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数学 中学生

1の(イ)の日本との時差の問題の 解き方がわかりませんʕ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ•̫͡•ʔ•̫͡•ʕ•̫͡•ʔ 教えてください!

優 10. D Q d 8. Yとd 社会 ●満点 100点 1 度ごとに引いたものである。 略地図 の各問いに答えなさい。 なお、略地図中の緯線は赤道から, 経線は本初子午線からそれ Kさんは、次の略地図中にある国々について調べ, メモを作成した。これらについて ●時間50分 緯度の範囲 X 北緯30度から南緯15度まで Y 北緯15度から南緯30度まで 日本との時差 a 1時間 b 2時間 C 4 時間。 d 6時間 1. X a 2. Xb 3.X とc 4.Xd 5. Yと TA ○ 日本には、 印で表された風の影響 夏には暖かく湿ったた 6. Ytb (ウ) 線②について述べた文として なさい。 7. Yc す あ をこえる 運ばれます。 また、 近海には、水深が800 ←D ます。 で示されたA. どの国はASEAN 国 ( 2023年末現在) います。 o Bの国では、植民 配にともなって布教さ 宗教の信者が多数を占 います。 (ア)あうにあてはまる語句の組み合わせとして最も 適するものを次の中から一つ選び、その番号を答えなさ い。 ードを取り飴 1. あ: P い : 海溝 う 太平洋 2. あ: P い:海溝 う: 大西洋 3. あ: P い: 大陸棚 太平洋 : 4. あ: P い: 大陸棚 大西洋 う: 5. あ:Q い: 海溝 う: 太平洋 6. あ:Q い:海溝 う:大西洋 7. あ: Q い: 大陸棚 太平洋 う: 8. あ: Q い: 大陸棚: 大西洋 ○ Cの点線で領域が 国は、三大洋の う る にあります。 1. シャカがひらいた宗教で, 中国 2. 教典の「コーラン」にもとづく 3 スペイン語やポルトガル語を公 4. 牛が神聖な動物であると考えら (右の写真は、Cの点線で領域が示 示したものである。 この国について も適するものを次の中から一つ選 えなさい。 1. 国土がさんご礁でできているた んで、波による海岸の侵食が進ん 2. フィヨルドとよばれる地形がみ に海水が深く入り込んでいる。 3 夏に永久凍土が解けることで が傾いたりするなどの問題がおこ 梅雨による大雨の影響で、土砂 4 (オ) 次の資料X, Yとできごと a ~c 一つずつ選んだときの組み合わせを X 世界の面積と人口 ○Dの国は, オセアニア に属しています。 近 ③オセアニア州の国々に アジア州の国々との結 きを強めています。 00 資 bm) 料 面積 アジア 23.9%. 北アメリカ 16. アジア 59.5%, 人口 北アメリカ 7.6% ものを次の中から一つ選び、その番号を答え 日本に伝わった。 に関わる細かい決まりがある。 南北アメリカ州の国で、 信者が多い。 牛肉を食べない人が多い。 様子を写真 最 号を答 低く平た られた谷 たり建物 (毎日新聞ウェブサイト掲載資料より引用) よる被害がもたらされることがある。 一線③を示す例として最も適するものをそれぞれ 1~6の中から一つ選び, その番号を答えなさい。 割合(2020年) 22.8% ヨーロッパ 17.0%. アメリカ 13.4% オセアニア 6.5% カ 17.2% ヨーロッパ 9.6%, アメリカ 5.5% オセアニア 0.5% 「データブック オブ・ザ・ワールド 2022年版」 をもとに作成) Y オーストラリアの相手先別貿易額の割合 1965年 るとき、次のい 2022年 イギリス 22.9%, アメリカ合衆国 18.1%, 日本 13.0%, 西ドイツ 4.6%, ニュージーランド 3.7% その他 37.7% 中華人民共和国 28.2% 日本 13.6%, 大韓民国 7.7%, アメリカ合衆国 6.3%, 台湾 3.9%, その他 40.3% 6までの (1) 一線 ①を完全に含む緯度の範囲をXYから,略地図中のAの国と日本との時差を から最も適するものをそれぞれ一つずつ選んだときの組み合わせをあとの1~8の中〔〕 一つ選び、その番号を答えなさい。 ただし, サマータイムは考えないものとする。 目が出ることも (国際通貨基金ウェブサイト掲載資料をもとに作成) a オーストラリアが, APECの結成を主導した。 できごと b オーストラリアで, 白豪主義とよばれる政策がとられた。 2024年 神奈川県 (22) オーストラリアで, 土地に関する権利がアボリジニに認められた。 2024年 神奈川県 (23)

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化学 高校生

化学基礎の酸塩基の問題で、 窒素の原子量ってN₂なので28g/molだと思っていたのですが、解答では14g/molとなっていました。なぜ14g/molなんですか?

