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歴史 中学生

中2の歴史です。 分かるとこだけでも教えてください🙏🏻

1 だらだの .…. 1787年, 老中松平定信が始める。 朱子学以外の学問を禁止。 生活難から救うため、旗本や御家人の借金を帳消しする。 江戸に出かせぎにきた農民を村に返して耕作を促す。 ききんに備え、各地に米をたくわえさせる。 きびしすぎて反感をかい, 十分な効果はあがらなかった。 (3) 外国船の接近 ロシア・イギリスなどの船が,通商を求めて日本に接近。 ごく きょ ひ 幕府は鎖国を理由に拒否。 わん → 北海道や江戸湾の警備を強化。 こんどうじゅうぞう → 近藤重蔵や させる。 ちしみからふき 2 に、千島樺太を探検 1825年, 3 こうぽぎ ・・・日本に近づく外国の船への攻撃を命令。 を出す。 ひょうちゅうみん 漂流民を引き渡そうとしたアメリカの商船を砲撃する。 モリソン号事件 1804レサノフ 1853プチャーチ 1808フェートン ぱんしゃ 蛮社の獄… 異国船打払令を批判した蘭学者を幕府が処罰。 高野長英や渡辺崋山 ht: A | ロシアの | イギリスの 「アメリカ船の航 数字は前年 ゴロ 1842年, 異国船打払令をやめて、 外国船に物資をあたえるよう命 じる。 聞かざる 1262. 非難はなしよと 寛政の改革 EL D 祖父である。 第8代 将軍徳川吉宗の政 治を理想とした。 イギリス 37: 8909 1792 18.54 プチャーチン マン 江戸 [1837 モリソン号) 1830 1849 イギリス アメリカ 合衆国 ★日本に接近する外国船 なぜ? アヘン戦争でイギリスと戦っ しん。 たが敗れたことで、 欧米諸 国の強さを知ったから。

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生物 高校生

2番で、何故記憶細胞として体内に残ったのがT細胞かB細胞かわかるのですか????? 多分くだらない質問だと思うのですが、回答お願いします🙇‍♀️

■116.免疫のしくみに関する次の文章を読み、以下の問いに答えよ。 問いに 黒い皮膚のマウス (a)と白い皮膚のマウス(b) を用いて以下のような皮膚移植の実験を行った。た だし, (a)と(b)はそれぞれ同じ系統のマウスである。 ① (a)のマウスどうし, または(b) のマウスど うしの皮膚移植を行ったところ,両方と も移植した皮膚は定着した。 (b) 移植 ② (a)のマウスの皮膚を(b)のマウスに移植し たところ,移植片は脱落した。 ③ ②の実験の後, (b)の同じ個体に(a)のマウ スの皮膚を再び移植したところ,移植片 は ② のときよりも早く脱落した。 (1) ① では, リンパ球が移植片の細胞を攻撃しなかったため, 移植片は定着した。 このように, 自己と同一のものに対して免疫がはたらかない状態を何というか。 移植片は 脱落した。 移植 移植 [リード C + 脱落 (イ) ② の処理で, T細胞の一部が記憶細胞として体内に残ったため。 (ウ) ③の処理で, B 細胞の一部が記憶細胞に変化したため。 (エ) ③の処理で, T細胞の一部が記憶細胞に変化したため。 (オ) ③の処理では, ② のときと異なる抗原に反応したため。 (1 移植成功 移植片は ② より早く 脱落した。 脱落 [免疫寛容] (2 ③で移植片が早く脱落した理由として最も適切なものを、次から1つ選べ。 [イ〕 (ア) ② の処理で, B 細胞の一部が記憶細胞として体内に残ったため。本 第3章 ヒトの体内環境の維持

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看護 大学生・専門学校生・社会人

看護学校の過去問なのですが答えが無く、学校も既卒のため解答の入手が出来ません。助けて下さい🥹 漢字などの調べれば分かる箇所は自分でやりますので読解系のものをお願いします🙇‍♀️🙇‍♀️

