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世界史 高校生

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アメリカ世界の成立 ・・・産業革命・・・ 世界最初の産業革命 おおじぬし 産業革命は,まずイギリスでおこった。 イギリスでは、奴隷貿易を柱とした大西洋の三角貿易と, 国内の商工業の発達により① が蓄積されていた。 また、従来の規制や特権が廃止されて多く の起業家があらわれ, 植民地戦争の勝利で広大な海外 も確保していた。他方、大地主はす すんだ技術をもった農業資本家に囲い込みで広げた農地を貸して経営させた。これを産業革命 とよぶ。結果,土地を失った多くの農民は、農業労働者や都市において工業労働者となった。さらに, 石炭・鉄などの資源にめぐまれ、17世紀以来の自然科学と技術の進歩があったことも産業革命の背景 であった。 機械の発明と交通革命 イギリスでは毛織物業がさかんであったが、大量生産を可能にする技術革新は、17世紀末にインド から輸入され人気が高まっていた 工業の分野ではじまった。 18世紀前半,ジョン=ケイの発明した飛び杼により織物の生産量が急速にふえると、ハーグリー ヴズの多軸(ジェニー) 紡績機などの新紡績機が発明されて、大量の糸が生産されるようになった。 その後カートライトは、 ワットにより改良された蒸気機関をもちいて、力織機を発明 した。⑥はほかにもさまざまな機械の動力として利用され,生産の効率をさらに高めた。そして,紡 績機や織布機を製造する機械工業 機械の原料である鉄をつくる鉄工業, ⓘや溶鉱炉で使われる石炭 を生産する石炭業などの関連産業にも飛躍的な発展をもたらした。 ひゃくてき 大量の原料・製品・石炭などをはやく安く輸送するために、交通機関の改良もすすんだ。 19世紀に はいるとスティーヴンソンが蒸気機関車 を実用化し、以後鉄道は運河にかわって急速に普 及した。またアメリカ人フルトンが8蒸気船を試作するなど, 19世紀には産業革命とよば れる交通・運輸の一大変革がおこり, 世界各地を結ぶ産業 貿易・文化の交流発展に貢献した。 各国の産業革命 こうけん 産業革命の結果,良質で安い工業製品を大量に生産したイギリスは⑩世界の工場」の地 位を獲得し、世界の巨大な分業システムの中心となった。 その後, 産業革命は19世紀前半からベルギ ーやフランスなどの欧米諸国に波及し, おくれてドイツ・アメリカでもはじまった。 19世紀末ころに, ロシアと日本でもはじまった。これらの国々では政府が指導的役割をはたしていた。 はきゅう 資本主義体制の確立と社会問題の発生 産業革命により, イギリスは農業中心の社会から⑩ 社会とよばれる工業中心の社会に移行 した。大規模な機械制工場が出現し, 安価な商品が大量に生産され、 従来の家内工業や手工業は衰退 していった。一方,大工場を経営するの が経済を左右するようになり、貴族や地主など旧 体制が確立した。 らい 来の支配階層に対する政治的な発言力も強まった。 こうして 産業革命は,生活様式や人々の生活感情や価値観などもふくめた急激な変化を人間社会にもたらし た。 14 都市への もすすみ, イギリスではマンチェスターのような大工業都市や, リヴ は、決められた ァプールのような大商業都市がうまれた。 そして,大規模な工場で働く⑩B きりつ 時間に規律正しく働くことを強く求められるようになった。 また当時の12の大半は利益追求を優先し、 ふえいせい ⑩ に不衛生な生活環境のもとでの低賃金と長時間の労働を強制した。そのため 15 と 12 の関係は悪化 し ⑩階級としての意識にめざめた人々は、労働組合を結成した。 他方, ⑩ 問題・ 問 題が深刻化するなかで, 社会主義思想など, その解決をめざす新しい思想もうまれた。

