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地理 中学生

ひとつも分かりません!教えてください🙏🙇‍♀️😭

4 ギリシャとローマの文明 学習課題 : ギリシャやローマでは、 どのような文明が生まれたのだろうか。 <ギリシャ文明> . □ギリシャには、紀元前8世紀ごろから 【① 各地にできて古代文明が生まれた。 】 とよばれる都市国家が 地中海沿岸のギリシャは海上交通に適した土地で、 紀元前3000年ころにオリエ ントから 【② 】 が伝わった。 ・多くのポリスでは、中心に神殿や広場がつくられ、 戦時に兵士として戦う成年 】 が行われた。 】 の労働で成り立っていた。 男性の市民による民会が物事を決める 【③ 市民の生活は、 所有する農地の収穫や 【④ □紀元前5世紀ころに 【⑤ No. _】 は最盛期を迎え、 人間中心の明るく 合理的で自由な文化が栄えた。 】や数学、 人々の感情を動かす 】 や彫刻が発達した。 ・その繁栄の中で、 真理を追究する 【⑥ 文学や演劇、 調和的な美を求める 【⑦ このころ、紀元前6世紀にオリエントを征服した東方のペルシャが、ギリシャ に侵攻したとき 【⑧ 】やスパルタなどのポリスは協力して撃退した。 <ヘレニズム> ・ギリシャでアテネやスパルタなどの有力ポリスが勢力を争い、 戦争を繰り返して いる間に、北方の 【⑨ 】 が軍事力を高め、 紀元前4世紀に南下 してギリシャを支配した。 ・マケドニア王になった 【⑩ ペルシャを征服し、 インダス川にまで広がる大帝国を築いた。 【⑩ 伝わった。 <ローマ帝国の繁栄> _】 は、東に遠征してエジプトや □ここから、ギリシャ文化とオリエント文化を融合する動きが起こり、これを 】 といい、 その文化はのちにインドや中国、日本にも ロイタリア半島の中部では、ラテン人によって都市国家の 【⑩ された。 ・ギリシャ文化の影響を受けたローマは紀元前6世紀に貴族による 【⑩3 となり、のちに平民の男性にも参政権を認めた。 領土の拡大を進め、 紀元前1世紀には 【⑩ ・しかし、相次ぐ戦争で国内は混乱し、戦争で功績のあった 【 ⑩5 武力で混乱をしずめて独裁権力をにぎった。 ・カエサルが暗殺されると養子のオクタウィアヌスが皇帝になり、 【⑩6 が成立した。 ローマ帝国は高度な 【 ⑩ (コロッセオ) や浴場を建設した。 首都 【 ⑩8 続いた。 】 が建設 】一帯を支配した。 】 】が 】を持ち、各地に道路や水道、 または闘技場 】を中心に、帝国の成立から約200年間にわたって繁栄が ・ローマでは実用的な文化が発展し、 改良された 【19 】 やローマ法、 ローマ宝 はヨーロッパじゅうに広まり、 帝国滅亡後も長く用いられた。 わからん? なぜだ? どうして?

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世界史 高校生

解答お願いしたいです! お願いします!!!!

