 鉄の原子量 Fe=56 とし, 解答 小数点第1位を四捨五入して示せ。 銃鉄100kg中に含まれる炭素は, (a)kgであるので, 鉄は(100 -a)kgである。鉄鉱石を還元してこの 鉄を得るために必要なコークスは(b)kgである。したがって必要なコークスの総質量は(a+b)kgとなる 東京工業大学 2000後コ

Waiting for Answers Answers: 0
Political economics Senior High

こんにちは。公民の課題です。解ける方是非解いてください。

戦後の日本経済の歩みについて,(1)戦後復興期,(2)高度経済成長期,(3)安定成長期および(4)バフ ル経済崩壊から現在までの4つの時期に分けて簡単にたどってみよう。 第二次世界大戦の敗戦により,多くの生産資源を失った日本経済は大きなダメージを受け, 1946 年 の実質(a)GDP は戦争末期の6割程度にまで落ち込むことになった。(1)戦後復興期には,こうした困難 な状況のなか, 日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)の主導により, ための政策がすすめられた。政府はまた, 限られた資源を石炭·鉄鋼などの基幹産業に重点的に投入す 日本経済の民主化と近代化の る傾斜生産方式をとり, 日本銀行による債券と国債の引き受けにより資金を調達したが,通貨量の増加 は激しいインフレーションをまねいた。経済の安定化をはかるため, 1940 年代末には, 連合国軍総司 令部(GHQ)からの経済安定9原則に基づき(c)さまざまな施策がとられたものの, 一転してデフレーショ ンにみまわれ, 中小企業の倒産や失業が増えるなど深刻な不況に陥った。しかし, 1950 年の朝鮮戦争 勃発は米軍による多額の物資調達という特需を発生させ, 日本経済は戦後不況から脱却し,鉱工業生産 高や GDP が順調に増大したことから, 1956年度の経済白書には 「もはや戦後ではない」 という文言が 盛り込まれるに至った。 1955年頃から 1973年頃までは, (2)高度経済成長期といわれる。 この期間中には, 景気が後退する 局面こそあれ,(d)さまざまな背景と要因とが複合的に寄与し, 数度の長期間にわたる (e)好景気を経験し, 着実な(の経済成長により 1960年代末に日本はアメリカに次ぐ資本主義国第二の「経済大国」となった。 他方で,高度経済成長は, 公害問題や環境破壊, 都市化による過密·過疎問題, さらに社会資本整備の 立ち遅れなどのひずみをもたらしたのも事実である。 1970年代に入ると, (g)変動為替相場制への移行や (h)第一次石油危機 (オイル·ショック)などを契機と して経済成長は減速し, 世界的な景気低迷のなか,わが国は 1974 年には戦後初のマイナス成長を経験 する。こうして高度経済成長期は終馬をむかえ, わが国は ()経済の質的転換を迫られることとなった。 賞その後の日本経済は, 国際競争力をつけた製品の欧米諸国への輸出を拡大させたこともあり, 再び成長 軌道に乗った。とはいえ, 経常収支の大幅な黒字の計上は新たな懸案事項をわが国にもたらし, 特に, 貿易赤字と財政赤字という「双子の赤字」 に苦しむアメリカとの間の日米貿易摩擦は深刻化した。わが 国単独での,あるいは世界各国と協調しての()当該問題への官民を挙げた対応は為替相場の安定に一定 の役割を果たしたものの, 低金利という副産物を日本経済に残した。 低金利は (k)バブル経済(景気)の一 要因となったが,実態を反映しない虚構の産物であるバブルはほどなくして崩壊する。第一次石油危機 (オイル·ショック)後のマイナス成長から回復した 1975年頃からバブル経済が崩壊する 1991 年頃ま で,実質経済成長率が安定的に推移した時期を(3)安定成長期という。 (4)バブル経済の崩壊から現在までの期間の前半となる 1990年代, 日本経済は長期にわたる深刻な不 況にみまわれ, 「の失われた 10 年」とよばれる停滞期を過ごした。 その後, 2000年代以降現在までの 期間においても, 日本経済は(m)さまざまな経済構造の改革や変容を経ながら, これまで同様にその時々 の喫緊の課題に対処している。

Waiting for Answers Answers: 0