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現代文 高校生

この問題が見当たらないのですがどこの問題集から出ているかわかる方いますか 勉強内容以外のことですいません

① 「都市へ」 解答・配点 理的文章 (+実用的文章 論理的文章 (+実用的文章 正解 ④ 1① ] ④ 4 8 8 ① (ウ) 2 (木) 2 58 D 28 3 設間 配点 (7) 2 44 @ee (2) 0918 計 CE (i) 4 10 ③ | (11) FEHE 23 鈴木博之 「都市へ」 「プロローグ 都市における近代とはなにか」 の一 出典 節。出題に際しやむを得ない事情により、一部省略・変更した箇所がある。 なお、写真については、編集の都合上、類似したものに変更した。(写真提 供: 時事通信フォト) 鈴木博之は、一九四五年、東京生まれ。 建築史家。東京大学工学部教授、 東京大学大学院工学系研究科教授、青山学院大学総合文化政策学部教授、博 物館明治村館長、公益財団法人明治村副理事長などを歴任。 二〇一四年、逝 去。著書に「建築の世紀末」 「建築の七つの力」「夢のすむ家 20世紀をひら いた住宅」「東京の[地霊]」 「見える都市/見えない都市まちづくり・ 建築・モニュメント」「日本の〈地霊)」 「都市の記憶」などがある。 問題文の解説 原典では各部分にこまめに小見出しがつけられており、問題文をそれを利 て分けると次のようになる。第1段落~第団 段落=「都市は単なる 器で 用し の建物やそれによって構成される町についても同じで、 つまり、日本の町や 建築は根本的に、すべては仮のもの、移ろいゆくものと見る精神、すなわち 無常の精神の上に成り立っているようである。 そこからは消えてしまったも のの名残の風情やゆかりをしのぶ精神なども浮かび上がってくる。 (7) これに対し、廃墟は移ろわずそこに厳然とそびえ続けているものである。 こういうものを建造するヨーロッパ精神には、永遠を実体として表現し、 物 理的にとどめようとする意志が感じられる。すなわち、ヨーロッパの建築や 都市は建築材料の特質ゆえに残っているというだけのものではなく、建造さ れたときから水を物理的に保証する存在として、すなわち廃墟や遺跡とし 残るべく造営されたのであり、そこには、無常ではなく、水を志向する 精神がある。 ( Ⅲ「「永遠」と「今」」 ⑨~図> ヨーロッパの都市と建築を支配し、そこにヨーロッパ特有の表情を与えて いるのは「「永遠」に連なってゆく 「時間」に対する意識の存在」である。 そして、それがヨーロッパの都市の美観を形成している。 たとえば、西欧 に比べて日本の都市が美的でなく、混乱と無秩序に満ちていると指摘される ことが多いのは、日本人の日常生活に永遠がなく、「今」しかないからだろ う。つまり、永遠に残そうなどという思いはなく、当面の役に立てばいいく らいの気持ちで、場当たり的に都市や建築を造っているのである。 それに対 して、ヨーロッパの「永遠」を志向する精神は都市建築を永遠の時間に堪 る ゆえんである。 ) えられるものとして建造しようとする。 廃墟遺跡が残る都市が美観を呈す われわれ日本人は、旅行空間を移動することであり、別の空間を味わう ことだと思い込みすぎている。ゆえに旅行先の都市や建築に時間を見出そう とする感覚が稀薄となり、それらに意識を傾注しようとしない。しかし、異 なる場所を訪れるということは、そこに流れる異なる時間の中に身を置くこ とであり、旅行とは本当は時間の体験なのである。 それがわかったとき、そ 遼」と「今」」、第四段落~第四段落=「都市を変えてゆく力/近代化の はない」、第⑤段落~第1段落=「廃墟の概念」 まり」、第2段落第2段落=「近代化と文化的アイデンティティ」。わかり やすいので、この原典の小見出しに従い、それぞれの議論の要点を整理し、 その内容をできるだけ端的に解説していくことにする。 <Ⅰ「都市は単なる器ではない」 ~団〉 いわゆる観光旅行において、実際には都市や町や建築を目にしている時間 が圧倒的に多いはずでありながら、意識はその中にある遺物、そこにまつわ る歴史や由緒あるいはみやげ物や特産品などの商品の方に向きがちであ り、都市のあり方や町並みそのもの、 建築そのものに見入るということが少 ない、そう筆者は指摘する。 それは観光の目的が都市なりなり建築なりの 中身にあると思い込んでいるからであり、都市や町や建築を単なる器にすぎ ないと思う気持ちがあるからだろう。 (12) しかし、たとえばゴシックの大聖堂が単なる入れ物としての建物ではな く、それ自体その精神世界を造形したものであるように、ヨーロッパなら ヨーロッパの都市は、その都市を造った者たちの精神を体現している。つま り、都市そのものに見入れば、そこにその都市固有の精神が現れてくるので ある。したがって、都市や建築は単なる器ではないのである。(M) しかし、それぞれの都市と建築に込められている精神とはどのようなもの か、それはどこを眺めれば解るのかという質問に直ぐに答えが出せるかとい うと、それはそう単純にはいかない。 (①) <I「廃墟の概念」⑤~回> そこで右の質問にひとつの例を以て答えてみる。 ヨーロッパの都市の精神を垣間見るのにはどこを眺めればいいのか。その 答えの一つは廃墟、遺跡である。それでは、そこにはどんな精神が見出せる のか (⑤⑥) たとえば日本の社寺は放っておくと消えて山野に戻ってしまう。それは他 の時間を体現する都市と建築の存在に目が向けられ、そこに込められた精神 に近づくことになるだろう。 (2) 《Ⅴ「都市を変えてゆく力近代化のはじまり」 (1~ 時間のなかに都市を見るとき、十八世紀までの都市のすがたと十九世紀以 後の都市のすがたとのあいだには根本的な差異が存在していることに気づ く。そして、その中でも最も顕著な差異は都市や建築の大規模化である。逆 に言えば、十八世紀までは都市や建築は中世と本質的に変わらないものを用 い続けてきたということになる。 それが十九世紀になってはじめて、都市は 急激な人口増加とそれに伴う都市改造により様相を変えたのである。(図~ この急激な変化の原因の一つは十八世紀末にはじまる産業革命とそれによ る初期の工業化社会の到来である。また、フランス革命がもたらした基本的 人権や土地改造もその後の都市の大変革に影響しなかったはずはない。さら にアメリカの独立宣言もヨーロッパ世界だけが世界の中心だとする観念を相 対化させるものであり、いずれもヨーロッパの都市を中世的なものから近代 的なものへと転換させるべく作用し、近代の土壌を用意するものであった。 《V「近代化と文化的アイデンティティ」 (22) ここでアジア諸国における近代化について考える。 近代化過程の初期においては、 アジア諸国は西欧的近代主義をモデルとし て、それに邁進してきた。 しかし、次第に西欧文明の摂取と自国の文化的ア イデンティティの両立をいかにはかるかが問題となってくる。 そこで考えら れたのが、たとえば日本の「和魂洋才」のように、技術文明と文化の価値尺 度を分離して、文化の価値尺度については自分たちの伝統的なあり方を維持 し、技術だけを西欧から摂取するという理念である。しかし、そんな 実際に可能だったのだろうか。 特に技術と生活 いると言っていい都市

