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歴史 中学生

この1️⃣~6️⃣まで全部分からないので教えていただきたいです。

第次世界大戦と大正デモクラシー 1 右の年表を見て,次の各問いに答えなさい。 (1) A·Bにそれぞれ参加した国々を,資料1のア~カ から三つずつ選びなさい。 (2) Cについて,次の各問いに答えなさい。 0 第一次世界大戦開戦のきっかけとなった,オー ストリア皇位継承者夫妻の暗殺事件が起こっ た都市を,資料1のP~Sから一つ選びなさ い。また,その都市名を書きなさい。 2 第一次世界大戦は,交戦国が経済や資源,技術 などの国力を使い果たす×|となりました。 Xにあてはまる語句を,漢字3字で書きなさい。 第一次世界大戦で,日本が連合国側で参戦した理由 を,イギリスとの関係と関連づけて,説明しなさい。 Dによって,史上初の Y 政権が成立しました。Yにあ てはまる語句を,次の[ おもなできごと 三国同盟が結ばれる……………A 三国協商が結ばれる 1914 || 第一次世界大戦が始まる……C ロシア革命が起こる パリ講和会議が開かれる… 年 1882 1907 B けいしょう 1917 1919 ほっそく 1920 国際連盟が発足する……………… F 資料1 第一次世界大戦ごろのヨーロッパ カ ]から一つ選びなさい。 帝国主義 P ていこく [ 社会主義 資本主義 民主主義 ] オ (4) Eで唱えられ,東ヨーロッパの国々が独立するきっかけと なった原則を何といいますか。 (5) Fの設立を提案したアメリカの大統領名を書きなさい。 次の文を読んで,あとの各問いに答えなさい。 A第一次世界大戦中の日本は好景気となり,B工業生産が、著しく増加した一方で物価も上昇し た。1918年にはC米価が急上昇して米騒動が起こり,初の本格的な政党内閣として D内閣が成 立した。このころ,中国やE朝鮮では反日運動が発生し,インドでもF からの独立を目指す動 きが高まった。日本国内では大正G 動きが高まり, I25歳以上のすべての男子に選挙権があたえられるようになった。 いちじる じょうしょう こめそうどう ちょうせん たいしょう と呼ばれる風潮の中,H部落解放運動や普通選挙を求める さい 下線部Aについて, 日本がドイツから権益を引きついだ地域を,次の[ ]から一つ選びなさい。 [ 山東省 (2) 下線部Bについて,資料1をもとに,第一次世界大戦中の日本の輪出額の 資料1 推移を解答欄のグラフに示し,グラフを完成させなさい。 (3) 下線部Cの原因を,「シベリア」の語句を使って説明しなさい。 (4) Dにあてはまる人物名を書きなさい。 (5) 下線部Eで1919年に起こったできごとを,次の[ さんとう りょうとう たいわん からふと 遼東半島 台湾 樺太 ] すいい らん 輸出額 年 (百万円) 1914 591 1915 708 ]から選びなさい。 五四運動 ] ぎ わだん 1916 1127 こうかとう 江華島事件 いち [ 義和団事件 三一独立運動 1917 1603 (6) Fにあてはまる国名を書きなさい。 (7) Gにあてはまる自由主義的な風潮を,カタカナで書きなさい。 (8) Hを進めるために1922年に結成された組織を何といいますか。 (9) 下線部Iと同じ年,東京などで 放送が始まりました。 にあてはまる語句を書きなさい。 1918 1962 (「数字でみる日本の 100年」)

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現代文 高校生

これの答えは何番だと思いますか?

観光旅行というものは、そのほとんどが都市と建集の見物なのだが、そのことに気づいている人は意外に少ない。国内でも 神社仏閣や城跡巡り、そして町歩きは旅行に欠かせないし、温泉も町の風情が楽しく、温泉旅館も建築に ったものが多く て、それがひとつの魅力になっているはずだが、そうと意識することは少ない。ファッショナブルな観光スポットも、その多一 くは新しい町角の風景や揚所としてのショッピング·センターだったりするのに、目当ては商品とショッピングだと思い込ん一 の文章は、鈴木博之「都市へ」の一節である。これを読んで、後の問い(問1~6)に答えよ。なお、設問の都合で本文の一 段落に1|~|2の番号を付してある。(配点 0) でいる。ヨーロッパ旅行なら、まず都市巡りがその中心になり、都市巡りは町歩きそのものということになる。 そこで目に一 しているのは、町並みと建築物ばかりといってもよいのだが、それもまたあまり意識されない。 。われわれが観光旅行を都市·建築見物旅行といわないのはなぜなのだろう。 たぶん、旅行では町や建築も見るが、その ー1 3たが、はたして町や建築は単なる器なのだろうか。「だとえばゴシックの大聖堂がある。明らかにそこには中世の精神世界ま」 でもが、造形的に表現されている。さらにいうならば、ヨーロッパの都市は、彼らの精神がつくり上げたものであり、その精一 なかにある遺物や、商品、あるいはそこにまつわる歴史やユイー名ョのにうが大切で、町や建築は器にすきないからだという 気持ちがあるからだろう。 神を体現したものなのだ。魅力的な都市は町並みと建築が美しい町ばかりだ。パリもロンドンもウィーンもパルセロナもブダ ペストも、みな例外ではない。 +けれとも、それでは都市と建築にはいったいどのような精神が込められていて、それは町のどこを眺めれば解るのだと問い詰一 ーロ B められると、答えはすぐには出てこない。町により、建築によってその現れは異なるからだといってみてもおなじことである。 レ 5|ひとつの答えを用意してみよう。ヨーロッパにおいては、それは廃壊、遺跡といった概念だ。 、ヨーロッパには明らかに廃 壊や遺跡が多い。とくに古代ローマの遺跡は、驚くほど広範囲にヨーロッパ中を覆っている。スコットランドに行っても、 あるいは東欧に行っても、ローマの遺跡に出会う。そこにヨーロッパ世界の拡 がりを感じることになるのだが、遺跡というものがそもそもヨーロッパ的な存」 在であるように思われるのだ。 6|石やレンガで建物をつくればそれが時代とともに廃壊となり、遺跡となる のはあたり前だといえるかもしれない。しかし、そうした建設材料の特質だけ」 が廃媒や運跡をむのだろうか。ヨーロッパの建築や都市は、生まれたときか」 らそのなかに廃壊や遺跡の葬を含んでいるのではないだろうか。これはとくに 日本人であるわれわれの感覚に照らして考えてみたい点だ。 い 日本の社寺は手をかけていなければ、消えて山野に戻ってしまうし、町や一 建築も、「方丈記」や『徒然草」を思い起こすまでもなく、どこかしら 「仮の 宿り」、あるいは「うたかたの嘘」の風情を漂わせてきた。「終の概家」 うような表現にも、移ろいつづけた果ての住居という心が垣間見られて、か えって無常を感じさせるのである。つまり、われわれの町や建築は根本的に一 仮のもの、移ろいゆくものという精神の上に成り立っているかのようである。 そこからは名残の風情、名のみが残るという精神が浮かび上がる。木造建築 によって生み出される町の伝統がそうした名所意識を生んだのだろうか。 ローマの古代遺跡 ヨーロッバでは、古代遺跡と現代都市が同居する 町が多い

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