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国語 中学生

国語がほんとうに苦手です、特に自分で文章を作る時です。この問題の場合、皆さんならなんて書きますか?写真見にくくてすみません…

(品) 基本1 ー 石どうしをぶつけて石を割るのは、容易なことではありませんでした。 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。 では成功しましたが、その先がさっばり分かりませんでした。ただ割っただ けの石を、どうやって「石器」へと至らしめるのかー|子どもの私たちには、 その知識と技術がなかったのです。大きな石を割ることさえも大変で、それ』 を実現させた私たちは、「その先」が自分たちの経験したことよりもずっと ずっと大変なことになるであろうということを、経験的に察知しました。そ の結果、石器作りは挫折して、私は今に至るまで、「石器の作り方」を知ら ないままです。 子どもの私たちが完成を目指したのは、新石器時代の「磨製石器」と言わ0 れるものです。私は「石斧」のようなものを作ろうとしていました。しかし、 私たちの作ったものは、旧石器時代の「打製石器」にも至らないものです。 「物を作り出す」ということに関して、私たちは旧石器時代人以前だったの ですが、私たちより進んでいた旧石器時代人だって、打製石器を磨製石器に 変える技術を持っていませんでした。それが可能になれば、旧石器時代は終垣 わります。でも、それがなかなか可能にならなかったから、旧石器時代は何 千年も続いたのです。 m今の私たちは「作る」ということに関してあまりにも鈍感になっていて、 「作る」ということが、無数の「出来ない」を克服した結果なのだという ことを忘れています。作ることに失敗したら、その結果は「出来ない」で、a 「作れない」なのです。「作れた!」「出来た!」というのは、その困難を乗 り越えた結果の達成で、だからこそ「出来上がったもの」には、「出来上が るまでのプロセス」が刻まれているのです 、握り拳の倍以上もある大きさの石は、ともかく割れました。そこま おの (橋本 治「人はなぜ「美しい」がわかるのか」から)

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歴史 中学生

これって何のテキストか分かる方いませんか?

21外交 ① 中国 年表を完成しましょう。 おもなことがら 「時代 年代 を受ける こん 奴国が後漢に使いを送り。 の 57 *まいこく 邪馬台国の女王2 が趣に使いを送る 239 百済の王がわが国にの を伝える 代墳 538 (552) うとくたいし 607 聖徳太子がの を盾に送る 唐ち すトらのみちざね 遣唐使を送る(~894年。 菅原道真の意見で停止される) 平清盛,日宋貿易を始める けんとうし 630 宋 高 からのきよもり 1180 ぶんえい えき 元気 時鎌1274 代倉1281 文永の役 こうあん 6 弘安の役 あしかがよしみつ 1404|| 足利義満, 時室 代町 かんごう (勘合)貿易を開始する 0元軍と戦う武士 明え 時安 代王 桃1597 ぶんろく えき 1592 文禄の役 での とよとみひでよし しんりゃく 豊臣秀吉が を侵略する けいちょう し慶長の役。 とくがわいえやす 1607 徳川家康が国交を回復し, ® が江戸に来る きこく 1639| 鎖国の完成(オランダと中国とは長崎で貿易を続ける) 1894 戦争が始まる(~95) 1895| 下関条約で清と講和する 清え ヘいごう 1910 10 併合(~45) まんしゅう 1931 満州事変が始まる 1937 日中戦争が始まる(~45) にっかん 1965 日韓基本条約を結ぶ O下関での講和会議 1972 日中国交正常化 1978|| 日中 条約が結ばれる 1Jnらい 新羅(しらぎ) (台湾) 1く H三国時代 管 昭和時代

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現代文 高校生

志望校の入試問題の過去問をやってるのですが、答えがなくて教えて欲しいです

14:02 | 100% 文書(2) - 保存済み 現代文 感染者の家にはもれなく病名を書いた札を貼るべし。 明治半ば、政府内でそんな意見が強まる中、反対の声が上がる。 「それは酷だ。①国民はだれも感染予防に協力しなくなる」 反対派の代表は内務省の衛生局長だった長与専斎である。 ながよせんさい いわくらともみ 藩医の家系に生まれ、岩倉具視率いる使節団の一員として欧米を視察。 病気の予防を個々人にまかせる日本流とは違い、 政府や自治体がAジンリョクしていることに感銘した。 日本には存在しない公的な健康保護の仕組みをどう広めるか知恵を絞った。 呼称として「養生」「保健」が浮かぶが、しっくり来ない。 選んだのが中国の古典にあった「衛生」。 B字面が高雅で語感も悪くない、とのちに説明した。 各自治体に「衛生委員」を置いて、今の保健所に近いCケンノウを与えた。 悩みのタネは3との分業だ。 感染症が急拡大するたび、患者の強制隔離や近隣封鎖が増える。 2コレラが猛威をふるった年、[3の過剰介入に異を(④)えたが、D阻まれる。 よほど不本意だったらしく、その年の経験を自ら「明治 19年の頓挫」と読んだ。 専斎の業績に詳しい小島和貴桃山学院大法学部教授(50)によると、 役所が感染者をまるで犯罪者のように扱う危うさを専斎は見抜いていた。 「官と民の協力こそ感染症を抑える最善の策だと確信していたからです」 現下のコロナ禍でも政府の対策に強圧の影がのぞく。 風浴営業法を根拠にして警察を店に立ち入らせるのは果たして良策か。 後世に「コロナ期の(⑤)」と嘆かれたくはない。 田

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