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歴史 中学生

日本歴史人物で自信がないので、教えてもらえないでしょうか。 他にも語呂がいい覚え方があったら教えてください。 お願いします。

年 ② 1192年 かまくら ばくふ へいし せいいたいしょうぐん 年 1147~1199年 鎌倉に幕府を開いた 平氏との戦いに勝ち、征夷大将軍となり政治をつかさどった 3 1185年 だんのうら へいし ほろ みなもとのよりともしき ほろ 1159~1189年 壇ノ浦の戦いで平氏を滅ぼした 兄の源頼朝の指揮のもと、 平氏を滅ぼした。 4 1221年 代 じょうきゅう らん みなもとのよりともつま よりとも ばくふ じっけん 1157~1225年 承久の乱で武士を団結させ勝った 源頼朝の妻。頼朝の死後、幕府の実権をにぎった。 年 ⑤ 1274 年 1281年 ぶんえい えき こうあん えき げん しゅうらい げんこう 年 1251~1284年 文永の役 弘安の役 2度にわたる元軍の襲来 (元寇) を退けた。 6 1274年) 1281年 ぶんえい えき 「こうあん えき ていこく げん しんりゃく 1215~1294年 文永の役 弘安の役 モンゴル帝国(元)の王。 勢力を広げ日本も侵略しようとした。 7 1397 年 三代 きんかくじ むろまちばくふ しょうぐん みん けんりょく 1358~1408年 金閣寺が完成した。 室町幕府の三代目将軍。 中国 (明)との貿易で利益を得て強い権力を持った。 年 ⑧8 1467年 おうにん らん いんきょ あしかがよしみつ ひがしやましょいんづくり ぎんかくじ 年 1436 ~ 1490年 応仁の乱が起こり、隠居した 足利義満の孫。 京都の東山に書院造の銀閣寺を建てた。 9 1486 年 さんすいちょうかん すいぼくが 1420 ~ 1506 年 山水長巻を完成させた 中国で水墨画を学び、 日本風の様式に完成させた。 10 1520 年 かいきょうこ だいこうかい こうかいしゃ ? ~1521年 マゼラン海峡を越えた 大航海時代のポルトガルの航海者。ヨーロッパから初めて太平洋を横断した。 11 1549年 かごしま でんらい せんきょうし かごしま ながさき ふきょう 15061552年 鹿児島に上陸 キリスト教伝来 スペインの宣教師。 鹿児島、長崎、 山口、京都などで布教活動をした。 12 1575年 かつより ながしの のぶなが 1521 ~ ・1573年 死後、子の勝頼が長篠の戦いで信長に敗れる おだのぶながとくがわいえやす 戦国時代の大名。織田信長や徳川家康と対立していた。 年社会社 太政大臣 より力をもって 文字で 貴族の 源氏物語 の 女性の作家 とつがせ 枕草子 の世 自分の娘を 日本に伝えた くたびの荒波越え 大仏づくりも手伝 教と人々を救う 大仏つくす れた世 仏の力で 大化の改新 我倒し 藤原姓を 大化の改新 我倒し 天皇となり 隋のこと知る 好子から使いに出 憲法定めた 皇が中心となる 邪馬台国の まじないを使って で登場した歴史人 鎌倉幕府の たちを従え征夷 日本風へと変 をつかって描く 義満の孫 ( 銀閣建てた 将 金閣建てた 時代に権力 幕府の執権 二度にわたって 兄に追われ ●浦 平氏ほろぼす m 他をす 政治引き継ぎ 一目指した( 大名も寺も スト教を伝えた 人はるばる日

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作文 高校生

ファイルの文章を200字で要約しました。 「著者は最近子どもを見ると、子どもたちの老いた姿まで想像し、ろくなものにはなるまいという思いが浮かぶという。特に小学生の低学年くらいの子どもはあどけなさが薄れ、個人というものが現れてくるため、一番無残に思えると述べている。その... 続きを読む

子供の未来 最近、無残に見えてしまうものがある。 子供たちの未来である。 自分が子供であったころはもちろん、若いころも、子供は好きではなかった。 子供を見るま なざしにも、はたから見れば、ずいぶんと冷ややかなものがあったと思う。 同い年ぐらいの女 の人が華やいだ声をあげ赤ん坊を取り囲むのを見ると、その女の人も不快なら、 それを不快に 思う自分も不快であった。だが、今はちがう。邪魔されない限り、可愛いと思えるようになっ た。赤ん坊から思春期ぐらいまで色気や自意識が春に木の芽が吹くように出てきてしまう まで、みなそれぞれの段階で可愛いと思う。 子供がいるとその姿を目で追い、自然に微笑むよ うになったし、自分でも驚くほど、女らしい、黄色い声をあげたりすることもある。それでい ながら、 どこかでいよいよ子供を見るまなざしが冷たくなってしまったのである。 小学 校の低学年ぐらいの子を前にしての話である。 私の住むマンションから駅まで行く途中に小学校がある。 午後早くに出かけると低学年生の 下校時に通う。女の子はよく二人づつ並んで歩き、細い首をかしげて小声で何やら熱心に話し ている。 手をつないでいるのもいる。男の子はもっと大人数で、声高で、しかも、歩くという よりも、めまぐるしく左右前後に動きながら移動している。私のおぐらいまでの背しかない のに、「おれがよう」「おまえがよう」と生意気な口をきいている。そんな光景に出会うと、知 らず知らずのうちに口元がゆるむ。 実際、栄養が行き渡った親から生まれ、兄弟も少なく大事 にされて育ったせいであろうか、私の小さいころであったら美男美女のたぐいに入る子ばかり がぞろぞろと歩いている。 少子化という日本国家の深刻な問題に思いをめぐらせれば、宝物が 目の前をぞろぞろと歩いているような有難ささえある。それでいて、折にふれては、ふいに、 寒々しい思いに捉えられるのである。 赤ん坊から幼稚園に上がるぐらいまでは、天から与えられた「あどけなさ」というのが、乳 色ののように子供をぼんやりと包み、それが救いとなる。だがやがて、その「あどけなさ」 のは薄れ、個人というものが形を出してくる。 思春期も半ばになれば、それはもう隠しおお せない輪郭をもってごつごつと現れてくる。 私には、小学校の低学年の、ちょうどその個人が おそるおそる形を出してくる時期が、一番無残に思えるのである。 私が教育を受けた時代は、 子供に未来を見いだすのがあたりまえの時代であった。 そして、 未来を見いだすというのは、社会のありかたによって、すべての子供をいくらでも伸ばせると 考えることでもあった。 113 子供の未来

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