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経営経済学 大学生・専門学校生・社会人

経済の問題です。 (5)が分かりません。やり方を教えて頂きたいです!

問題2 第0年から第2年までの3年間を考える。第1年の物価は 100,第2年の物価 は120, 第3年の物価は150 である.第0年から第1年にかけての名目利子率は0.5で, 第1年から第2年にかけての名目利子率も0.5であった。この期間のみ生存したある家 計を考える。この家計の名目所得は,第1年が5000,第2年が6000, 第3年が6750で あったとする。このとき,以下の各間に答えなさい。ただし,率に関しては百分率(% 表記)ではなく,割合で入力しなさい。 (1) 第0年から第1年にかけてのインフレ率を求めなさい。 (2) 第1年から第2年にかけてのインフレ率を求めなさい。 (3) 第0年から第1年にかけての実質利子率を求めなさい。 (4) 第1年から第2年にかけての実質利子率を求めなさい。 (5) 第0年の実質所得の第0年における価値を求めなさい。 (6) 第1年の実質所得の第0年における価値を求めなさい。 (7) 第2年の実質所得の第1年における価値を求めなさい。 (8) 第2年の実質所得の第0年における価値を求めなさい。 (9) 現在第0年として,この家計の実質生涯所得の割引現在価値の総和を求めなさい。 (10) 現在第0年として,この家計の名目生涯所得の割引現在価値の総和を求めなさい。

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現代社会 高校生

7.8.10を教えてください。

めとはまる語句を答えて,重要語句を覚えよう。 口企業や政府に労働力を提供し,賃金を受け取る経済主体は何か。 う、 |2所得のうち,資本を融通したことに対して得るものは何か。 回家試 3財やサービスを生産·販売し, 利潤を得る経済主体は何か。 2 政 回企業 回政府 回働技 設備 回公共校 家計や企業から徴収した租税などをもとに公共サービスや公共投資を行う経済主体 3 は何か。 回生産の三要素とは何か, 三つとも答えよ。 6政府が行う経済活動のうち, 道路や港湾の整備などへの投資を何というか。 6 7生産者や企業などの売り手が,売りたいとする量を何というか。 8消費者などの買い手が, 買いたいとする量を何というか。 8 918世紀イギリスの経済学者であるアダム=スミスは, 市場メカニズムをたとえて 9 回見えざる 何とよんだか。 10商品の売り手と買い手が多数存在して, 完全に自由な競争が行われている市場を何 というか。 1独占や寡占の市場では, 価格が下がりにくくなる。 これを何というか。 回他格の下 12同じ業種や似た業種の複数の企業が, 価格の設定について協定を結ぶことを何とい うか。 回企業連合 13日本で,独占·寡占にともなう悪い影響が一般消費者におよばないよう定められ, 12を禁止する法律は何か。 S上林, AZ A

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政治・経済 高校生

こんにちは。公民の課題です。解ける方是非解いてください。

戦後の日本経済の歩みについて,(1)戦後復興期,(2)高度経済成長期,(3)安定成長期および(4)バフ ル経済崩壊から現在までの4つの時期に分けて簡単にたどってみよう。 第二次世界大戦の敗戦により,多くの生産資源を失った日本経済は大きなダメージを受け, 1946 年 の実質(a)GDP は戦争末期の6割程度にまで落ち込むことになった。(1)戦後復興期には,こうした困難 な状況のなか, 日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)の主導により, ための政策がすすめられた。政府はまた, 限られた資源を石炭·鉄鋼などの基幹産業に重点的に投入す 日本経済の民主化と近代化の る傾斜生産方式をとり, 日本銀行による債券と国債の引き受けにより資金を調達したが,通貨量の増加 は激しいインフレーションをまねいた。経済の安定化をはかるため, 1940 年代末には, 連合国軍総司 令部(GHQ)からの経済安定9原則に基づき(c)さまざまな施策がとられたものの, 一転してデフレーショ ンにみまわれ, 中小企業の倒産や失業が増えるなど深刻な不況に陥った。しかし, 1950 年の朝鮮戦争 勃発は米軍による多額の物資調達という特需を発生させ, 日本経済は戦後不況から脱却し,鉱工業生産 高や GDP が順調に増大したことから, 1956年度の経済白書には 「もはや戦後ではない」 という文言が 盛り込まれるに至った。 1955年頃から 1973年頃までは, (2)高度経済成長期といわれる。 この期間中には, 景気が後退する 局面こそあれ,(d)さまざまな背景と要因とが複合的に寄与し, 数度の長期間にわたる (e)好景気を経験し, 着実な(の経済成長により 1960年代末に日本はアメリカに次ぐ資本主義国第二の「経済大国」となった。 他方で,高度経済成長は, 公害問題や環境破壊, 都市化による過密·過疎問題, さらに社会資本整備の 立ち遅れなどのひずみをもたらしたのも事実である。 1970年代に入ると, (g)変動為替相場制への移行や (h)第一次石油危機 (オイル·ショック)などを契機と して経済成長は減速し, 世界的な景気低迷のなか,わが国は 1974 年には戦後初のマイナス成長を経験 する。こうして高度経済成長期は終馬をむかえ, わが国は ()経済の質的転換を迫られることとなった。 賞その後の日本経済は, 国際競争力をつけた製品の欧米諸国への輸出を拡大させたこともあり, 再び成長 軌道に乗った。とはいえ, 経常収支の大幅な黒字の計上は新たな懸案事項をわが国にもたらし, 特に, 貿易赤字と財政赤字という「双子の赤字」 に苦しむアメリカとの間の日米貿易摩擦は深刻化した。わが 国単独での,あるいは世界各国と協調しての()当該問題への官民を挙げた対応は為替相場の安定に一定 の役割を果たしたものの, 低金利という副産物を日本経済に残した。 低金利は (k)バブル経済(景気)の一 要因となったが,実態を反映しない虚構の産物であるバブルはほどなくして崩壊する。第一次石油危機 (オイル·ショック)後のマイナス成長から回復した 1975年頃からバブル経済が崩壊する 1991 年頃ま で,実質経済成長率が安定的に推移した時期を(3)安定成長期という。 (4)バブル経済の崩壊から現在までの期間の前半となる 1990年代, 日本経済は長期にわたる深刻な不 況にみまわれ, 「の失われた 10 年」とよばれる停滞期を過ごした。 その後, 2000年代以降現在までの 期間においても, 日本経済は(m)さまざまな経済構造の改革や変容を経ながら, これまで同様にその時々 の喫緊の課題に対処している。

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