学年

質問の種類

日本史 高校生

鎌倉幕府のところなんですが、⑤と⑥が分からないので教えてください🙏

11 ロ 講制にもとづく政治をおこなった。(①) は北条氏一族の有力者を(②) に任命し, 執権の補佐役とすることで執権政治を補強しようとした。ついで重要政務や裁判の 評議·裁定のために (③) を設けた。(③) の構成メンバーには三浦氏 安達氏 などの有力御家人が選ばれた。またo(③)設置からおよそ7年後の1232(貞永元) 年には,武家にとって最初の体系的な法典となる御成敗式目 (貞永式目)を制定した。①塩 これは,(O)の言葉によれば,式目制定は@[ただ(④) のおすところを記され 候者也」とあるように, 源頼朝以来の先例とともに、武士社会で成立した道徳や習 慣をもとにして制定されたものであった。 もちろんこの式目は,朝廷や荘園領主の (1) 支配領内のすべてに及ぶものではなく, @「これによりて京都の御沙汰,律令のお きて卿もあらたまるべきにあらず候也」と述べているように、一方では律令に系 譜を引く(⑤)法や, 荘園領主のもとで成立した (6) 法がまだその効力を保って いた。しかし@武家法典の制定は後世に強い影響を与えた。執権政治を発展させた (4) 右 (O)の政策は,やがて孫の (⑦) に受け継がれた。 (⑦) は裁判制度の充実をはかり, (3)のもとに(③) を創設して, o御家人たちの所領に関する訴訟を担当させた。 (1) 空欄のの役職に最初に任命された人物を答えよ。 (2) 下線部Oの三浦氏は後に北条氏によって討伐されている。その戦いの名を答 の みうち あだち じょうえい 5 こさ いささか (5) ア イア

解決済み 回答数: 1
公民 中学生

全くわからないので教えていただきたいです。

-m 16〈地域紛争〉 右の地図中のA~Gは, 第二次世界大戦後のおもな地域紛争のおこった場所を示してい る。これを見て,次の文中の[ ]にあてはまる語句を書きなさい。 口(1) Aは, 1962年,ソ連がこの地にミサイ ル基地を建設しようとしたことからおこ った,[ -F ]危機。 口(2) Bは, 1948年のイスラエル建国以来, -G 4度にわたっておきた[ 戦争。 近年,イスラエルとパレスチナ人との間 しょうとつ で武力衝突やテロなどが続き, 状況が悪 化している。 ]戦争。2003年には, 口(3) Cは,イラクによるクウェート侵攻が原因で, 1991年におきたOL イラクが大量破壊兵器の開発をめぐる国連の査察を拒否したことを理由として,アメリカとイギリス がイラクを攻撃し, 同国のフセイン政権を倒した®[ ]戦争。 口(4) Dは, 2001年9月にアメリカでおきた同時多発テロとの関連で,アメリカ軍による攻撃を受けた ]。この攻撃により,イスラム原理主義勢力のタリバン政権が倒壊した。 ]との間で紛争が続いているカシミール地方。1998年 口(5) Eは, 1947年以来, インドと[ には両国が核実験を行い, 軍事的緊張がいっそう高まった。 口(6) Fは, 1950年におきた[ 口(7) Gは, アメリカが内戦に介入したことで拡大した[ ]戦争。1953年に休戦協定が結ばれた。 ]戦争(1960~75年)。

解決済み 回答数: 1
現代文 高校生

Q本文中のアラベスクの意味とは? ①神秘的な雰囲気をたたえた装飾 ②幾何学的に組み合わせられた模様 ③視覚的効果を計算した多彩な色彩 ④意味をはぎ取られたむき出しのもの ⑤脈絡のない細部を縫い合わせた布地 という選択肢で②と⑤で迷って⑤を選択してしまったのですが、答えは②... 続きを読む

121 スージ LのE伝統においてはほとんどの場合、身体は「物体」(bodylcorps)の一つとして、「心」や「精神」 (mind/esprit)と ]わたしの身体は、わたしが見、触れることのできる物的対象の一つである。それは物体としての密」 悩されてきた。[a LAt積とをもち、叩けば音もする。それは疑いえないことで、【 b 】西洋の科学の歴史のなかでは長らく、身体はもっぱ 後室)のモデルに沿って医学や生理学の対象として分析されてきた。【 c ]、あらためて考えると、人の身体は物体とし しは知覚情報があまりにも乏しい。具体的にいうと、たとえば見える部分は全体の半分にも満たない。後頭部や背中はどうあが しても絶対じかには見ることができない。つまり、〈わたし〉の身体はわたしにはトータルには不可視なものであり、〈像〉と インヴィジプル してしか体験できないのである。わたしの身体はそれなしに〈わたし〉のありえないもの、というか〈わたし》自身でもあるの それ全体から当のわたしは遠く隔てられているという事態がここにはある。「各人は各自にもっとも遠い者である」とかつ (にー) てニーチェは書いていたが、この言葉は身体にこそよく当てはまる。 この点について、いますこしタンネンに見ておこう。 じぶんの身体というものは、だれもがじぶんのもっとも近くにあるものだとおもっている。たとえばホウチョウで切った傷の Sはわたしだけが感じるもので、他人は頭でわかっても、わたしの代わりに痛んでくれるわけではない。その意味で、わたし わたしの身体であるといいうるほどに、わたしはまちがいなくわたしの身体の近くにありそうである。ところが、よく考え 。おたしがじぶんの身体についてもっている情報は、ふつう想像しているよりもはるかに貧弱なものだ。身体の全表面のう い、ましてや他人がこのわたしをわたしとして認知してくれるその顔は、終生見ることができない。そして難儀なこと 97 んで見える部分というのは、ごく限られている。だれもじぶんの身体の内部はもちろん、背中や後頭部でさえじがに見た

解決済み 回答数: 1