日本史 鎌倉幕府〜

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ぬ

高校全学年

鎌倉幕府から正徳の政治までです

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ノートテキスト

ページ1:

1059
<鎌倉幕府の滅亡>
後嵯峨法皇死去
(亀山)
持明院統
に分かれる
1317
↓
(後深草)
両面統造立
1316
1320
1321
北条高時が執権となる。
交代で皇位に
つくこと。
ラスト北条
1324
1332
1331
1332
1333
内管領・長崎高資が実権を…御家人の不
・大覚寺線から醍醐天皇が即位
→天皇親政復活!!
→討幕計画開始!!
正中の変
→後醍醐島流し、→光厳天皇即位
元弘の変
失敗
護良親王(後醍醐の息子)が吉野で挙兵
→楠木正成呼応
後醍醐島から脱出!!
1333
→>.
足利尊氏が六波羅探題の救援
4881
裏切り
新田義貞が鎌倉を
→北条高時滅
↓
鎌倉幕府滅亡

ページ2:

<建武の新政>
1334
1334
建武の新政 スタート!!
すべての土地の所有権は綸旨で確認
天皇
中央
地方
・記録所
守護
○雑訴決断
0
○恩賞方
。
・武者所
0
鎌倉将軍府
1
T
・陸奥将軍府
1335
→
建武の親政は失敗!!
理由
0
公家中心政治で武士がないがとるに
すべて天皇の命令書である綸旨が必要
・大門計画の費用を地頭に負担させようとして武士がした
※社会混乱を記したものとして、健武年間記出
1=条河原落書である
先代の乱を機に尊氏が挙兵
北条時行をリーダーとして反乱をおこす。
天皇の命令書
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