4 ナポレオンの政治についての問題です。 地図を見て問いに答えてください。 スウェーデ クおよび王国 k E 31 リスポンダ 「マドリード イギリス国 ジブラルタル ナマス スペイン王国 B D ノルウェー王国 オランダ王国~ C 帝国スイス G were A サルデーニャ 王国 教 JP プロイセン王国 I シャワ大公国 3325 F NA オーストリア帝国 (ナポリ 王国 1) 地図中A~Jはナポレオンに由来する地名 (国名)です。 下の説明文をヒントに語群から地名を選んで記号で書いてください。 <説明文> ボロディノ IRIS H ナポレオンが流刑になった島。 Iの戦いで敗れた後, ロシア帝国 ベッサラビア (1812 ロシア) A ・1769年, ナポレオンはこの島の小貴族として生まれた。 B ・・ここでは, 1802年にイギリスとフランスの和約が結ばれた。 C.・ナポレオンが第一統領としてa) ナポレオン法典を発表した。 ・・b) 1802年, 国民の支持を得て皇帝となったナポレオンはこの国で第一帝政を始めた。 ・イギリスのネルソン提督に敗れた地。 ・ロシア・オーストリア連合軍を破った戦いの地。 D E F G・ライン同盟を結んだことで、この国は消滅してしまった。 (国名です。) H ・・c) 大陸封鎖令を破ったロシアを制裁するため,この地へ遠征するも失敗してしまった。 I ・・1813 年、プロイセン・オーストリア連合軍がナポレオンを破った戦いの地。 J |ア:トラファルガー イ:フランス ウ:モスクワ エ : アミアン |カ アウステルリッツ キ: パリ オ:コルシカ島 ク: 神聖ローマケ:ライプツィヒコ:エルバ島 2) ナポレオンと同時代を生き, 理念に共感して 『ボナパルト』を作曲したが, ナポレオンの皇帝就任を聞き 激怒し、タイトルを 『英雄』 と変えてしまった芸術家を選んでください。 A : ビバルディ B : ベートーヴェン C : モーツアルト D : キダタロウ 3) 下線部a) は全部で何条であったか。 語群から選び, 記号で答えてください。 A 2261条 C 2281 条 D: 2291 条 B2271 条 4) 下線部b)について, 皇帝となったナポレオンは自らを何と名乗ったか。 5) 下線部c)はフランスがどこの国を困らせるために行ったか、 国名を書いてください。 6) 1815年3月, ナポレオンはパリに戻り再び皇帝になりますが6月には退位することになります。 この約3ヶ月間のことを何というか, 漢字4文字で書いてください。 7) 1815年6月, ナポレオンが最後に流刑になったナミビア沖の島の名前を書きなさい。 <別紙資料集> 【図A】 【図B】 【図C】 い) A C え) ★ -B

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世界史 高校生

教えて下さい

アメリカ世界の成立 ・・・産業革命・・・ 世界最初の産業革命 おおじぬし 産業革命は,まずイギリスでおこった。 イギリスでは、奴隷貿易を柱とした大西洋の三角貿易と, 国内の商工業の発達により① が蓄積されていた。 また、従来の規制や特権が廃止されて多く の起業家があらわれ, 植民地戦争の勝利で広大な海外 も確保していた。他方、大地主はす すんだ技術をもった農業資本家に囲い込みで広げた農地を貸して経営させた。これを産業革命 とよぶ。結果,土地を失った多くの農民は、農業労働者や都市において工業労働者となった。さらに, 石炭・鉄などの資源にめぐまれ、17世紀以来の自然科学と技術の進歩があったことも産業革命の背景 であった。 機械の発明と交通革命 イギリスでは毛織物業がさかんであったが、大量生産を可能にする技術革新は、17世紀末にインド から輸入され人気が高まっていた 工業の分野ではじまった。 18世紀前半,ジョン=ケイの発明した飛び杼により織物の生産量が急速にふえると、ハーグリー ヴズの多軸(ジェニー) 紡績機などの新紡績機が発明されて、大量の糸が生産されるようになった。 その後カートライトは、 ワットにより改良された蒸気機関をもちいて、力織機を発明 した。⑥はほかにもさまざまな機械の動力として利用され,生産の効率をさらに高めた。そして,紡 績機や織布機を製造する機械工業 機械の原料である鉄をつくる鉄工業, ⓘや溶鉱炉で使われる石炭 を生産する石炭業などの関連産業にも飛躍的な発展をもたらした。 ひゃくてき 大量の原料・製品・石炭などをはやく安く輸送するために、交通機関の改良もすすんだ。 19世紀に はいるとスティーヴンソンが蒸気機関車 を実用化し、以後鉄道は運河にかわって急速に普 及した。またアメリカ人フルトンが8蒸気船を試作するなど, 19世紀には産業革命とよば れる交通・運輸の一大変革がおこり, 世界各地を結ぶ産業 貿易・文化の交流発展に貢献した。 各国の産業革命 こうけん 産業革命の結果,良質で安い工業製品を大量に生産したイギリスは⑩世界の工場」の地 位を獲得し、世界の巨大な分業システムの中心となった。 その後, 産業革命は19世紀前半からベルギ ーやフランスなどの欧米諸国に波及し, おくれてドイツ・アメリカでもはじまった。 19世紀末ころに, ロシアと日本でもはじまった。これらの国々では政府が指導的役割をはたしていた。 はきゅう 資本主義体制の確立と社会問題の発生 産業革命により, イギリスは農業中心の社会から⑩ 社会とよばれる工業中心の社会に移行 した。大規模な機械制工場が出現し, 安価な商品が大量に生産され、 従来の家内工業や手工業は衰退 していった。一方,大工場を経営するの が経済を左右するようになり、貴族や地主など旧 体制が確立した。 らい 来の支配階層に対する政治的な発言力も強まった。 こうして 産業革命は,生活様式や人々の生活感情や価値観などもふくめた急激な変化を人間社会にもたらし た。 14 都市への もすすみ, イギリスではマンチェスターのような大工業都市や, リヴ は、決められた ァプールのような大商業都市がうまれた。 そして,大規模な工場で働く⑩B きりつ 時間に規律正しく働くことを強く求められるようになった。 また当時の12の大半は利益追求を優先し、 ふえいせい ⑩ に不衛生な生活環境のもとでの低賃金と長時間の労働を強制した。そのため 15 と 12 の関係は悪化 し ⑩階級としての意識にめざめた人々は、労働組合を結成した。 他方, ⑩ 問題・ 問 題が深刻化するなかで, 社会主義思想など, その解決をめざす新しい思想もうまれた。