化学基礎 第2問 次の文章を読み,後の問い (問1~4)に答えよ。(配点20) 食品中のタンパク質の含有量は,一般にタンパク質中に一定量含まれ、比較的 測定しやすい窒素 Nの含有量から算出することができる。 その測定法の一つに、 食品を濃硫酸で分解してタンパク質中の窒素を (a) アンモニアの塩である (6)硫酸ア アンモニウムに一度変換し、この硫酸アンモニウムから生じるアンモニアの量を滴 定により測定することで窒素の含有量を求め,そこからタンパク質の含有量を算 出する方法がある。 この原理にもとづき、食品中のNはすべてタンパク質由来 としたうえで,ある牛乳のタンパク質の含有量を求めるため、 次の操作 Ⅰ~Ⅲを 行った。 操作Ⅰ 窒素の硫酸アンモニウムへの変換 牛乳 50mLを分解用のフラスコに正確にはかり取り,分解促進剤と濃 硫酸を加えて加熱し、牛乳のタンパク質中の窒素をすべて硫酸アンモニ ウムとした。 操作Ⅱ 硫酸アンモニウムからアンモニアの遊離 フラスコに過剰の水酸化ナトリウム水溶液を加えて加熱し, 硫酸アンモ ニウムから遊離し発生したアンモニアを, 0.50mol/Lの硫酸50mLに 完全に吸収させた。 操作Ⅲ アンモニアを吸収させた硫酸水溶液の滴定 アンモニアを吸収させた硫酸水溶液にメチルオレンジを加え,そこに 1.0mol/Lの水酸化ナトリウム水溶液を加えていったところ, AmLで メチルオレンジの赤色が ア に変化したので、滴定の終点とした。 この結果, (c)牛乳 50 mL 中の窒素から生じたアンモニアは0.020 mol であるこ とがわかった。

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国語 中学生

なぜこの答えだとダメなのか教えて欲しいです

「裸足で薊を踏んづける!」 少年時代、よく友達と遊んでいた原っぱの片隅に、美しい紫色の花の一群がありました。かなりの丈がある濃い緑色の 茎の先端に細い筒状の花びらがふわふわと広がっていて、それが春の風に揺れるのです。うまくすると、花の周囲を舞 アゲハチョウを捕まえることもできました。ただ、下手に触れるととげが刺さって、痛い思いをしたものです。 やがて、その花がアザミとよばれていることを私は知りました。漢字で書いたらどうなるのだろう。そう思って、花の 姿や名前の音にふさわしい文字の組み合わせを考えてみたのですが、なかなかうまくいかず、アザミはその後も、頭の中 片仮名の花として咲いていました。 ところが、ある日、それが「薊」という漢字になって、心に刻まれることになったのです。小学校を卒業した直後の春 休みだったでしょうか、町の図書館でたまたま手に取った宮沢賢治の本に、「種山ヶ原」と題された物語が収められてい ました。達二という名の主人公が、逃げ出した牛を山の中まで追っていく場面があって、そこにこんな一節が出てきたの です。 「ところがその道のようなものは、まだ百歩も行かないうちに、オトコエシや、すてきに背高の薊の中で、二つにも三つ にも分かれてしまって、どれがどれやらいっこう分からなくなってしまいました。」 難しい表現は全く使われていません。詩のようにきらびやかな言葉もありません。それなのに、私はこの文章の不思議 な魅力に捕らわれてしまったのです。なぜ心ひかれるのか、最初はよく分かりませんでした。しかし、何度か読み返すう ち、この一文の光が、「すてきに背高の薊」という表現から発せられていることに気づいたのです。 「すてき」も「背高」も、個別には知っていた単語です。けれど、両者を組み合わせて、アザミのような花の上に載せ るなんて、想像したことさえありませんでした。「すばらしく背の高いアザミ」と書いても、意味としては変わらないで しょう。宮沢賢治はそれを短く刈り込んで、言葉に新しい響きを、つまり、これまでにない音楽を生み出してくれたので す。 それから長い時間がたって、高校生になったばかりの頃、私は再び書物の中で、漢字の「薊」に出会うことになりまし た。梶井基次郎の「闇の絵巻」と題された短編を読んだときのことです。真っ暗な闇の中に一歩を踏み出す勇気を、主人 はこんなたとえで表現していました。 私は呆然としました。裸足で薊を踏んづけるほどの勇気とは! 宮沢賢治の作品を通じて、アザミは明るい光の中では っきり目に見える紫色の、「すてきに背高の」、明るい陽のもとで映える花として心に刻まれていました。梶井基次郎は、 そこにもう一つ、まるで正反対の、闇に沈んだ見えない「薊」というイメージを付け加えてくれたのです。その見えない 色の、なんと鮮やかなことでしょう。おまけに、とげを踏み抜いた足の裏の感触まで生々しく伝わってくるようです。 少年の頃に私が見ていた野の花としてのアザミは、優れた二人の書き手の作品のおかげで、明と暗を持つ、言葉として の「薊」になりました。異なる文脈で出会ったことによって、「薊」は私の心の中で、より豊かな花に育っていったので す。 興味深いのは、言葉としての「薊」の色が深まるにつれて、原っぱに咲いている本物の「アザミ」も美しさを増してい ったことです。つまり、二つの「薊」は、世界の見方を変えてくれたのです。本を読み、言葉に触れ、言葉を育てていく 喜びは、こんなふうに、見慣れていた光景に新しい光が当てられる様子を、驚きをもって眺めることにあるのではないで しょうか。(「二つのアザミ」 堀江敏幸)

