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22 はじまりの 広島市中学 you E 絵の作者も、ある日、ここに立って辺 りを見たのだろう。同じ場所に今、自分 も立っている。作者が描いたのと同じ角 度から、風景を見ている。 この発見に、 レンは、ちょっとうれしくなった。ふわ りと、風が吹いてきた。やわらかな春の風 は、レンの髪をゆらして過ぎていった。 作者がここに立った季節は、いつだっ たのだろうか。レンにはわからない。な ぜなら、絵の中のいちょう並木は、ピン 青と緑と黄色で描かれていたからだ。 かなり大胆な色使いだが、作者の心には、 そのように映ったのだろう。きっと、 実 際の風景と、作者の想像の風景とが重な 合って、あの絵が生まれたのだ。 3 ③「絵の中のいちょう並木」とありま すが、レンはこの絵をどのような絵だと 考えていますか。 次の文の空に当ては まる言葉を、文章中から二十三字で抜き 出して答えなさい。(文字数には句読点も ふくみます。) 生まれた。 ④「かなり大胆な色使い」とあります が、レンが絵の色使いを「大胆」だと感じ た理由として最も適切なものを次から び、記号で答えなさい。 春のおだやかな光の中を、レンは、さ っきよりもずっと軽い足取りで、いちょ う並木を抜けて家に帰った。 [1] 『はじまりの風』より ア 絵の作者がどの季節のいちょう並木を描 いたのかわからなかったから。 イ 実際のいちょう並木の色からは考えられ ない思いきった色使いだったから。 「この発見」とありますが、どのよ うな発見ですか。 次の文の空欄に当ては まる言葉を、文章中からaは四字、bは には句読点もふくみます。) 十四字で抜き出して答えなさい。(文字数 ⑥「そのように映った」とあります が、何がどのように映ったのですか。 二十五字以内で書きなさい。 ウ 春のいちょう並木の色としては間違った 色使いだったから。 自分が今、 aと同じ場所に立って、 という発見。 B TP: ⑥ 2-2 「ちょっとうれしくなった」とあり ますが、レンが「うれしくなった」ことが よくわかる現を、文章中から十四字で 抜き出して下になさい。 字以内で書きなさい。 ⑥「いちょう並木を抜けて家に帰っ た」とありますが、このときのレンの気持 ちを、「......気持ち」につながる形で、五 答えはまたは最後にあります。 探してね。

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作文 高校生

ファイルの文章を200字で要約しました。 「著者は最近子どもを見ると、子どもたちの老いた姿まで想像し、ろくなものにはなるまいという思いが浮かぶという。特に小学生の低学年くらいの子どもはあどけなさが薄れ、個人というものが現れてくるため、一番無残に思えると述べている。その... 続きを読む

子供の未来 最近、無残に見えてしまうものがある。 子供たちの未来である。 自分が子供であったころはもちろん、若いころも、子供は好きではなかった。 子供を見るま なざしにも、はたから見れば、ずいぶんと冷ややかなものがあったと思う。 同い年ぐらいの女 の人が華やいだ声をあげ赤ん坊を取り囲むのを見ると、その女の人も不快なら、 それを不快に 思う自分も不快であった。だが、今はちがう。邪魔されない限り、可愛いと思えるようになっ た。赤ん坊から思春期ぐらいまで色気や自意識が春に木の芽が吹くように出てきてしまう まで、みなそれぞれの段階で可愛いと思う。 子供がいるとその姿を目で追い、自然に微笑むよ うになったし、自分でも驚くほど、女らしい、黄色い声をあげたりすることもある。それでい ながら、 どこかでいよいよ子供を見るまなざしが冷たくなってしまったのである。 小学 校の低学年ぐらいの子を前にしての話である。 私の住むマンションから駅まで行く途中に小学校がある。 午後早くに出かけると低学年生の 下校時に通う。女の子はよく二人づつ並んで歩き、細い首をかしげて小声で何やら熱心に話し ている。 手をつないでいるのもいる。男の子はもっと大人数で、声高で、しかも、歩くという よりも、めまぐるしく左右前後に動きながら移動している。私のおぐらいまでの背しかない のに、「おれがよう」「おまえがよう」と生意気な口をきいている。そんな光景に出会うと、知 らず知らずのうちに口元がゆるむ。 実際、栄養が行き渡った親から生まれ、兄弟も少なく大事 にされて育ったせいであろうか、私の小さいころであったら美男美女のたぐいに入る子ばかり がぞろぞろと歩いている。 少子化という日本国家の深刻な問題に思いをめぐらせれば、宝物が 目の前をぞろぞろと歩いているような有難ささえある。それでいて、折にふれては、ふいに、 寒々しい思いに捉えられるのである。 赤ん坊から幼稚園に上がるぐらいまでは、天から与えられた「あどけなさ」というのが、乳 色ののように子供をぼんやりと包み、それが救いとなる。だがやがて、その「あどけなさ」 のは薄れ、個人というものが形を出してくる。 思春期も半ばになれば、それはもう隠しおお せない輪郭をもってごつごつと現れてくる。 私には、小学校の低学年の、ちょうどその個人が おそるおそる形を出してくる時期が、一番無残に思えるのである。 私が教育を受けた時代は、 子供に未来を見いだすのがあたりまえの時代であった。 そして、 未来を見いだすというのは、社会のありかたによって、すべての子供をいくらでも伸ばせると 考えることでもあった。 113 子供の未来

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