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歴史 中学生

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歴史 6 大正時代~昭和時代① 次の問いに当てはまる語句を語群から選んで答えなさい。 の の第一次世界大戦が起きるころ, 「ヨーロッパの火薬庫」とよばれた半島はどこか。 21917年,史上初めての社会主義国が生まれた革命を何というか。 31919年にパリ郊外で結ばれた第一次世界大戦の講和条約を何というか。 2 こうがい のアメリカのウィルソン大統領の提案にもとづき, 1920年に発足した世界平和と国 際協調をうたう組織は何か。 3) (5)1921年から翌年にかけてアメリカのよびかけで開かれ, 海軍軍備の制限などか 決められた会議を何というか。 4 61919年にドイツで制定され, 20歳以上の男女の普通選挙権,労働者の団結権 などを認めた憲法を何というか。 の1919年に中国で起こった, 帝国主義に反対する国民運動を何というか。 1919年に朝鮮で高まった, 日本からの独立を求める運動を何というか。 さい 5 ちゅうごく ていこく 6 ちょうせん かつら の議会を無視する態度をとった桂内閣に対して,知識人や民衆が起こした運動を何 というか。 の こめそうどう 0米騒動の後,初めて本格的な政党内閣を組織した政治家はだれか。 ひさべつ きょうと の被差別部落の人々の差別からの解放をめざして, 京都で結成された組織を何とい うか。 9 21925年に,共産主義などの思想を取りしまるために日本で制定された法律を何と いうか。 みんぼん 3民本主義を唱え,普通選挙の実現や政党内閣の確立などを主張し, 大正デモク たいしょう 10 ラシーの思想を広める役割を果たした政治学者はだれか。 0 1929年のニューヨークでの株価の大暴落に始まり, 世界に広まった不景気を何 というか。 BOのできごとに対して, 本国と植民地との関係を密接にし, 外国の商品に対して 12 高い関税をかけるなどして成立した体制を何というか。 60のできごとに対して, 積極的な公共投資や経済統制などで乗り切ろうとしたア 13) メリカの政策を何というか。 大隈重信 ブロック経済 石油危機 治安維持法 プロイセン憲法 世界恐慌 五·四運動 三一独立運動 国家総動員法 ベルサイユ条約 バルカン半島 国際連盟 第一次護憲運動 全国水平社 吉野作造 板垣退助 イベリア半島 ニューディール 国際連合 ワイマール憲法 原敬 小作争議 ワシントン会議 自由民権運動 フランス革命 ロシア革命 ロンドン会議 日本赤十字社 不戦条約 14) 語群 (15) 16) 「近代」っていつのこと? 歴史の時代区分で, 「近世」に続くのが「近代」で, 日本の歴史では, 一般的に明治時 代,大正時代,昭和時代の第二次世界大戦終結(1945年)までを指している。 きんせい いっぱん しょう わ めいじ

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歴史 中学生

教えてください🙇‍♀️🙏

歴史 6 大正時代~昭和時代) 次の問いに当てはまる語句を語群から選んで答えなさい。 の第一次世界大戦が起きるころ, 「ヨーロッパの火薬庫」 とよばれた半島はどこか。 の1917年, 史上初めての社会主義国が生まれた革命を何というか。 O1919年にパリ郊外で結ばれた第一次世界大戦の講和条約を何というか。 のアメリカのウィルソン大統領の提案にもとづき, 1920年に発足した世界平和と国 際協調をうたう組織は何か。 こうがい 3③ 51921年から翌年にかけてアメリカのよびかけで開かれ, 海軍軍備の制限などが 決められた会議を何というか。 4 O1919年にドイツで制定され, 20歳以上の男女の普通選挙権, 労働者の団結権 などを認めた憲法を何というか。 さい の1919年に中国で起こった, 帝国主義に反対する国民運動を何というか。 81919年に朝鮮で高まった, 日本からの独立を求める運動を何というか。 9議会を無視する態度をとった桂内閣に対して, 知識人や民衆が起こした運動を何 というか。 ちゅうごく ていこく 6 ちょうせん かつら こめそうどう 0米騒動の後,初めて本格的な政党内閣を組織した政治家はだれか。 きょうと (8 ひさ べつ の被差別部落の人々の差別からの解放をめざして,京都で結成された組織を何とい うか。 21925年に,共産主義などの思想を取りしまるために日本で制定された法律を何と いうか。 たいしょう 10 みんぽん 3民本主義を唱え,普通選挙の実現や政党内閣の確立などを主張し, 大正デモク ラシーの思想を広める役割を果たした政治学者はだれか。 0 1929年のニューヨークでの株価の大暴落に始まり, 世界に広まった不景気を何 というか。 BOのできごとに対して, 本国と植民地との関係を密接にし, 外国の商品に対して 高い関税をかけるなどして成立した体制を何というか。 00のできごとに対して, 積極的な公共投資や経済統制などで乗り切ろうとしたア (12) (13) メリカの政策を何というか。 大隈重信 ブロック経済 石油危機 治安維持法 プロイセン憲法 世界恐慌 五·四運動 三一独立運動 国家総動員法 ベルサイユ条約 バルカン半島 国際連盟 第一次護憲運動 全国水平社 吉野作造 板垣退助 イベリア半島 ニューディール 国際連合 ワイマール憲法 原敬 小作争議 ワシントン会議 自由民権運動 フランス革命 ロシア革命 ロンドン会議 日本赤十字社 不戦条約 14) 語群 (16) の た