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歴史 中学生

歴史の問題です。わかる方いませんか(・ω・ = ・ω・)

51939年北関東で反乱を起こした人物 52 白河上皇が天皇の位を退いて上皇となって始めた政治 53 平清盛が源義朝を倒した戦い 54 平清盛が武士として初めてついた役職 55 平清盛が兵庫の港で貿易をした中国の国 56 源頼朝が国ごとに置いた役職 57 源頼朝が鎌倉幕府を開き、 1192年についた役職 58 後鳥羽上皇が執権北条義時を討伐するために起こした乱 59 57の後、京都に置かれ、朝廷の監視や西日本の御家人の統率を行った役所 60 御家人の政治の判断基準として、 北条泰時が定めた法律 61 北条氏が代々ついた将軍を補佐する役職 62 おなじ田畑で、交互に米と麦を作る耕作方法 63 交通の要所で特定の日に開かれた市 64 親鸞が開いた仏教の宗派 栄西や道元が宋から伝えた、 座禅によって自分の力でさとりを開こうとする 65 |教え 66 琵琶法師が語り伝えた、 平氏の興亡をつづった軍記物 67 東大寺南大門に置かれた運慶が作った彫刻 68 モンゴルの遊牧民を統一して帝国を建国した人物 6968の孫で国号を中国風の元に改めた人物 70 元軍が1274年に日本に襲来した出来事 71 元軍が1281年に日本に襲来した出来事 7270、71の出来事の総称 73 72 の時の鎌倉幕府の執権 74 生活が苦しくなった御家人を救済するために鎌倉幕府が出した法令 75 鎌倉幕府を倒した天皇

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世界史 高校生

歴史総合の「世界をめぐる銀の流れ」という単元のものなのですが、2枚目のプリントの東アジアのところが何を書けばいいか分かりません( ߹꒳​߹ )助けてくださいᔦᕀ ᕀᔨ

