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Mathematics Senior High

なんでbだけ決まってaは任意なんですか?

6 放物線/接線 (1) 放物線y=x2の2本の接線g, hが点 (a, b)で交わるとする接線g, hが直交するための a,bの条件を求めよ. (2) (a,b)が(1)で求めた条件をみたしながら動くとき,2接線の2つの接点を結ぶ直線 は常にある定点を通ることを示せ (津田塾大国際関係) 放物線と直線が接する この条件は,放物線と直線の方程式を連立して得られる2次方程式が重解 をもつこととしてとらえることができる (判別式D=0). また,例えば,y=kx2とy=mx+nがx=αで接する条件は, kx²-(mx+n)=k(x-α)と表せる・ ととらえることができる (左辺 =0はx=αを重解にもち、左辺の2の係数がんであることから). 放物線上のx= α における接線 通常は微分法でとらえる. ☆を使うこともできる.☆により, y=kx2のx=αにおける接線の方程式は,y=kx-k(x-α)により,y=2kax-ko となる. 解答 (1)点 (a, b) を通る傾きの直線y=m(x-a)+bがy=x2と接する条件 は,r=m(x-a)+6 :.x-mx+(ma-b)=0 が重解をもつことで, 判別式をDとすると, D=0 D=m²-4(ma-b) が0であるから,m²-4am+46=0 の2次方程式②の実数解が,点(a, b) を通る接線の傾きを表すから, 2接線 の直交条件は、②の2解の積46が-1であること. したがって,求める条件は,b=-1/2 (αは任意) 一般に,実数係数の2次方程式 x2+c+d=0の2解α βが αβ <0 を満たすとき, 解と係数の 関係からd <0であり、判別式 D=c4d>0となるので, 2解 は異なる実数であることが保証

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World history Senior High

理由は何になるでしょうか?!

しん 3 に貿易を求めるイギリス (p.37, p.78) けんりゅうてい C イギリス使節に対する乾隆帝の返答 (1793年) マカオ てんちょう おもむ これまで、西洋各国およびなんじの国の商人は、天朝に赴いて貿易を おこなう際は、すべて澳門において互市 ②をおこなうことが長く続いて おり、すでに短期間で決まったものではなくなっている。 天朝は物産が 豊富で、足りないモノは何もなく、 よって外国貿易船の貨物に依存する ことはなく、国内で有るモノ無いモノを融通できる。 しかし天朝で産す ゆうずう ひつじゅひん いそん じき けんし る茶葉・磁器・絹糸が西洋各国およびなんじの国の必需品であることに かんが あわ めぐ ようこう 鑑み、恩を加え哀れ恵み、 澳門において洋行 を開設し、日々の消費物 ③ はいりょ きょうじゅ 資にも配慮し、利益を享受できるようにしてやったのだ。 今、 なんじの 国の使者が定まったきまりをこえた多くのことを要求したことは、 遠来 おんけい ししゅう いこ あお の客人に恩恵を加え、 四周の夷国を大切に育む天朝の姿勢を仰ぎ見て従 うという、 本来あるべき態度とかけはなれている。 ①清 ② 清が設けた国際貿易場での貿易 ③外国人経営の商店 歴史学研究会編『世界史史料4』 岩波書店をもとに作 もりぞ、 資料C を読み、 皇帝は使節の要求をどのような理由で退けた か、二つ理由をあげてみよう。

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Contemporary writings Senior High

高三河合記述模試国語 必然と言えるのはなぜでしょうか。

Oli awai-juku.ac.jp c 模試ナビ x 【2026年度第・・・ -0 ★スタートページ + じゅぞう まど おんたけ から解放された時に結晶することもある。また木曽の御嶽の山の上に登って行者が大きく礼拝をしている姿を見て、鹿児 島寿蔵氏は「円か」というすぐれた人形のデザインを発見したというように、しかもそれは長塚節の歌を、五〇年来、い かなる人形にしようかと思って、窮め窮めていた、そういう長い努力の結果、たまたまそれは木曽の御嶽山の山の上で見 行者の礼拝の姿に、崇高な造型が誕生したというようなこともあるのである。 いずれにしても芸の修得ということは、きわめてすぐれた芸の創造ということにつながっていくということにおいて完 結するわけだが、それはいずれもなにものかを頼むとか、なにものかによるとかということではなくて、その人の個人の ナショナルな、国際的な評価をされうることにもつながっていくものであ る」とあることから、筆者は日本で広く認められた芸は、おのずと国際的 にも評価されるはずだと考えていることがわかる。 (注4) H ウについて。 鹿児島寿蔵については第五段落に言及があるが、これ は、本文解説 や 設問別解説 問三でも確認したように、芸の創造に 至る過程の一例として挙げられた事例であると考えられる。 鹿児島が最終 的に「『円か』というすぐれた人形のデザインを発見」することができた のは、「長塚節の歌を、五〇年来、いかなる人形にしようかと思って、窮 め窮めていた、そういう長い努力の結果」、「木曽の御嶽山の山の上で見た 行者の礼拝の姿」をきっかけとすることができたからである。 仮に鹿児島 が長塚の短歌を人形にするという課題を途中で放棄していたら、人形は具 現化しなかったはずである。とすれば、彼が半世紀にわたって自身の課題 を手放さなかったことは、最終的な人形の完成にとって「必然的な要件」 であったことになる。したがって、ウが一つ目の正解である。 ☑

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