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現代文 高校生

この問題が見当たらないのですがどこの問題集から出ているかわかる方いますか 勉強内容以外のことですいません

① 「都市へ」 解答・配点 理的文章 (+実用的文章 論理的文章 (+実用的文章 正解 ④ 1① ] ④ 4 8 8 ① (ウ) 2 (木) 2 58 D 28 3 設間 配点 (7) 2 44 @ee (2) 0918 計 CE (i) 4 10 ③ | (11) FEHE 23 鈴木博之 「都市へ」 「プロローグ 都市における近代とはなにか」 の一 出典 節。出題に際しやむを得ない事情により、一部省略・変更した箇所がある。 なお、写真については、編集の都合上、類似したものに変更した。(写真提 供: 時事通信フォト) 鈴木博之は、一九四五年、東京生まれ。 建築史家。東京大学工学部教授、 東京大学大学院工学系研究科教授、青山学院大学総合文化政策学部教授、博 物館明治村館長、公益財団法人明治村副理事長などを歴任。 二〇一四年、逝 去。著書に「建築の世紀末」 「建築の七つの力」「夢のすむ家 20世紀をひら いた住宅」「東京の[地霊]」 「見える都市/見えない都市まちづくり・ 建築・モニュメント」「日本の〈地霊)」 「都市の記憶」などがある。 問題文の解説 原典では各部分にこまめに小見出しがつけられており、問題文をそれを利 て分けると次のようになる。第1段落~第団 段落=「都市は単なる 器で 用し の建物やそれによって構成される町についても同じで、 つまり、日本の町や 建築は根本的に、すべては仮のもの、移ろいゆくものと見る精神、すなわち 無常の精神の上に成り立っているようである。 そこからは消えてしまったも のの名残の風情やゆかりをしのぶ精神なども浮かび上がってくる。 (7) これに対し、廃墟は移ろわずそこに厳然とそびえ続けているものである。 こういうものを建造するヨーロッパ精神には、永遠を実体として表現し、 物 理的にとどめようとする意志が感じられる。すなわち、ヨーロッパの建築や 都市は建築材料の特質ゆえに残っているというだけのものではなく、建造さ れたときから水を物理的に保証する存在として、すなわち廃墟や遺跡とし 残るべく造営されたのであり、そこには、無常ではなく、水を志向する 精神がある。 ( Ⅲ「「永遠」と「今」」 ⑨~図> ヨーロッパの都市と建築を支配し、そこにヨーロッパ特有の表情を与えて いるのは「「永遠」に連なってゆく 「時間」に対する意識の存在」である。 そして、それがヨーロッパの都市の美観を形成している。 たとえば、西欧 に比べて日本の都市が美的でなく、混乱と無秩序に満ちていると指摘される ことが多いのは、日本人の日常生活に永遠がなく、「今」しかないからだろ う。つまり、永遠に残そうなどという思いはなく、当面の役に立てばいいく らいの気持ちで、場当たり的に都市や建築を造っているのである。 それに対 して、ヨーロッパの「永遠」を志向する精神は都市建築を永遠の時間に堪 る ゆえんである。 ) えられるものとして建造しようとする。 廃墟遺跡が残る都市が美観を呈す われわれ日本人は、旅行空間を移動することであり、別の空間を味わう ことだと思い込みすぎている。ゆえに旅行先の都市や建築に時間を見出そう とする感覚が稀薄となり、それらに意識を傾注しようとしない。しかし、異 なる場所を訪れるということは、そこに流れる異なる時間の中に身を置くこ とであり、旅行とは本当は時間の体験なのである。 それがわかったとき、そ 遼」と「今」」、第四段落~第四段落=「都市を変えてゆく力/近代化の はない」、第⑤段落~第1段落=「廃墟の概念」 まり」、第2段落第2段落=「近代化と文化的アイデンティティ」。