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政治・経済 高校生

この問題で、なぜ4があっているのかわからないです! そもそものグラフの見方もいまいちよく分かりません…調べたのですが理解できませんでした。 解説お願いします!!

アメリカ ① 曲線Bの方が45度線から乖離している。 ② 曲線 Bをみると所得の高い方から上位 20%までの人々が所得の60%を占めて いることがわかる。 所得の不平等を表すものとして,次の図に示したローレンツ曲線がある。 図は、横軸に所得の低い人から高い人の順に人々を並べた場合の人数の累積 比率,縦軸にそれらの人々の所得の累積比率をとり,所得分布の状態を示し たものである。たとえば,図の45度線は,所得の低い方から60パーセントま③全ての人の所得が同じ割合で増えると での人々が全体の所得の60パーセントを占めていることを示している。 所得 が完全に均等に分配された場合, ローレンツ曲線は45度の直線になり、不平 Aで示される所得分布では,所得の低 かいり 等が大きくなるほど45度線から乖離する。 二つの異なる所得分布の状態が, 曲線Aと曲線Bでそれぞれ示されるとき,この図から読みとれることとして 正しいものを,下の①~④のうちから一つ選べ。 〔18本〕 いうことは曲線の形は変わらないとい うことである。 い方から80%までの人々が全体の所得 の約60%を占めていることが読み取れ る。 % 100 80- 00 60 60 40 所得の累積比率 ( 20 - 45度線 ■ 曲線 A 曲線 B 20 40 60 80 100% 人数の累積比率 Aの所得分布で示される不平等の度合いは,Bの所得分布で示される 不平等の度合いよりも大きい。 ②Bで示される所得分布では、所得の高い方から上位20パーセントまで の人々が全体の所得の80パーセント以上を占めている。 Bで示される所得分布では,すべての人の所得が同じ割合で増えると 45度線の所得分布により近づく。

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日本史 高校生

至急でお願いします。

日本史探究 No.9 (1) 教科書 P218-P239 提出日 年月日 氏名 得点 1946 はすべてきなさい。 [1] 資本主義の成立に、次の問いに答えなさい。 (34×11) 日本史探究 No.9 (2) 教科書 P218-P239 提出日 年 月 日 氏名 導者 答えはすべて解答欄に書きなさい。 [2] 国民国家と資本主義の成立に関し、次の問いに答えなさい。 [90-10] (1) の成立に 書き入れなさい。教科書 P.218~P.220 ② たはらヨーロッパにし、近代 させた。やがて1889年 ( @ これと同時に などについて規定された D (1)教育制度の 各文の空にする語句 新しい文化について、 ② 書き入れなさい。 教科書 P.230~P.233 1886年以降の(①)が制定され、小学校から大学 までの体系的学校教 た。 日清戦争 やその勝利 政府の教育 社会 日本と (定された。 1890年に フランスをモデルとしつつ。従来の日本の させたものだったが、日本の伝統に反すると非難を浴 のまとまりの強い すなわち (②)が 0 定着していった。文学の世界 を表現するための ② UAGE (@) WOGUSNE ③ (2)対外関係のとき、各文の空欄にふさわしい 入れなさい。 P.222~P.225 @ ⓘ (G) 運動」が発生し、詩の分野では、生活の中に ある自己の袋や苦悩を表現した作品を通じて社会の (小)が現れた。 (らが伝統的な木を 西洋絵画()らが白馬会を 結成するなど、洋画発展の礎を築いた。演劇界では、9代目 (⑦)らが、 演劇 江戸時代の歌舞伎を ● ● ② 1879年、上は)により日本の近代化を米 新時代に適合させようと試みた。 に示すことで、不平等条約改正の進展を図ったが、期待どおりの効② 1894年 () 外相のもとでようやく 0 判 に成功した。 次に悪化し、 1894年 ついに 日本 1895年 終わり をめぐる日本との関係 1年余の 争が勃発した。 )の調印 ③ (2) 日露戦争と帝国日本について、各文する語句を に書き入れなさい。 P.234~P.237 に至った。戦後、めぐり 19世紀後半 資本主義 に伴い。 第3次伊藤内された。第1次大 求め、軍事力でアジア・アフリカを もうと この内は() とよばれた。 する とよばれる広まった。日清戦争 北でもその対象に させた。 5413 (3) 本主義につき、各文のにふさわしい解に書き入れなさい。 教科書 P.226~P.228 この()などの起きたが、日本を含む圧されると、中国 はさらに弱体化していった。1904年 (金) その日本は第1次 への介入をマス によって 戦争と日露戦争(①)の時代であった。 (3) 本、1910年には軍事力 により した。一方、 1901年 (2) が完成する の一部をあてた (3) から していった。その本と労働ので 関東州と名付けられ、 配する。 1911年に( する もの差が大きくなり、一部 された 導入に依存する)も疲れた。