国語 (解答はすべて解答用紙に記入すること) 埼玉医科大学附属総合医療センター看護専門学校 一次の文章を読んで、後の問いに答えなさい 概念を表す抽象的な言葉を扱うことが、苦手であること。これはどの言語を用いるどの国の人にとっても、同じことかもし れません。その上、明治維新を中心に一気に増えた近代の翻訳語が、いかにも新しい、先進的な、ありがたいものとして特別 な位置を与えられたことは、やはり日本人の言語に(1) 大きな影響を与え続けているように思います。その事情をもう少し解 きほぐしてみます。 抽象的なことばを前にすると、思考や判断の停止が起きやすい。 正しそうで権威あることばであればあるほど、その正しさ を、自分の熟知している具体ときっちり照らし合わせることを怠るわけです。 (2) 安心し油断して、その言葉を生煮えのまま 呑み込んでしまいます。その「正しい」理論や概念を自分の具体に下ろして何事か実践しようという時がくると、 「正しさ」 こそが更なる安心や油断を生みます。 具体化が確かに意味のあるものとなっているか、という検討が甘くなる。 概念語の空転 が起きるわけです。 歯車がきちんと噛み合わないまま、 不確かな震動だけが伝わる、というような状態です。 こうしたことを避ける方法の一つとして、大村はまは(3) 「やさしいことば」を大事にさせたわけです。 抽象度の高い議論、 複雑で難解なことでも、やさしい、ちゃんと身についたことばを介在させて、なんとか理解しようとし、表現し伝え合えるよ うに、と願ったのは、偉そうな顔をしたことばに飲み込まれないためでもあります。 偉そうな抽象語が空疎に使われている時 には、その空疎さに気づけるという力も育ちます。 これは話し言葉についても、書き言葉についても同じです。 「難しげ」な 抽象語が人の脳を空回りさせること、わかったようなわからないような、半端な状態に(a) オチイらせることを、大村は中学 生を教えながらいやというほど見続けていました。 その空転に気づかせることが、ことばの精度を上げるための第一の入り口 になっていたと思います。 「やさしいことば」で言えないことは、本当にはわかっていないことなのかもしれません。 ちなみに、私は比喩を多用していることは自覚がありますが、それも、抽象語がもたらす早すぎる納得と受容を破ろうと、 小さい爆弾を投げ込んでいるような気持ちなのです。 そして、元をたどれば、大村はま自身が比喩を巧みに用いる人でした。 使い古されて(A)並になってしまった比喩はたいして役に立ちませんが、表現力を伴った比喩は思考の空転を防いでいた のです。 理論と実践、抽象と具体の繋ぎの不確かさは、教育現場でもしばしば見ます。国から出た (b) シシンにも、さまざまな研究 者による論文にも、「なるほど、そうだ」と思う知見が確かにあります。 しかし、それが、生きた子どもたちがずらりと居並 ぶ日々の教室で、実際に、確かに、意味のある変革を生み成果をあげることに結びついているか…..……。 そこの(c) 脆弱性はか なり深刻だと思います。優れた理論が優れた実践と成果につながるという保証はない、ということ。 大村はまはその大いなる 弱点を現場人として痛感するからこそ、実践に徹するという姿勢を貫いたとも言えます。現実の厳しさを見切った結果でしょ う。 逆方向((B)から(C)する場合)でも、不確かさはつきまといます。たとえば話し合うことの大切さを子どもに知 らしめたいというのは、たいへん真っ当なことです。そのために日本中の教室でなにかにつけて話し合いをさせますが、その まとめとして「今日の話し合いはどうでしたか?」という教師の問いに、子どもはまず間違いなく「お友だちのいろいろな意 見を聞くことができて、良かったです」 というような返答をするわけです。 友だちのどの意見のどの部分を、どのように捉えた結果、「良かった」というのか、それは曖昧ですし、実はそんな実態な どまるでないという可能性もあります。話し合えて良かった、という着地点が最初からあって、それをなぞっているだけであ ることが多い。望ましい結論が最初から期待されていることを、子どもはかなり幼い頃から理解していて、目の前のあれこれ の具体的なものごとを自分の目で捉え理解する際に、知ってか知らずか、(4) 大きな圧力を受けているのだと思わずにはいら れません。期待された通りの抽象語を使って一般化するわけです。 そういう(5) 内実を伴わない発言は、言うだけ空疎さを深

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