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国語 中学生

答えがないので(6)の記述合ってるかどうか教えて頂きたいです🙏🏻🙏🏻 ちなみに私が書いた答えは、「じぶんだけの世界に親しいひとをひきずりこんで経験を共有する」です

分·標準25分 クラス へ そして、わたしは、そういう密室の交換がこれからの家庭ではたいへ んだいじなことであるような気がする。 人間がことばで表現できるものは、きわめてかぎられている、と哲学. Sや 者はいう。それは家族のなかの人間関係についても真実だ。夫婦、親子じ 毎日顔をつきあわせておしゃべりは果てしなくつづけられているけれど も、それによって、はたしてお互いがどれだけ「理解」しあっているか 3% は、わからない。相手の心の深い部分が、どんな構造になっているのか は、ほんとうに、見当がつかないのである。 7 その見当のつかない部分を知ることはできないし、また、知る必要も 蒙族 ない。「個人」どうしのつきあいというのは、そういうものなのだ。 しかし、一 はな もしも、その心の奥深い部分をつくっているもののひとつが書物である とするならば、まえにのべたような理由によって、お互いの書物を交換 することが家庭のなかで考えられてもよいのではないか。 ンS 8 書物を交換する、というのは、じぶんの体験した異質の世界を見せあう ということである。そして、だれにでも経験のあることだろうが、自分 回と が読んでみて、ほんとうにいい本だ、と思った本は、ひとにも読ませた J くなるものだ。読んでいるあいだは、完全にじぶんだけの世界だが、そ の世界に、じぶんの親しいひとをひきずりこんで経験を共有したくなる のである。そういう経験の交換が、家族のそれぞれの読書生活のなかで おこなわれるのは、すばらしいことだ。 9 ひとの日記や私信を読むのは失礼なことだ。だが、書物は、いっぽう で私的でありながら、他方では共有のゆるされるものである。夫婦のあ いだで、あるいは親子のあいだで、お互いの本をとりかえて読むことで 家族は個人を尊重しながら、相互のより深い理解への道をあゆむことが VS できるかもしれない。 (加藤秀俊「暮しの思想」による) 6 文章中に お互いの本をとりかえて読むことで、家族は個人を尊重- ながら、相互のより深い理解への道をあゆむことができるかもしれない とあるが、このようにいえるのはなぜか。次の文の一 ]に入るように、 「世界」「経験」ということばを用いて、二十五字以上、三十字以内(句 読点も字数に教数える)で普け。 お互いの本をとりかえて読むことで、 ことになるから。 しさんだけの世界に熱しsかとをひサ、ず り こkて径取を共有す3 E この文章の内容と合っているものを、次のア~エのうちから一つ選び、 性 33

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現代文 高校生

答えは⑤です。 解説お願いします。

地球温暖化問題においては、問題が起きる前に手を打つ「予防原則」の立場から、気候変動条約や CO2削減といった様々な政策的 論が不確定なうちに政治が動き出した」との印象を抱き、研究の不備や政治的偏向を主張したりして (ト) ソチが動き出しました。 結果として、反対する人は「科学的な結 論争が続くことになったのです。 このような状況を否定的に捉えて、政治論争が起きるような学問はまともでない、政治的中立性が ないとの結論に飛んでいく人もいます。あるいはその逆で、科学的な検証を行って出した答えに反対 する人がいるなんて信じられない、 x ではないと叩く人もいます 私自身は、カントのように、論争の存在自体をY に捉える立場です。それも、彼よりは一歩踏 み込んで、ある学問が人間社会に関わる切実な対象を扱うほどに、その一Z な論争と、政治的論争 との間の境目が不明確になっていくのはやむを得ないし、だからこそ論争が必要だと思っています それは、人間の認識能力の不完全さと、対象の複雑さとが合わさったとき、何らかの政治性が生まれ てしまうことは避けがたいと考えているからでもあります(なお私は、「政治的(political)であるこ 」と「党派的 (partisan)であること」を区別しています。前者は「市民生活においてどの価値を優 先するか」ということ、後者は「誰の味方か」という人間関係的な側面のことです)。 完全に世界を認識し、記述できるシステムはありません。もしそ れ以外のものは

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現代文 高校生

・「他人との間の距離」はどのようなことか説明せよ。また別の表現で言い換えているところを抜き出せ。 ・「丁寧はまだ一通りだが」とはどういうことか。 答えを教えてください!