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世界史 高校生

世界史出来なさすぎて困ってます💦空欄箇所を教えて頂きたいです…泣

秦によって始まった中央集権的な官僚支配体制を完成したのは漢である。前202 部を征服した。しかし厳しい政治と遠征による重税に民衆は苦しみ, 彼の死後に |た。武帝の時代には実質的に(') 制に移行し, 中央集権体制が確立された。彼 は積極的な外交をすすめ, 北方の匂奴討伐など。四方に遠征軍をおくり領土を拡大 )制を全国に実施し, また。貨幣·度量衡を統一し, 思想文化の面で 30 秦·漢 )を都に,中国ではじめての統一国家を形成した。 秦王政 専制政治による中央集権国家の基礎をつくった。 成功し(' )と称し, は(? も( )を修築して何奴の侵入に対抗し,南は華南 ベトナム北 代以来の( 各地で反乱がおこり, 前206年に秦は滅んだ。 )を都として中国を統一したが,首都を中心に 年に漢の高祖は(6 統治制度を( めたため諸侯は反発し, 前154年には (° )制という。しかしその後諸侯の権力を削減する政策を進 )が起こった。この乱後即位し した。さらに西方の(° )と同盟して匂奴を挟撃しようと (10 を西域に派遣し, 同盟は成功しなかったが東西交通をさかんにする契機となっ た、一方国内では, 各地の特産物を徴収し不足地に転売して物価の調整を行う )や、物価低落時に買い込んだ物資を物価高騰時に売り出して物価を )を実施した。しかし武帝が死ぬと実権は皇帝から側近に 安定させる(12 移り(13 )や外戚が横暴をきわめ, また地方では広大な土地を所有し勢力 )が実権をにぎり,こうした情勢の中で漢は滅亡した。 )は,周の政治を理想として社会の実情を無視 大規模な農民反乱の混乱の中で新は滅んだ。 を伸ばした(4 漢を奪い新を建てた(15 したため(14 )の反発をまねき, 漢の一族にあたる劉秀は漢を復興して(16 年間は国内も安定し1世紀の後半には全盛期を迎えた。後漢は (17 域都護として派遣し西域50余国を支配下におき, また彼の部下の (18 を大秦国へ派遣するなど西域経営にも力を入れた。 2世紀に入ると政権争いが激し )を都と定めた。この後80 )を西 くなり,地方でも (14 張角が率いる(19 )が勢力を伸ばしていた。やがて宗教結社太平道の指導者 )が勃発すると国内は混乱し, 220年に後漢は滅んだ。