の強大な国家に対してはあまりに無勢であった。 中国との貿易を有利に進める策をとった。まず、 い暴力的に各地の産物や人間を略奪したが、アジャ に金本位制を採用したイギリスは、「世界の工場」「世界の銀行」 としての 地位を背景に国際金本位制を打ち立てていく。こうして,世界経済を結ぶ カトリックの宣教師とともに世界各地に進出した 15世紀後半以降,ポルトガルスペインの商人、 前近代の世界-69 世界をめぐる銀の流れ 15世紀後半以降,ポルトガル·スペインの商」 カトリックの資教師とともに世界各地に進出し、 赤教活動を支援しつつ,地中海経由で入手して。 アジアの物産を直接獲得するための動きであっ 彼らは、アフリカやアメリカでしばしば銃極。 い暴力的に各地の産物や人間を略奪したが、ア の強大な国家に対してはあまりに無勢であった。 のため16世紀なかばから、海外の銀を用いて特、 せん |1600年前後 における駅 の材動量 日本 シア50-80 万量の長績 ヨーロッパへの 輪出(約250) 石見山 セビリト まさ コ ガレオン編 5-500) 食料 オン編 50) とし モザンビー 工業 は ルトカルによるアジア への副解出( ジアの既存の交易ネットワー クに参入し、各地の貿易商人 きそん のた 94年 ルデシリャス約 よる分界線 16-17世紀の世界と銀の流れ 15世 半以降、アジアの物産を求めて、 ーロッパ勢力が世界進出を本格化させ 「大航海時代)。銀の流通によって、 『を一周する世界経済が誕生した。 や優意などと渡り合いながら日本の銀を仕入れた。 ついで、1570年ごろにスペインが植民地メキシコ と植民都市マニラを結ぶ太平洋航路を開き,中南米 の植民地でつくった銀や銀貨を東アジアに大量に持 ちこんだ。 あこう このように貿易を通じて巨額の銀が動いた背景に は、最大の取引先である中国が慢性的な銀不足で苦 まんせい 目ぎんにょう しんでいたという事情がある。輸入された銀は銀錠 に改鋳されて北方の軍事地帯へ優先的に送られ,軍 ぐん かち にんじん E 費のほか,北方諸民族から毛皮や薬用人参などを購 入する資金にあてられた。こうした交易がくり返さ じょしん れた結果,軍事的な商業集団が成長し,やがて女真 明代後期中国の設 いわみ 2石見銀山でつくられ た丁銀(16世紀後) 石見銀山は1530年代 に本格的操業がはじ ょうぎん レン の王朝である清が生まれる。17世紀末から日本の 産銀,輸出量は減少したが、18世紀になっても中 まった。 南米の銀の大量生産·輸出は続いた。特にメキシコ 産の銀貨は、その品質の高さから,アジアの地域間交易の決済通貨として 広く流通した。これらは中国では「銀画(元)」 とよばれ,のちの中国の元 や日本の円,朝鮮のウォンの語源ともなった。 一方,大西洋を介して直接ヨーロッパに向かった銀は,スペインの対イ ギリス·オランダ戦争に多くが消えた。80年におよぶオランダ独立戦争 は、当時ヨーロッパ最大の集散地アントワープを凋落させ、アムステルダ ムの地位をおし上げた。17世紀前半の三十年戦争ではフランスがオラン ダに加勢し,かつてアジア貿易により繁栄したスペインの没落が決定的な けっさい ぎんえん げん コ銀貨 スペイン領のメキシコ どでは、本国にならって8レ ペン) 銀貨が大量につくられた。 ちょうらく ものとなった。 ぼつらく こののち,18世紀にはイギリスが世界経済の覇権を確立する。1816キ に金本位制を採用したイギリスは、「世界の工場」 「世界の銀行」として 地位を背景に国際金本位制を打ち立てていく。こうして、世界経済を和 主役が銀であった時代は徐々に幕をとじていった。 1 1866年以降、イギリ 当港ドル。 はけん 界 →p.46

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歴史 中学生

オスマン帝国が衰退するのにともない、スラブ民族の独立運動が盛んになったのはなぜですか?

19世紀末にドイツが強国として台頭すると, フランスとロシア は同盟を結んで対抗しました。イギリスはロシアの東アジアへの 進出を警戒して日英同盟を結びましたが, ロシアが日露戦争に敗」 れると,ロシアと協商を結んで関係を改善しました。イギリスは 民地を広げ,アジアに続いて, アフリカや大」 世界大戦 んになり,「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれていました。こうした ょうか。 おうべい 19世紀末の欧米諸国は, 地球上の至る所で。 う 列強の動向 よう 平洋地域の大半も植民地化されました。こつして欧米諸国が低。 を支配した一方で, ヨーロッパの中では対立がありました 5 →p.174 AからCが 当えましょう。 したことで、 変化したか →p.149 たいこう にちろ Sp20 けいかい にちえい 進出を警戒して日英同盟を結びましたが、ロシアが日露戦争に →p.178 Sp276) p276 さんごくきょうしょう さらにフランスとも協商を結び, 三国協商が成立しました。その 一方で,ドイツはオーストリアと同盟関係にあり, さらにイタリ。 ドイツ 三国制盟 (1882) さんごくどうめい アも加わって三国同盟が結ばれました。こうして20世紀初めの ヨーロッパの国際関係は, 三国同盟と三国協商との間で, 「武装 した平和」と呼ばれる緊張が続いていました。 イタリア きんちょう 2 関係 と三国 の対立 第一次世界大戦 こうした列強の間の対立に, 民族の対立が加 レビア p.281 わりました。バルカン半島では, オスマン帝 国(トルコ)が衰退するのにともない, スラブ民族の独立運動が登 んになり,「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれていました。 2 こく すいたい 人や かやくこ 世紀

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