75 敬語への自覚、 他者への自覚 五貫語の世界 76 日 口盟S判除 敬語への自覚、他者への自覚 別に年寄りを尊敬しろということではない。今の日本で「誰を尊敬すべきか」ということ になったら、そんな社会的基準はないも同然で、それは個人的な価値基準にゆだねられて これからの日本語にとって重要と思われるものは、私の場合、「敬語への自覚」である。 いる。しかし、人と人との間には、親疎の距離が常に存在している。人は生きている限り、 「初対面の人」と出会う可能性を常に持っている。どのような背景を持っているか分から」 stalker ない人間と予備知識なしに出会って、それでいきなり親密な関係を成り立たせられるわけ 1ストーカー (英語)特定の人につ きまとうなどの行為を 繰り返す者。 でもない。ストーカーや通り魔殺人のようなものが平気で横行してしまうということは、 それをする人間に「他人との距離」という発想がないからで、そのようなつまらない不幸 2通り魔通りすがりの を防ぐためにも、「他人との間の距離」を再確認するべきだろうと思い、そのために敬語 人に不意に危害を加え の存在を自覚すべきだと思うのである。 敬語というものは、社会的な地位Iすなわち力関係だけによって発生するものではな い。それは、正体の知れない人間との間に距離を設定してしまうものでもある。だから、 仲間同士の会話が弾んでいるところに入り込み、丁寧口調で話を続けていれば、「水くさ いやつ」とも思われる。積極的に親近感を成り立たせたいのなら、相手と同じ言語を使え 丁寧」はまだ一通 りだが」とは、どのよ うなことか。 ばいい。しかし、相手と交わりたくなかったら、終始距離を取って、敬語で通す。 寧」はまだ一通りだが、そこに尊敬の度合いが大きくなればなるほど、相手との距離は大 「言葉が自分の内側 に傾けば」とは、どの ようなことか。 きくなる。「あなたとはあまり接近したくない」という意味が、相手の立場を過剰なほど に尊重する敬語だというのが、人間関係を重要視する日本語の素晴らしいパラドックスだ と思う。敬語の重要性は、「他者との距離」という点で、再確認されるべきだろう。 Mモノローへ monologue(語) 相手なしに一人で言う 台詞。独白。 言葉というものは、自分とその外側との境に存在するものである。自分の内部だけに留 まるものではないし、自分を置き去りにして、外部で独り立ちするものでもない。言葉が " 自分の内側に傾けば、それはモノローグになる。モノローグがある種の共通性を獲得して、 〈キーロー2) ★パラドックス 限られた範囲で流通してしまえば、それは方言になる。方言は、地域的なモノローグなの →くーか だ。「方言の重要性」が今の時代に言われたりもするのは、自分をより濃厚かつ明確に語 ★他者 →隠ベージ ★方言 →幅ページ 女共通語 →Mページ るための言葉が必要とされているからだろう。方言に対する共通語は、「他者との交流」 という必要から生まれた言葉である。だからその重点は、自分の外側=他者にある。他者 5 との関係に比重を置く言語によって自分を語るということは、自分を希薄にすることでも 横行する >水くさい >1隠り ある。だからこそ、自分の所属が明白であるような地域的モノローグ|方言によって、 自分をより明確濃厚に語る必然も生まれる。「方言の復権」と言っても、限られた範囲で しか流通しない言葉を、共通語にするわけにもいかない。それぞれに違う共通語を話すと いうのは、矛盾というものだ。

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