【修学旅行前】下調べノート in奈良・京都 -興福寺・春日大社 編-

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トパァズ

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高校全学年

旅行前下調べ大好き女による事前情報まとめノートを公開します♡

実際修学旅行で行ってきたのですが、「ああ、これが前調べたアレね!」「これがこんな風になっているのはこんな意図があるんだったよな〜」と思い返しながら旅をすることができて、とても濃い時間を過ごすことができました。
これがあの時の!!となる瞬間の感情が高まる感じが最高に快感で大好きです。
また行きたいな〜😊
ちなみに、完全なネタバレになってしまうので、毎回写真だけは調べないようにしています。

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ノートテキスト

ページ1:

〇興福寺
・宗派:法相宗(ほっそうしゅう)
「考え方で世界は変わる!」
6
二度の
「唯識(ゆいしき)思想うすべての現象ば心(意識)によって作られている」が
中心のインド由来の仏教。
インドの学者、無著(むじゃく)・世親(せん)兄弟が開祖。
奈良仏教(南都六宗)の1つで、貴族学僧の知的仏教として
栄えた。※薬師寺なども法相宗。
政治・宗教両方で
・藤原氏の氏寺(一族の守護・権威の象徴) 「藤原家の砦」
・創建・歴史
・額田王と姉妹という説も。
◎藤原不比等の生母とされる。
(① 藤原(中)鎌足の病気平癒を願い、夫人・鏡王女(かがみのおおきみ)
が山背国山階(京都の山科)に「山階寺(やましなでら)」として
建立。 ※興福寺の起源
移転 ②飛鳥の地に移り、「厩坂寺(うまやさかでら)」と呼ばれる。
③ 平城京遷都にともない、藤原不比等が現在地に移築。
→「興福寺」になる。 ※この年(710年)が本格創建年とされる。
④平安~鎌倉時代、東大寺と並び「南都七大寺」の1つとして栄え、
僧兵も多く抱える。※比叡山延暦寺と並ぶ武闘派寺院
⑤平重衡が南都焼討を行い、興福寺も大半を焼失。
⑥中世以降、何度も火災で焼けるが、そのたび再建。
※「焼けても甦る寺」としても知られる。
⑦ 明治維新後、神仏分離令で春日大社と分離。
廃物毀釈(はいぶつきしゃく)運動で一時衰退。
⑧ 中金堂が約300年ぶりに再建。江戸の火災以来
復興の象徴として話題に。※2018年
・本尊:釈迦如来
仏
日本が神道を
国家の宗教に
しようとしていた。
教の排斥運動

ページ2:

・見どころ。
正面から見でまってぐ美しく見えるように
わざとわずかに傾いている!?
制限さ
①五重塔
55m
16
高さ 50.1m(木造建築として東に次ぐ2番目の大きさ)
730年に光明皇后が母の冥福を祈って建立
16室町時代
今までに6回焼失(現存する塔は1426年再建のもの)
屋根の間隔がだんだん狭くなっていて、上にいくほど軽やかに見える
国宝の1つ
②阿修羅像
法華経に由来
インド神話の神々が仏教に取り入れられた
八部衆に仏法を守護する8種の神々の総称)の1つで、
116 阿修羅像は中は空洞
守護神の中の少年神
高さ153.4cmの乾漆像に粘土の型の上から布を漆で貼り重ねる)
顔が3つ、腕が6本あるう正面→苦悩、憂い、思索の表情
右側→怒り、決意
=
"三面六臂"
国宝館で展示中
中金堂(ゆうこんどう)
左側→哀しみ、諦め=
→「思春期の少年のよう」とも言われ、
「争いの中で苦悩する青年の姿」の象徴とも
興福寺の中心堂に本堂的な存在)
2018年に再建され、木造・朱塗りで
天平建築を忠実に再現
屋根瓦には藤原家の家紋「下がり藤」が刻まれている
④ 東金堂(とうこんどう)
◎1915年に再建
光明皇后が父・藤原不比等の冥福を祈って建立。
和様建築が用いられていて、屋根の反りと棋(ときょう)の
繊細さ、軒下の木組みの細かさに注目。※室町時代の職人技
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