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History Junior High

教えてくださいお願いします

1年の復習 1 原始~古墳時代の流れ 1 原始~古墳時代の流れをおさえよう! <2点×25> 旧石器時代 次のまとめの中の①~12にあてはまる語句を書きなさい。 また,(1)~(4)の問いに答えなさい。 (1) 右の石器は群馬県の岩宿で発見された ものです。 この石器はどのようにして作 ぐんま いわじゅく かんけつ (① 打製 石器が使用される。 られたか、簡潔に答えなさい。 新石器時代 (② 廃製 石器が使用される。 「じょうもん 縄文時代 (約1万数千年前から紀元前4世紀ごろ) (2)縄文時代の土器はどんなことに使用されたか,次のア~ オから3つ選びなさい。 ●土器の発明 ③文自の文様が多い。 ( ( )( ) か ●狩りや採集の生活⇒農耕はあまり発達せず。 ●定住が進む⇒ (④竪穴 住居に住む。 ア農耕の道具 ウ食料の貯蔵 イ 木の実などの煮たき ちょぞう いくさ まいそう エの武器 オ遺体の埋葬 水辺のごみ捨て場の遺跡は (⑤ 貝塚 むらを造り みんなでいっ しょに住んだ。 身分の差は なかったよ。 (3) 次のA~Cの土器が作られた時代を答えなさい。 A C IVO ひ かく やよい 弥生時代(紀元前4世紀ごろから紀元後3世紀ごろ) さく ⑥ 作の伝来。 ●青銅器 鉄器など (7 器伝来。 のぼりがまを使って 高温で焼かれた。 薄 くてかたい。 かざりが多く, 比較 かざりが少なく, 前 的 低温で焼かれた。 の時代の土器より薄 手でかたい。 厚手でもろい。 )( ( 時代 時代 時代 ●むらから国へ⇒紀元前後には100余りの国。 ●3世紀には卑弥呼の⑧ 邪馬台国。 農耕が始まると, 指導者があら |われたんだ。 強いむらは周辺の むらを従えて国になったよ。 (4) 次のX~Zの資料について, それぞれの呼び名を書き、 また, 使いみちを下のア~エから1つずつ選びなさい。 X Y N こふん 古墳時代(3世紀から17世紀ごろ) ごうぞく ●古墳(王や豪族の墓) が造られる。 なら 奈良に (⑨ たんじょう 政権 [王権] 誕生。 政権の王は(⑩ とらいじん と呼ばれる。 X:呼び名( 使いみち ( ●大陸から来た渡来人が文化を伝える。 きぬおりもの Y:呼び名( )使いみち ( ⇒須恵器や絹織物, ①11 字. じゅがく じゅきょう Z: 呼び名( 儒学 [儒教] (1 教。 いの 使いみち ( ア 魔よけや豊かさを祈るために使われたと考えられる。 やまと 大和の地から東西に勢力を 拡大していったのだ。 イ王や豪族の墓の上に並べられた。 ウ交易の際にお金の役割をはたした。 エ祭りのための道具として使われたと考えられる。

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Geoscience Senior High

この 問題の③の文についてなのですが、自分が考える太陽の向きと進行方向だと、日差しが差し込むかなって考えてたんですけど、どうも違くて… 誰か解説してくださるとありがたいです!よろしくお願いいたします🙇

ることから,小売の方 えたか(減ったか)ということがわかりやすい。 たけ増 [台] 本間は、移動 を問う, 新傾 駅に向かうと ①正文 図 問3 サクラさんは,図1中の静岡駅を午前10時に出発した列車に乗り、焼津駅までの車窓 からの景観を観察した。 図2は安倍川駅付近の拡大図であり、図3は用宗一焼津間の拡 大図である。 車窓からの景観を説明した文として最も適当なものを、次の①~④のうち から一つ選べ。 (平成29年度大学入学共通テスト試行調査〈改〉) ① 静岡駅を出て安倍川を渡る際に地形図と見比べたところ, 地形図で示された位置 と,実際に水の流れている位置が異なっていた。 ②図2の安倍川駅を出発すると, 車窓の進行方向の右側に山地が見え, 市街地より 山側の斜面は全体が針葉樹林に覆われていた。 えば大雨 に想像が 誤文: が広が 大部分 ③ 誤文 る。 に用 れば 誤 津 ③ 用宗駅付近を走行している際に, 日差しは進行方向の右側から差し込んでいた。 北 ④ 用宗一焼津間のトンネルを出た所からビール工場までの間, 進行方向の左側に海 が見えた。 区

