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歴史 中学生

ここの時のの蔣介石や毛沢東のながれ分かりやすく教えてください

5 日中戦争と戦時体制 学習課題 日本 きょう 響をあたえたのでしょうか。 日中戦争の まんしゅう 満州を支配下に置いた日 しんにゅう 開始と長期化 北部に侵入しました。 ロ しょうかいせき ③蒋介石 (左: 1887~1975) チャンチェシー もうたくとう マオツォトン ④毛沢東 (右: 1893~1976) 共産党と国民党の協力体制を作る そんぶん こうけい 蒋介石は,孫文 (p.193) の死後, 国民党で後継 スンウェン ほく 者としての地位を固め、中国の武力統一(北 伐) を進め, 1928年には国民政府の主席となり ました (p.227)。 毛沢東は, 1921年の中国共産 ちゅう あっぱく 党の結成に参加し, 蒋介石の圧迫からのがれ 途中、1935年に党の実権をにぎりました。 がいしゃ ぎゃくさつ ① この事件は「南京大虐殺」 とも呼ばれます。 被 害者の数については,さまざまな調査や研究が 行われていますが, いまだに確定していません。 ②アメリカやイギリスは, フランス領インドシ えんしょう ナなどから「援蔣ルート」 (p.2355) と呼ばれる支援 えんじょ 路を使い, 重慶の蒋介石を援助しました。 (国民党)と共産党との内戦が行われていまし もうたくとう 4 しょ 盛り上がる中,毛沢東が率いる共産党は、来 マオツォトン しょう わ チャ 民党に協力を呼びかけ, 1936(昭和11)年に内 ペキンこうがい ろこうきょう 1 1937年7月, 北京郊外の盧溝橋付近で起こ しょうとつ ルーコウチアオ 武力衝突 (盧溝橋事件)をきっかけに, 日中戦 シャンハイ 戦火は中国中部の上海に拡大し, 全面戦争に れを受けて, 国民党と共産党は日本との戦争 こうにち うことを最終的に決め, 抗日民族統一戦線が ナンキン せんりょう 日本軍は,1937年末に首都の南京を占領し, いっぱん ほりょ 性や子どもなど一般の人々や捕虜をふくむ多委 しました(南京事件)。 しかし、 国民政府は, じゅうけい しえ で重慶に移し,アメリカやイギリスなどの支援 チョンチン 戦争を続けました。 日中戦争が長期化するにつ 強まる戦時体

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古文 高校生

模試とかにでてくる初めてみる古文、漢文の問題だと全く内容が理解できなくて全然答えがあいません、😢 読解するのにポイントとかアドバイスあれば古文、漢文、どちらか片方だけでもいいので教えてくれませんか、??

聞きたり。 げんろく ばんじゅう あこう あきのたくみのかみながり とか こうずすげよしなが あだう 元禄十四年(一七〇一年)、江戸城内において、播州赤穂藩の藩主浅野内匠頭長矩が吉良上野介義央に斬りつける事件が起 浅野内匠頭は切腹のうえ、赤穂藩は取りつぶしとなったが、吉良上野介には何のお咎めもなかった。この処置に納得で きない浅野家の家臣四十七人は、元禄十五年十二月十四日に吉良邸に討ち入り、上野介を討ち取って主君の仇討ちを果たした。 彼らは死後「赤穂義士」として浅野家の菩提寺である泉岳寺に葬られた。本文に登場する、堀部弥兵衛、 安兵衛もこの赤穂義 士の一員である。これを踏まえて次の文章を読み、後の問いに答えよ。(配点 三〇) ぼだいじ せんがく 堀部弥兵衛が娘を幸といふ。かねて安兵衛を養子として変せんとする折から、国亡び、復讐の挙に及び、父の弥兵衛も夫の 安兵衛も、ともに世に亡き人となりにけり。これより前、かの復仇を思ひ起こしける志願に、母を伴ひ諸国の寺社に詣で、昨年 冬、伊勢の松坂にて、吉良家を襲ひ志を遂げたりといふことを聞き、喜びつつ京師にのぼりしころ、父子とも死を賜ふよしを (注3) ゆあみ (注2) においては、自分の僧江戸にありて一寺の住職たるに尋ね行きて、尼とならんことを願ひけるに、この憎もただ人に はあらで、「明日になりてともかくもせん」とて、その夜死者に沐浴さする所に入れて、ひさしめ試みるに、つゆばかりも恐るる 思なく、 こころよく寝なければ、「さては出家は遂ぐべし」とて、戒を授け法を伝へ、妙海と名付く。 (注5)しば しつつけ (注7) (注4) あうかい この後に芝泉岳寺の義士の墓の傍らに、かたばかりの庵を結び、父夫及び諸士の後を懇ろにとぶらひけるが、なほもと 僕の家の絶えたることを深くきて、官に訴ふることしばしばなければ、後には「なほこのうへ訴へ出でば、遠島の罪にも 打はるべし」とありしに、強ひてまた訴へければ、すでに罪に落ちんとしを、ある方の恵みをもて免れたり。ひたすら訴ふる とおよそ二十度にあまれりとぞ。 (200) arewe B - はな よってせめて志にとて、墓の前に常をかかげしに、 所縁ある諸侯より油の料、及び米・・のたぐひ絶えず与へふに より、乏しきことなし。 折々は盗人に奪はるることありしが、さる けしきを見せず、布施多ければ、貧しき者をして、己は ぬすびと 租服を身にまとひ、常燈をわざとして生涯を送れり。 あんたう (注6) あこうぎしてんいっせきわ 「赤穂義士伝一夕話」による)

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