使用できるものはある程度いたが,漢字を用いた漢文を使用できるものは限られていたよう
である。鎌倉時代には、随筆では漢字を使った和文体で 「方丈記』 や 『徒然草』が,歴史書
では鎌倉幕府の歴史を編年体の形式により漢文で著した「/」などが成立した。 南北
今期にはそれぞれの立場や状況によって,特徴を持つ書物が書かれた。たとえば、公家の立
場から鎌倉時代の歴史を叙述した 「増」や, 武家の立場から足利尊氏による幕府創設の歴
史を中心に著した 」が成立した。これらはすべて漢字を使用した和漢混淆文で書
かれている。
梅松論
吾妻鏡
空欄 A
J に入る最も適当な語句を答えよ。
大今水
問2 下線部(ア)に関連して, 文書行政について述べた次の文章(1)~(4)に関連した記述とし
て適当でないものを、後の1~4のうちから一つ選び、番号で答えよ。
(1) 日本の律令制では、中央政府から各国への情報伝達には、文書が用いられた。 全国
に設けた駅は、国司ら官人の往来などとともに文書行政を支えるために整備された
面もある。
(2) 平城京跡から発掘された木簡には「近江国生(発酵食品) 三合」 「少初位下高屋
家麻呂 六考日井干九十九六年中(6年間に1099 日出勤し績は中)」 「告知
往還人失黒鹿毛牝馬一匹 件馬以今月六日中時山寺南南池辺而走失也 若有
見提者可告米山階寺中南端第三房之(馬が逃げたのでみつけたら連絡がほしい)」
と書かれたものなど多様なものがある。
(3)奈良時代,平城宮で勤務した人には、単身赴任で都に滞在していたものも多く。
平城宮跡で発掘された木簡には役所の使いが平群郡, 宇太郎など大和盆地の各地を回
休暇で自宅に帰っていた官人をよび出した木簡が残っている。
(4)郡と里の下にある村を単位に行われる春と秋の農耕祭礼のときには、村民の男女ほ
ぼ全員が集まった祭礼の最初に中央政府の出した法が読み知らされ、その後に会食
が行われたが、年齢訓に席次が決められ、その子弟たちが食事の準備を行い、給仕を
した。
漢文を使えるのは
男性の高い