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Japanese Junior High

最後の7を教えてください。出来れば解説して欲しいです

五、次の文章を読んであとの問いに答えなさい。 字数の指示のある解答は、句読点や符合も一字として数えなさい。 せっつ はんごく しゅ とうかんえいきん さっとう まつやましんすけ さむらいだいしょうなかむら しんべえ できない さんげんえ たいこう ほこさき やりなかむら さきが しょうじょうひ お 【思判・表】 摂津国の主であった松山新介の侍大将 中村新兵衛は、五畿内中国に聞こえた大豪の士であった。 その頃、畿内を分領していた筒井、松永、荒木、和田、別所など大名小名の手の者で、「槍中村」を知らぬ者は、恐ら く一人もなかっただろう。それほど、新兵衛はそのしごき出す三間柄の大身の槍の矛先で、先駆けしんがりの功名を重ね ていた。そのうえ、彼の武者姿は戦場において、水際立った華やかさを示していた。火のような猩々緋の羽織を着て、 唐冠纓金のかぶとをかぶった彼の姿は、敵味方の間に、輝くばかりの鮮やかさを持っていた。 「ああ猩々緋よ唐冠よ。」と敵の雑兵は、新兵衛の槍先を避けた。味方が崩れ立ったとき、激浪の中に立ついわおのよう に敵勢を支えている猩々緋の姿は、どれほど味方にとって頼もしいものであったか分からなかった。また嵐のように敵陣 に殺到するとき、その先登に輝いている唐冠のかぶとは、敵にとってどれほどの脅威であるか分からなかった。 せんとう ぞうひょう げんぶく きょうい ①げきろう しんらい こうして槍中村の猩々緋と唐冠のかぶとは、戦場の華であり敵に対する脅威であり味方にとっては信頼の的であった。 「新兵衛殿、折り入ってお願いがある。」と、元服してからまだ間もないらしい美男の侍は、新兵衛の前に手をついた。 「何事じゃ、そなたと我らの間に、さような辞儀はいらぬぞ。望みというを、はよう言ってみい。」と育むような慈顔を もって、新兵衛は相手を見た。 じん きじん そばはら もりやく いつく その若い侍は、新兵衛の主君松山新介の側腹の子であった。そして、幼少の頃から、新兵衛が守役として、我が子のよ うに慈しみ育ててきたのであった。 ういじん てがら おみ 「ほかのことでもおりない。明日は我らの初陣じゃほどに、なんぞ華々しい手柄をしてみたい。ついては御身様の猩々緋 と唐冠のかぶとを貸してたもらぬか。あの羽織とかぶととを着て、敵の目を驚かしてみとうござる。」 だま むじゃき 「ハハハハ。念もないことじゃ。」 新兵衛は高らかに笑った。新兵衛は、相手の子供らしい無邪気な功名心を快く受け入 れることができた。 「が、申しておく、あの羽織やかぶとは、申さば中村新兵衛の形じゃわ。 そなたが、あの品々を身に着けるうえからは、 我らほどの肝魂を持たいではかなわぬことぞ。」と言いながら、新兵衛はまた高らかに笑った。 やまと じゅんけい しりめ その明くる日、摂津平野の一角で、松山勢は、大和の筒井順慶の兵としのぎを削った。戦いが始まる前、いつものよ うに猩々緋の武者が唐冠のかぶとを朝日に輝かしながら、敵勢を尻目にかけて、大きく輪乗りをしたかと思うと、駒の頭 を立て直して、一気に敵陣に乗り入った。 ゆうゆう 吹き分けられるように、敵陣の一角が乱れたところを、猩々緋の武者は槍をつけたかと思うと、早くも三、四人の端 武者を、突き伏せて、また悠々と味方の陣へ引き返した。 くろかわおどし なんばんてつ びしょう その日に限って、黒革滅の鎧を着て、南蛮鉄のかぶとをかぶっていた中村新兵衛は、会心の微笑を含みながら、猩々 緋の武者の華々しい武者ぶりを眺めていた。そして自分の形だけすらこれほどの力を持っているということに、かなり大 こま はした

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