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現代文 高校生

この問題を教えて欲しいです

問題文をよく読むこと。 *句読点、「」は一字として数えます。 【1】 ないでしょうか。 次の文章を読み、後の問いに答えなさい 時間は、物のように世界の中に直接観察できるわけではありません。 それにもかかわらず 「時間はある」と言いたくなるとすれば、それはどのよ うに「ある」のでしょうか。 私たちは、「時間がある」 とか 「時間がない」 という言い方を、日常の中でも用いています。その日常的用法をヒントにしてみましょう。 時間が「ある」とか「ない」とかいう言い方は、何を意味しているでしょうか。 「時間がない」とは、時間がどんどん過ぎ去ってゆき、いろいろな出来事に次々追われているときに出てくる言葉です。だから、時間は「まっ たく存在しない」わけではありません。時間は確かに流れており、しかもめまぐるしいほどの勢いで流れ去っています。 それにもかかわらず、そこ で出てくる言葉が、 「時間がない」 という言葉なのです。 ト 逆に、「時間がある」というのはどういう場合でしょうか。 それは、忙しく物事に追い立てられている状態とは反対に、何かをゆっくりと、じっ くりとやれる時間が目の前にあると感じるときでしょう。つまりそれは、「何を、どのくらいの時間をかけてやるのかを、自分でコントロールでき るとき」であると言えます。この場合、「時間」とはある程度の長さを持った、「余裕」や「X猶予」を意味しています。これ は 「まだ時間はたっぷりとある。」 バスや飛行機など、 乗り物の出発時刻まで、まだ十分に時間はある場合、私たちはそんなふうに言います。その逆 は、「もう時間がない。」と焦っている場合です。「もう時間がない。」と言う場合、自分の意志ではどうにもならない何かに迫られて、否応なく追 い立てられている感じがします。 その違いは、自分が、自分のコントロールのもとで、何かを自由に展開できるような広がりが感じられているかどうか、という点にあるのでは 「時間がある」「時間がない」というのは、自分の生の広がりを自分の意志でコントロールできるかどうかということ、③自分が「生きる」という ことの主体的なあり方に関係していることがわかります。 そこで「時間」は、ある種の「広がり」として意識されています。 「広がり」とは、何かができる「余裕」、言いかえれば何らかの活動が展開でき る「スペース」と言ってもよいでしょう。 しかし、 「スペース」とは英語で「空間」のことです。そうなると、ここでは「時間」がある種の「空間」 として意識されているということになります。にし もう一つ、日常における「時間」との関わり方を考えてみましょう。 「時を忘れる」という言い方があります。 「時が過ぎるのを忘れて、会話に熱中した。」とか、「あまりに面白い小説だったので、時を忘れて読み耽 った。」といった場合です。 つまり私たちは、何かに没頭しているとき、時間が過ぎるのを忘れてしまう、という経験をしばしばするようです。 そのような場合、私たちは「我を忘れる」とも言います。時間を忘れて何かに没頭しているとき、私たちは「私自身」をも忘れてしまいます。 やはり、「時間」と「私」とは深い関わりを持っているようです。事 先ほど、「時間がある」というのは、自分がコントロールできるような広がりが意識されていることだと言いました。この意味での時間、つまり 「空間化された時間」 と、「ある広がりの中で起こりうる様々な出来事を支配しコントロールしうる私」とは、深い関わりを持っています。 「空間化された時間」の中で、私たちはあくせくと立ち働いています。現代において、私たちはますますカレンダー的な時間とそれによって きざまれたスケジュールに支配されるようになっています。 これは時間がますます空間化された仕方でとらえられるようになっているという ことです。時間がますます空間化された仕方でとらえられるということは、自己の支配がますます拡大し、世界を 「私が支配しコントロールするも の」として思い描くようになることを意味しています。 時間に追われる現代社会は、自己のコントロールが無限に拡大する世界であると言えそ うです。 しかし、時間とは空間化された時間に尽きるのでしょうか。⑥「空間化された時間」とは異なる時間もあるのではないでしょうか。次に、そのよ うな時間が経験される可能性を探ってみたいと思います。 す。 すでに述べたように、「空間化された時間」は、自己のコントロールしうる空間でもあります。そうだとすると、「空間化された時間」から外に出 るとき、それは自己のコントロールしうる空間から外に出ることを意味するのではないでしょうか。 例えば、時間を忘れて小説に没頭しているとき、私は、私がすべてを支配するという生き方のモードを脱け出しています。むしろ私は、小説の中 に展開される世界に、自己の支配を委ねています。 その小説が操るがままに、その世界に私自身を委ねているのです。もちろん、私が私であるとい う意識がまったく失われるわけではないですが、私の生のモードは、「自己と自己の行為を私自身がコントロールし、そこで展開される一切を自己 が支配する」というモードではありません。私は、心地よく小説の世界に身を委ねているのです。同じことが、様々な趣味への没頭にあてはまり ます。 またそのようなとき、時間が完全に止まっているように感じられる、というわけでもありません。例えば、会話に没頭して時間を忘れる体験を例 にとりましょう。会話に熱中しているとき、会話はどんどん進み、話題は尽きることがありません。会話が進み、その内容が豊かに展開していると き、当然この「進んでいること」「展開していること」の意識を私たちは持っています。 このような意味での「時間」は、忘れられていません。 一 切は止まっているどころか、極めて生き生きと動いています。この「生き生きと動いていること」も、ある種の「時間」の性格を持っているのでは ないでしょうか。 ⑥このとき、直線的なカレンダーの時間はすっかり忘れられています。 しかし他方で、私たちは眼の前で現に展開される極めて生き生きとした活 動に参加し、その豊かな動きを経験しているのです。 では、生きた時間とはどのような時間でしょうか。 少し考えてみましょう。 生き生きと動いている時間は、カレンダー的な時間の中にはありません。 カレンダー的な時間においては、過去も、現在も、未来も、同じ平面に 並んでいます。これはまさに、空間化された時間です。 カレンダーだけを見ていても、どこが現在なのかは見えてきません。どれも同じような数字が並んでいるだけです。 どの日も現在でありうるし、 過去でも未来でもありえます。 これに対し、生きて動いている時間においては、過去は現在ではないということははっきりしていますし、現在は過去ではないということ もはっきりしています。また、現在は未来ではない、未来は現在ではないということも明白です。過去はもちろん未来ではないし、未来も過 去ではありません。このように、生きて動いている時間においては、過去・現在・未来はまったく異質なのであり、同じ平面上に平等に並べ マルリッ。 六

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