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現代文 高校生

現代文の100字要約の問題です。 上手くまとまらず、悩んでいるのでわかる方教えていただきたいです。

現代文の文章ですが、松尾芭蕉以降の近世の世界観を逃 さてここで、「山吹や蛙飛びこむ水の音」に戻ろう。このようにかはづの和 歌の歴史を見てくると、「山吹」「かはづ」「水」という組み合わせはさほど不 思議ではない。しかしここにはすでに、和歌の観点から見た場合、重大な欠落 がある。それは「鳴く」という言葉の欠落だ。連歌集である『蒐玖波 集』の 歌でさえ、「なにごとのあらそひか有る鳴く蛙」と、かはづは鳴くことになっ ている。しかし芭蕉はかはづを鳴かせなかった。「蛙飛びこむ水の音」という 着想だけでも、これは和歌の言葉を通して見た自然ではなく、その隙間を縫っ て芭蕉自身が発見した新しい自然だった。かはづは鳴かない。なんと、ぶざま にも水に飛び込んだのである。そして山吹の問題だ。其角は和歌の歴史から 言って当然のように山吹をつけた。なにしろかはづが鳴かないのだから、せめ て山吹でもないことには歌の道に連なることができない。しかし(芭蕉は即座 にそれを退け、やがて「古池や」に至ったという。結果としてここに、「山吹」 も「清流」も「鳴く」も無い、無いものだらけのかはづの句ができた。千年の あいだ続いたかはづの自然は、ここにあとかたも無く崩壊したのである。 それにしても、このような和歌の歴史の中で考えてくると、なんと革命的な 句なのだろう。単に和歌で必須とされる要素が無い、というばかりではない。 鳴く」に対して「 I」が対時され、「声」に対して「 Ⅱ 時され、「清い」に対して「一 D の文章を読み、あとの設問に答えよ。 芭蕉は「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」と言ったという。『三冊子』 はこの言葉について、「X私意をはなれよといふ事也」と書きとめている。魔 末保は、このようなことが言われるには、「松が、まさにそこにある松、つま り、 即物的に接することのできる松として出現しはじめた時代だという前提が なければならない」と論じた。これは「江戸時代にとって自然とは何であった か」という問題を考える上での根幹である。我々の時代はすでにそういう時代 が始まってから久しく、物は「即物的に」物でしかないのが当たり前になって しまった。そうでなければ、これほど環境は悪化しないし、これほど多くの物 が平然と消費され捨てられたりはしない。それゆえに、近世という時代が始 まって間もなく、芭蕉や西鶴や近松に何が起こっていたか、よほビ自夏刀b かせなければ理解できないのである。(中略) A自然はすでに近世において、ただの樹木や石や水という「物」になってし まった、と考えられる。それまでは表現するだけで自然の力を感じさせた雅語 (たとえば和歌の言葉)や雅の絵画(中世山水画など)さえももはや力を持た ず、貨幣経済の中でひたすら自然が消費されていくようになった。遊山を描く 扉風絵や旅を書きつける旅行記などは、まさにそのような消費対象としての 自然(自然の俗化)を調歌しているわけだが、同時に、このような「物」とし ての自然の出現は、新しい文学をもたらすことにもなったのである。 芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」の句は、作られた時のことが「葛の松 原』に書かれている。『野ざらし紀行』の旅を終えて江戸に戻って一年ほど後 のことだ。旧暦三月の暮れ、江戸の郊外に遊んだ。雨が静かに降り、風柔らか に吹き、ときたま蛙が水に飛び込む。芭蕉は「言外の0フゼイこの筋にうかび て、蛙飛びこむ水の音 といへる七五は得給へりけり」という。このとき芭蕉 は七五のみ想い浮かんで、上の言葉は浮かばなかった。するとそこにいた其角 小、上を付けた。それが「山吹や」である。