わかり やすいので、この原典の小見出しに従い、それぞれの議論の要点を整理し、 その内容をできるだけ端的に解説していくことにする。 <Ⅰ「都市は単なる器ではない」 ~団〉 いわゆる観光旅行において、実際には都市や町や建築を目にしている時間 が圧倒的に多いはずでありながら、意識はその中にある遺物、そこにまつわ る歴史や由緒あるいはみやげ物や特産品などの商品の方に向きがちであ り、都市のあり方や町並みそのもの、 建築そのものに見入るということが少 ない、そう筆者は指摘する。 それは観光の目的が都市なりなり建築なりの 中身にあると思い込んでいるからであり、都市や町や建築を単なる器にすぎ ないと思う気持ちがあるからだろう。 (12) しかし、たとえばゴシックの大聖堂が単なる入れ物としての建物ではな く、それ自体その精神世界を造形したものであるように、ヨーロッパなら ヨーロッパの都市は、その都市を造った者たちの精神を体現している。つま り、都市そのものに見入れば、そこにその都市固有の精神が現れてくるので ある。したがって、都市や建築は単なる器ではないのである。(M) しかし、それぞれの都市と建築に込められている精神とはどのようなもの か、それはどこを眺めれば解るのかという質問に直ぐに答えが出せるかとい うと、それはそう単純にはいかない。 (①) <I「廃墟の概念」⑤~回> そこで右の質問にひとつの例を以て答えてみる。 ヨーロッパの都市の精神を垣間見るのにはどこを眺めればいいのか。その 答えの一つは廃墟、遺跡である。それでは、そこにはどんな精神が見出せる のか (⑤⑥) たとえば日本の社寺は放っておくと消えて山野に戻ってしまう。それは他 の時間を体現する都市と建築の存在に目が向けられ、そこに込められた精神 に近づくことになるだろう。 (2) 《Ⅴ「都市を変えてゆく力近代化のはじまり」 (1~ 時間のなかに都市を見るとき、十八世紀までの都市のすがたと十九世紀以 後の都市のすがたとのあいだには根本的な差異が存在していることに気づ く。そして、その中でも最も顕著な差異は都市や建築の大規模化である。逆 に言えば、十八世紀までは都市や建築は中世と本質的に変わらないものを用 い続けてきたということになる。 それが十九世紀になってはじめて、都市は 急激な人口増加とそれに伴う都市改造により様相を変えたのである。(図~ この急激な変化の原因の一つは十八世紀末にはじまる産業革命とそれによ る初期の工業化社会の到来である。また、フランス革命がもたらした基本的 人権や土地改造もその後の都市の大変革に影響しなかったはずはない。さら にアメリカの独立宣言もヨーロッパ世界だけが世界の中心だとする観念を相 対化させるものであり、いずれもヨーロッパの都市を中世的なものから近代 的なものへと転換させるべく作用し、近代の土壌を用意するものであった。 《V「近代化と文化的アイデンティティ」 (22) ここでアジア諸国における近代化について考える。 近代化過程の初期においては、 アジア諸国は西欧的近代主義をモデルとし て、それに邁進してきた。 しかし、次第に西欧文明の摂取と自国の文化的ア イデンティティの両立をいかにはかるかが問題となってくる。 そこで考えら れたのが、たとえば日本の「和魂洋才」のように、技術文明と文化の価値尺 度を分離して、文化の価値尺度については自分たちの伝統的なあり方を維持 し、技術だけを西欧から摂取するという理念である。しかし、そんな 実際に可能だったのだろうか。 特に技術と生活 いると言っていい都市

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