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判断推理の問題です。 場合分けの後の②化学が5巻の時、Cが当てはまるものはアの図9だけであるから、とありますが、ないかとなぜ、ウが当てはまらないのか、分かりません。教えていただけると助かります。

Cがあてはまるのはウの図5だけであるから、この段階でA、B、Cは下のようになる。 上級直前答案練習 *A, B, C に渡された本の組合せは、1巻と生物の木の2冊、5巻と黄色いカバーの本の2冊、 物理と黒いカバーの本の2冊のいずれかであった。 *Bは白いカバーの化学の本を持っている。 人に2冊ずつ渡したところ次のようであった。 m *Cは青いカバーの3巻を持っている。 *2巻と数学の本は、同じ人が持っている。 *天文と赤いカバーの本は、 同じ人が持っている。 このとき、 確実にいえるのはどれか。 コームこ 出 山引同 1 1.2巻は、黒いカバーの天文の本である。 2.3巻は、青いカバーの数学の本である。 3.4巻は、緑のカバーの生物の本である。 SAS 念け 4.5巻は、赤いカバーの数学の本である。 5.6巻は、白いカバーの化学の本である。 人 同 回S1 k 同 A ト 小り り きるき生以対 【No.3) 正答:4 対応の間題ではあるが、位置の問題として扱うこともできる。 まずは図1のように、上から巻、内容、色として最初の条件である2冊すつの組合せを表して。 る(左から順にア、 イ、 ウとした)。 Xx になる。巻 作内容 ( 色 1 物 生 ケニ ( A ケ全 ア (イ ウe 人回 日国6回J ご 図1 す 次に2番目以降の情報も同様の方法で表す(左から順に B、 C、 エ、オとした)。ん 3 2 ケチ 数 天 化 1 0( ) 日 赤 白 青 日回 B C T ど 6 ける かる。に、 図2 る場合 とにここで、Bについて見てみると、 中段と下段のかたまりがあてはまるのは次の2つのいずれかで あることが分かるので、 場合分けを行い検討する。 (3° VE" RD" DE) このよ 1 5 D会ける (日 A)- をケ前 こ 図 3 P化学が1巻のと 「1 生 の化学が5巻のとき 第4章 判断推理 |5 化 化 年 である。 白 白 黄 に りもあてはまるのでいはなりか、 こ B 図4 B 図8 Cがあてはまるのばアの図9だけであるから、 この段階でA、 B、 Cは下のようになる。 化 3 5 3 物 生 白 化 物 白 黄 青 黒 B C 生 図5 図6 C のA、 B、Cとエ、オを検討するとエ、オはともにAのみにあてはまるので図7のようになる A B 図9 図 10 のA, B、Cとエェ、オを検討すると、エかオのいずれかが必ず余ってしまう (あてはまるところ がない)ので不適である。 5 2 数 天 化 生 物 地 黄 白 緑 青 黒 にがって、①の場合のみ条件を満たす。 確実にいえるのは (肢 4) である。 A B C 図

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現代文 高校生

⑶.⑷.⑺.⑻を教えてください

昨日、久しぶりに“梅雨の晴れ間に、大文字山を登った。先月の激しい雷雨で土砂が“クズれ、 足もとが悪いところもあって、散歩にしては 。ゲワしい道程である。そのぶん、登り切ったときの爽 快感も格別だ。山頂からの眺めを楽しみに登る人も多い。僕は大体、考えごとをしながら登るので、 山頂に着くとそのまま景色を °一督して引き返してしまうのだが、昨日は珍しく、しばらくぼうっと していた。 すると、遠く彼方に連なる山の緑の中に、キラッと光るものが見える。正体はいまひとつ。判然 としないが、山の中の何かが太陽の光を反射しているのだろうと思う。それが、キラッキラッと、繰 り返し光る。僕は遠くのその光が、遠くに見えるということが何とも不思議に思えて、ただ。ギョウ ふした。 太陽の光が何かに当たって跳ね返り、その光の粒子が空中を伝わって。フクザツな物理化学的過 程を引き起こし、結果として、脳内にある活動のパターンが生成していく。この脳の活動によって、 僕の「見える」という経験が生み出される。~大雑把に言えば、これが 科学的な説明になるだろうか。 しかし、だとしたら、なぜ山の風景は「目の前」にではなくて、遠くに、ずっと向こうに、「あ そこに」はっきり見えるのか。僕が見ているのが山の中の光そのものではなくて、そこから空中を伝 わり、目の中にまでやってきた光の粒子なのだとしたら、なぜ僕にいま「見える」のは、その到来し てきた日の前の粒子ではなくて、身体のずっと向こうの、遠くの、山の中の、まさに「あそこの」光 なのだろうか。考えれば考えるほど不思議になって、僕はただじっと、その光を見つめ続けた。 いま僕の手前の床の間に、花瓶に生けられたスターチスがある。花は、その花が生けられたまさ に「そこ」にあるように見える。僕は花から到来した光の粒子を見ているというより、その花を、 直に見ているように感じる。手の届かない、日で直接触れているわけではないその花が、その場所 森田真生「白紙」ワークシート*読んで考えたことを、話してみよう* ト (1)-7見える」ということの にありありと、はっきりと見える。 光の粒子と網膜の物理的接触というよりも、もっとはるかに親密な関係を、僕は花と結んでいる ように思える。花が「見える」ということは、どこか深いところで花と直に触れ合っていることだと いうふうに思える。花だけでなく、花瓶と、あるいは山と空と、つまりは環境のすべてと、いつの間 にか僕は心を通わせ合っていて、その「通い合う心」が「見える」「聞こえる」「わかる」ということ を、背景で支えているような気がしてくる。 「見える」ということは実際、今の人類にはとてもまだ言葉にできないような、不思議で奇跡的 な事態なのではないか。あまりに不思議で、あまりに大きな謎なので、(かんら)「当たり前」と いうことにされてしまう。 不思議なことを当たり前のこととして、(すなわて) は前に進めないところがある。 (下とんに)「見える」「聞ごえる」機械は作れないとしても、「見える」ことを前提として、そ の能力を拡張する眼鏡や望遠鏡や顕微鏡を作ることならできる。自力で「わかる」機械はなかなか作 れそうにないが、人の「わかる」力を前提として、それを延長することならコンピュータにできる。 そうして人は、最大の謎を、最奥の深秘をひとまず括弧にくくることにして、不思議の先に、広 大な知と実用の世界を構築してきた。いまや 前提の、すべてを支える原初の不思議の、不思議であることすら自覚されない。 「前提」とすることによってしか、人 い その構築された世界はあまりに壮麗で、足もとの

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