ここに、「山吹や蛙飛びこむ水の 昔」という発句ができあがった。この其角の案はもっともで、まさに和歌に連 なる句の世界としては、まっとうな作だった。そしてそこには、Bまだ近世の 俳人たちを支配していた自然観がかいま見える。 『万葉集』にいう。「かはづ鳴く清き川原を今日見ては何時か越え来て見つつ 偲はむ」||かはづは必ず清い川、澄んだ水にいる。そしてかはづは必ず「鳴 く」。澄んだ水でないと生息しない蛙のうち、和歌の世界でその美しい鳴き声 が詠まれるのはたった一種類、かじか蛙だけである。『万葉集』に始まった 「かはづ」の歌は、つまりかじか蛙だけのための歌であり、そうであるからに は「澄んだ水、清流」そして「鳴く」という二つの言葉が不可欠だったのであ る。「かはづ鳴く神名火川に影見えて今か咲くらむ山吹の花」 は、神社のある場所の川のことをいう。ここでは飛鳥川か竜田川だ。この歌に は山吹の花が出現する。「清流」「鳴く」「山吹」の三つの言葉がこうして、「か はづ」とセットになって現れるようになる。「かはづなくるでの山吹ちりにけ り花のさかりにあはまし物を」 |これは『古今和歌集』の歌だ。井出の玉川 は山城の国の川のことだが、「玉川」は清流を意味する。川は清流でなくては ならず、水は、常に流れて水を入れ替える=でよくてはよう!よい。「匹こよく pv しゅう が対 日 」が対時され、「流れる川」に対して 」が対時されたのである。古池とはどんな池だろうか。まず流れな い。水が入れ替わらない。澄んでいない。その底には、枯れ葉や木の残骸や動 物の死体が腐って堆積し、間違いなく濁っている。その周辺には苔や菌類や古 木や下草がいつも濡れてじっとりと生きていて、数え切れないほどの生命が地 を這っている。古池とは歴史の堆積であり、生命のるつぼなのだ。そこに蛙が 飛び込めば底の堆積物は一気に舞い上がり、水はさらに濁るだろう。かじか性 がそういう環境に暮らせるはずがなく、ここに登場する蛙はがま蛙や殿様蛙 牛蛙など、そのあたりで庶民が日常的にみかける生命力旺盛な蛙に違いない。 Vト さらに言えば、古池が川と違うところは、ふだんはじっと動かないところ だ。まるで川は我々人間の意識の流れのようであり、古池は我々人間の無意識 の堆積物のようである。みじろぎもしないその濁り水に突然一匹の蛙が飛び込 む、というその一瞬に起こるハモンのざわめきは、記憶の堆積と無意識に起 こるざわめきのようだ。何が起こったのか。周知のように禅では、座禅の際に このざわめきを意図的に起こす。p意識によって隠された連関への目覚めをも たらすためである。 芭蕉はこの句から、風雅の道を見つけたと言われている。すなわち、蕉風の 確立である。蕉焦風では、言葉の革命と新しい境地の創造が、確かにあった。そ トトキA+ -神名火川と れは、和歌の言葉の背後に隠された自然を、詩の言葉として発掘するというこ とだった。「木のもとに汁もなますも桜かな」 ーごく日常的な食べ物の出現。 J るャ 了東風々に糞のいきれを吹きまはし」 ふがん人のうしろむき」 -排池物も詠まれる。「団扇もて -まるで浮世絵のように、俗世の人の姿を捉える。 うぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれか うたをよまざりける」と、『古今和歌集·仮名序』にも言う。もはやかはづは 驚と同じくらい、和歌の世界のスターとなった。それもその美声ゆえであっ た。いったんスターとなったからには、代表的な和歌の集に登場し続ける。 海くれて鴨のこゑほのかに白し」||思い切りのいい不定形。声が色とL て眼に見える。和歌の言葉の繰り返しの中で日本人の脳裏に形成された定型E 自然観は、このように次第に崩れてゆき、江戸時代になってそれは新たな自 世界を構成することになった。私たちの今日の自然観は、和歌のそれではな~ 俳譜の自然観にずっと近い。 傍線部 a.bの漢字の読みを記せ。 (日留) (田中優子『江戸の自然,