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国語 中学生

なぜこのような答えになるのか教えて欲しいです

丑、次の文章を読 「裸足で薊を踏んづける!」 少年時代、よく友達と遊んでいた原っぱの片隅に、美しい紫色の花の一群がありました。 かなりの丈がある濃い緑色の 茎の先端に、細い筒状の花びらがふわふわと広がっていて、それが春の風に揺れるのです。うまくすると、花の周囲を舞 アゲハチョウを捕まえることもできました。ただ、下手に触れるととげが刺さって、痛い思いをしたものです。 やがて、その花がアザミとよばれていることを私は知りました。漢字で書いたらどうなるのだろう。そう思って、花の 姿や名前の音にふさわしい文字の組み合わせを考えてみたのですが、なかなかうまくいかず、アザミはその後も、頭の中 で片仮名の花として咲いていました。 ところが、ある日、それが「薊」という漢字になって、心に刻まれることになったのです。 小学校を卒業した直後の春 休みだったでしょうか、町の図書館でたまたま手に取った宮沢賢治の本に、「種山ヶ原」と題された物語が収められてい ました。達二という名の主人公が、逃げ出した牛を山の中まで追っていく場面があって、そこにこんな一節が出てきたの です。 「ところがその道のようなものは、まだ百歩も行かないうちに、オトコエシや、すてきに背高の薊の中で、二つにも三つ にも分かれてしまって、どれがどれやらいっこう分からなくなってしまいました。」 難しい表現は全く使われていません。詩のようにきらびやかな言葉もありません。それなのに、私はこの文章の不思議 な魅力に捕らわれてしまったのです。なぜ心ひかれるのか、最初はよく分かりませんでした。しかし、何度か読み返すう ち、この一文の光が、「すてきに背高の薊」という表現から発せられていることに気づいたのです。 「すてき」も「背高」も、個別には知っていた単語です。けれど、両者を組み合わせて、アザミのような花の上に載せ るなんて、想像したことさえありませんでした。「すばらしく背の高いアザミ」と書いても、意味としては変わらないで しょう。宮沢賢治はそれを短く刈り込んで、言葉に新しい響きを、つまり、これまでにない音楽を生み出してくれたので す。 それから長い時間がたって、高校生になったばかりの頃、私は再び書物の中で、漢字の「薊」に出会うことになりまし た。梶井基次郎の「闇の絵巻」と題された短編を読んだときのことです。真っ暗な闇の中に一歩を踏み出す勇気を、主人 訟はこんなたとえで表現していました。 私は呆然としました。裸足で薊を踏んづけるほどの勇気とは! 宮沢賢治の作品を通じて、アザミは明るい光の中では っきり目に見える紫色の、「すてきに背高の」、明るい陽のもとで映える花として心に刻まれていました。梶井基次郎は、 そこにもう一つ、まるで正反対の、闇に沈んだ見えない「薊」というイメージを付け加えてくれたのです。その見えない 色の、なんと鮮やかなことでしょう。おまけに、とげを踏み抜いた足の裏の感触まで生々しく伝わってくるようです。 少年の頃に私が見ていた野の花としてのアザミは、優れた二人の書き手の作品のおかげで、明と暗を持つ、言葉として の「薊」になりました。異なる文脈で出会ったことによって、「薊」は私の心の中で、より豊かな花に育っていったので す。 興味深いのは、言葉としての「薊」の色が深まるにつれて、原っぱに咲いている本物の「アザミ」も美しさを増してい ったことです。つまり、二つの「薊」は、世界の見方を変えてくれたのです。本を読み、言葉に触れ、言葉を育てていく 喜びは、こんなふうに、見慣れていた光景に新しい光が当てられる様子を、驚きをもって眺めることにあるのではないで しょうか。(「二つのアザミ」 堀江敏幸)

