学年

質問の種類

数学 高校生

39.2 k=-9のときは①は虚数解を持ち②は虚数解を持たない k=4のときは①は虚数解を持たないが②は虚数解を持つ から<ではなくて≦であるということですか??

基本事項 号だけ ないが, 0. では 用する 基本/例題 39 2つの2次方程式の解の判別 kは定数とする。 次の2つの2次方程式 x2-kx+k2-3k=0 ①, (k+8)x²-6x+k=0 について,次の条件を満たすんの値の範囲をそれぞれ求めよ。 (1) ①,②のうち、少なくとも一方が虚数解をもつ。 (2) ①,②のうち,一方だけが虚数解をもつ。 3=0 指針 解答 部分は, ② の2次の係数は0でないから k+8≠0 すなわちんキー 8 -, (k+2 このとき, ①, ② の判別式をそれぞれD1, D2 とすると D=(-k)²-4(k²-3k) = -3k²+12k=-3k(k-4) 【CHART 連立不等式 解のまとめは数直線 ② については、 2次方程式であるから,x2の係数について, k+8=0 に注意。 ①,②の判別式をそれぞれD, D2 とすると, 求める条件は (1) D1 <0 または D2<0解を合わせた範囲 (和集合) (2) (D1 <0 かつD2≧0) または (D1≧0かつD2<0) であるが, 数学Ⅰでも学習したように, Di<0, D2<0の一方だけが成り立つ 範囲を求めた方が早い。 改訂版チャート式基礎からの数学I + A p. 184 参照。 D2 D² = ( − 3)² – (k+8)k= −k²—8k+9= −(k+9)(k—1) (1) 求める条件は、んキー8のもとで D'<0 または D2<012-46-03 ゆえに<0,4<k D1 <0から k (4)>0 kキー8であるから k <-8, -8<k <0, 4 <k - 4в (1918- (3) (k+9)(k−1)>0 D₂ <0 725 よって k<-9,1<k (4) 求めるkの値の範囲は、③と④の範囲を合わせてき k<-8, -8<k<0, 1<k (2) ①,②の一方だけが虚数解をもつための条件は、 D1 <0, D2<0の一方だけが成り立つことである。 ゆえに,③,④の一方だけが成り立つの範囲を求 -9≤k<-8, -8<k<0, 1<k≤4 めて 2次方程式x2+4ax+5-a=0 練習 ③39の条件を満たす定数aの値の範囲を求めよ。 (1) ①② がどちらも実数解をもたない。 の方だけが虚数解をもつ -9-8 ①, x2+3x+3a² = 0 00000 普通,2次方程式 ax2+bx+c=0というとき は、特に断りがない限り, 2 次の係数 αは0でないと 考える。 -9-8 基本38 vo 3 01 4 k 01 4 k ② について,次 [久留米大] 69 2 8 2次方程式の解と判別式

解決済み 回答数: 1
世界史 高校生

黄色の線部の文の意味がわからなかったので教えて頂けませんか?🙏💦

学習 | イタリア・ドイツ・ロシアではどのよう ア・ドイツの統一とロシアの近代化 課題 に近代国家形成を展開したのだろうか。 コッパーp.51 次のできごと ストリアー リー帝国 ブル エク ロシア オーストリア領 にして残り、「未 回収のイタリ 」とよばれた。 一次世界大 後に併合。 200km ヤ王国 二王国 2 ツ帝国 小国に分かれていたイタリアでは, ウィーン体制期, ➡p.38 イタリア しゅしょう 統一運動が青年イタリアを結成し統一運動を展開したが,そ の後,主導権を握ったのはサルデーニャ王国だった。首相カヴールが外交 努力を進め、ナポレオン3世の援助を受けて統一をはばんできたオースト リアと戦い,1859年にロンバルディアを獲得した。60年にはサヴォイア かくとく へいごう ゆず せいふく とニースをフランスに譲る見返りに中部イタリアを併合した。さらに,青 年イタリア出身のガリバルディがシチリアと南イタリアを征服・併合し、 61年,サルデーニャ王を国王とするイタリア王国が成立した。しかし、エ 業化が進む北部と大地主の支配する南部農村地帯との経済格差が残った。 ドイツでは,統一の主導権をめぐりプロイセンとオー ビスマルクと ドイツの統一ストリアが争っていたが, プロイセン首相のビスマルク 1815~98 ふ おう は議会の反対を無視して軍備を拡張し,普墺(プロイセン-オーストリア) 戦 おそ 争でオーストリアを破った。 プロイセンの強大化を恐れたナポレオン3世 ふふつ ていこく は普仏戦争を始めたが敗北し, 1871年、ドイツ帝国が成立した。 ビスマ ➡p.48 1871~1918 だんあつ い りょう ルクは、社会主義運動や労働運動を弾圧する一方, 医療保険・労災保険な ➡p.40 どを定めて労働者の不満をなだめ, 急速な経済成長も実現し、帝国を列強 の一員とした。 オーストリアがオーストリア-ハンガリー (二重) 帝国を成 立させると, ビスマルクは、82年にオーストリア・イタリアと三国同盟を 1867~1918 ➡p.48 1882~1915 QR たく はか 結ぶなど、諸国の対立を巧みに調整しながらドイツの安全を図った。 史料 クリミア戦争と ロシア大改革 5 19 世紀半ば,南下政策を進めるロシアは黒海から QR 3 しん 地中海への海路を確保するため, バルカン半島への侵

解決済み 回答数: 1