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現代文 高校生

人間は「必然」「偶然」について、ポストモダニズム・現代科学の段階でどのようにとらえているか。 という問題を教えて頂きたいです。 よろしくお願いいたします。

十七世紀、ニュートンの物理学によって確立された近代科学は、世界観、宇宙観に大き |な転換をもたらした。 ニュートンは、力学の三つの基本法則と「万有引力の法則」によって、宇宙に存在する |すべての物体の運動を厳密に記述することに成功した。この宇宙に起こるすべての現象は |すべてこのような基本法則によって記述することができ、そうしてそのような基本法則が |不変である限り、現在の状態を厳密に観測すれば、いくらでも過去の状態をさかのぼって |知ることができ、また未来も正確に予測することができると考えられた。 ニュートンの宇宙では、すべては厳密に数学的に記述される基本法則によって、無限の |過去から無限の未来まで決定されており、それには「偶然」のようなものが入る余地はま ったくない。すべては必然である。 り盤N(o) am 二十世紀末にかけて出現した「ポストモダニズム」は、科学的必然性によって支配され |る世界を「脱構」しようとしている。しかし、「客観的必然性」の専制に対する反逆が |主観性の一方的な強調や、合理性そのものの否定、神秘主義や宿命論への逃避に通じてし |まうのでは、近代合理主義や近代科学の成果をすべて否定してしまうことになる。「偶然」 の問題をどう扱うかは、そこで一つの重要なポイントとなるはずである。 現代科学の示す宇宙像は、ニュートン流の機械的な必然性に貫かれたものではない。(必 |然と偶然が本質的に相互に絡み合ったダイナミックな世界である。それは本質的に予測不 可能な、したがって新しいものが生まれ、またあるものは永遠に消滅する世界である。 大は宇宙全体から、地球上の生物界、そして人間の作る社会の歴史まで、すべてそのよ |うなダイナミックな世界なのである。そうしてその中で、偶然は必然に対する邪魔物では S なく、世界を作り出す本質的な要素である。 偶然は一人一人の人間にとっても未知の未来を作り出す。それば「暗黒の未来」ではな 「魅惑に満ちた驚異の未来」であると期待してもよいのである。 偶然は多様であり、その多様なあり方をどのように理解し、それとどのように取り組む かが二十一世紀の大きな課題である。

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国語 中学生

(1)の答えを教えて頂きたいです!!

晩年のモーツァルトが人々に理解されなかったために、自作を演奏 品を書き続けたという話も、ウィーンでの演奏会記録の調査などから 最近では疑問視されはじめ、ついにはモーツァルトが貧乏したのはビ リヤードをやりすぎてすってしまったからにちがいないなどという説 してもらえず、生活費にも事欠くほど貧乏しながら懸命に清らかな作」 次の文章中の空欄に入る言葉を、本文中の言葉を使って十ネ以内で答え <10点) e s職部「なぜカタカナのヒトになったのか」とあるが、それはなぜか。 なさい。 ことを強調す 人間をヒトどカタカナで書くのは、人間が〔 るためである まで登場する始末である。 oマートーヴェンを描いた肖像画や彫像の体系的な調査によって、わ れわれがよく眼にする、あの眼光鋭い強そうな顔は十九世紀後半以降 に急速に普及したものであることが明らかとなった。個々の歴史的事| 実のみならず、自らの過酷な運命に抗して強靭な意志力をもって一生 傍線部「動物や植物の名前校漢字やひらがなでなく、カタカナで書く という習慣が定着していくだ」どあるが、それはなぜか。次の文章中の 空欄に入る言葉を、本文中の言葉老使って二十五字以内で答えなさい。 (2E) やDく を闘い続けた作曲家ベートーヴェンという作曲家のイメージ自体が、 十九世紀に形成された「神話」だったともいえるのである。 これらの「神話」の多くが近代的な聴取形態の確立した十九世紀に 動物や植物の名前前をカタカナで書くという習慣が定着したのは、 形成され、最近になって、そのような聴取形態の崩壊とともに解体し )ためである たのは偶然ではない。この種の「神話」は、まさに現代において解体」 しつつある「真面目な」聴衆を支えてきた「純粋鑑賞」の精神の所産 であるということができるからである。 この種の神話の多くがその作品を作った作曲家の人格や作曲家がそ れを作った時の状況に関するものであることに注意しておきたい。聴 き手は作品を聴きながら作者の人格や個性を感得し、作曲をした時の 作者の心情に思いを馳せる。それは作品を鑑賞するという行為が、ま さにそのようにあるべきだと考えられてきたからである。作品が作者 |2 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。 バッハがその人生の後半、ライプツィヒにとどまり、歌虎なルター 派信者として宗教音楽に没頭したという話は、教会カンタータの作曲 年代の研究の進展とバッハの手紙などの新資料の発見によって、ほと ニたく んど否定され、彼の教会音楽への関心はライプツィヒに移って間もな く失われてしまったらしいことが判明した の精神の結晶であり、その個性の発露であるという限りにおいて、作 品を純粋に鑑賞するとはそのようなことなのであり、 けの感覚表層の快楽に流された行為は真の鑑賞とはいえないというこ ただ音を追うだ ■= (第2章》 事実系文章の読み書き」 とになる。

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