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国語 中学生

なぜ△なのか理由と正しい回答を教えて欲しいです

「裸足で薊を踏んづける!」 少年時代、よく友達と遊んでいた原っぱの片隅に、美しい紫色の花の一群がありました。 かなりの丈がある濃い緑色の 茎の先端に、細い筒状の花びらがふわふわと広がっていて、それが春の風に揺れるのです。うまくすると、花の周囲を舞 アゲハチョウを捕まえることもできました。ただ、下手に触れるととげが刺さって、痛い思いをしたものです。 やがて、その花がアザミとよばれていることを私は知りました。漢字で書いたらどうなるのだろう。そう思って、 姿や名前の音にふさわしい文字の組み合わせを考えてみたのですが、なかなかうまくいかず、アザミはその後も、頭の中 で片仮名の花として咲いていました。 ところが、ある日、それが「薊」という漢字になって、心に刻まれることになったのです。小学校を卒業した直後の春 休みだったでしょうか、町の図書館でたまたま手に取った宮沢賢治の本に、「種山ヶ原」と題された物語が収められてい ました。達二という名の主人公が、逃げ出した牛を山の中まで追っていく場面があって、そこにこんな一節が出てきたの です。 「ところがその道のようなものは、まだ百歩も行かないうちに、オトコエシや、すてきに背高の薊の中で、二つにも三つ にも分かれてしまって、どれがどれやらいっこう分からなくなってしまいました。」 難しい表現は全く使われていません。詩のようにきらびやかな言葉もありません。それなのに、私はこの文章の不思議 な魅力に捕らわれてしまったのです。なぜ心ひかれるのか、最初はよく分かりませんでした。しかし、何度か読み返すう ち、この一文の光が、「すてきに背高の薊」という表現から発せられていることに気づいたのです。 「すてき」も「背高」も、個別には知っていた単語です。けれど、両者を組み合わせて、アザミのような花の上に載せ るなんて、想像したことさえありませんでした。「すばらしく背の高いアザミ」と書いても、意味としては変わらないで しょう。宮沢賢治はそれを短く刈り込んで、言葉に新しい響きを、つまり、これまでにない音楽を生み出してくれたので す。 それから長い時間がたって、高校生になったばかりの頃、私は再び書物の中で、漢字の「薊」に出会うことになりまし た。梶井基次郎の「闇の絵巻」と題された短編を読んだときのことです。真っ暗な闇の中に一歩を踏み出す勇気を、主人 訟はこんなたとえで表現していました。 私は呆然としました。裸足で薊を踏んづけるほどの勇気とは! 宮沢賢治の作品を通じて、アザミは明るい光の中では っきり目に見える紫色の、「すてきに背高の」、明るい陽のもとで映える花として心に刻まれていました。 梶井基次郎は、 そこにもう一つ、まるで正反対の、闇に沈んだ見えない「薊」というイメージを付け加えてくれたのです。その見えない 色の、なんと鮮やかなことでしょう。おまけに、とげを踏み抜いた足の裏の感触まで生々しく伝わってくるようです。 少年の頃に私が見ていた野の花としてのアザミは、優れた二人の書き手の作品のおかげで、明と暗を持つ、言葉として 「薊」になりました。異なる文脈で出会ったことによって、「薊」は私の心の中で、より豊かな花に育っていったので す。 興味深いのは、言葉としての「薊」の色が深まるにつれて、原っぱに咲いている本物の「アザミ」も美しさを増してい ったことです。つまり、二つの「薊」は、世界の見方を変えてくれたのです。本を読み、言葉に触れ、言葉を育てていく 喜びは、こんなふうに、見慣れていた光景に新しい光が当てられる様子を、驚きをもって眺めることにあるのではないで しょうか。(「二つのアザミ」 堀江敏幸)

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