日本史‼️〜織豊政権〜

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さきち

さきち

高校全学年

自分自身がめちゃくちゃ詳しいので、いつもに比べると今回は解説が結構少ないです。

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ノートテキスト

ページ1:

織豊政権!!
尾張の織田信長は1560年、桶狭間の戦い
で今川義元を破り、足利義昭を室町幕府15代
将軍に立てたが、のちに京都から追放して、幕府は
滅亡。さらに延暦寺を焼き打ちにして、
1575年の長篠合戦で武田勝頼に勝った。
1580年に石山本願寺を屈服させるも、
本能寺の変で明智光秀に襲撃されて自害
豊臣秀吉は1582年、山崎の合戦で明智光秀
を討ち、翌年に賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を倒し
織田家の後継者としての地位を確立。1584年の
小牧・長久手の戦いで徳川家康らと和睦すると
その後は四国の長宗我部元親、九州の島津義久

ページ2:

Date
1590年に小田原の北条氏政を滅ぼし、伊達政宗
を服属させて、全国統一を完了。一方で関白太政大臣
になって、後陽成天皇を京都の聚楽第に招くなど
朝廷の権利を利用した
秀吉が占領地で実施した太閤検地とは?
この検地は石田三成を中心とする奉行たちが主導して
行い、具体的には
①まちまちだった枡の容量を京枡に統一
②田畑、屋敷地の面積、石盛(上・中・下・下々など
等級ごとに米の予定収穫量を決めること)を調査
して生産力を米量に換算した石高を定めた
③②によって百姓は村の総石高(村高)に応じた
年貢、諸役の負担が義務づけられた
一方、秀吉は大陸侵攻に向けて、1591年、全国の
大名に国絵図(国の地図、これを提出すると、その
大名が反乱を起こしても有利に戦える)と御前帳
(検地帳)(正確にいうと現場の細かい土地データを
記録したのが検地帳。国単位の集計表が御前帳)
を提出させ、全国の土地の掌握をはかった。
り
これにより大名が石高に見合った軍役を奉仕する
体制ができたのではない
1588年には農民から武器を没収して一揆を防ぐ
刀狩令を出した
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