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国語 中学生

この問題分かる人いたら答え書いてほしいです🙏🙏 問題用紙に色々書いちゃってるんですが気にしないでください!

リ22r ごん やや 三次の文章は、容貌も教養もこの人の右に出る者がいない主人公·権 中納言が恋焦がれる姫宮(皇女)がいるが、彼女はつれなく、さまざま口説 くも、結局結ばれることはなかったという物語の冒頭部分である。古文とその現代語訳を読んで、あとの各問いに答えなさい。 4 五月待ちつけたる花 橘 の香も、昔の人恋しう、秋の夕べにも劣らぬ風に、うち。匂ひたるは、をかしうもあはれにも思ひ知らるるを、山ほとと ア * め ぎすも里なれて語らふに、三日月のかげほのかなるは、折から忍びがたくて、例の宮わたりに、おとなはまほしう思さるれど、かひあらじとうちなげ かれて、あるわたりの、なほ情けあまりなるまでと思せど、そなたはもの憂きなるべし。 くろうどのせうしゃう いかににせむとながめたまふほどに、「内裏に御遊び始まるを、ただ今参らせたまへ」とて、蔵人少将参りたまへり。「待たせたまふを」など、 トJ そそのかしきこゅれば、もの憂ながら、車さし寄せよなどのたまふを、少将、「いみじう、ふさはぬ御気色の 候 ふは、たのめさせたまへるかたの、 H 恨み申すべきにや」と“聞こゆれば、「かばかりあやしき身を、恨めしきまで思ふ人は、誰か」など言ひかはして、参りたまひぬ。 あふさか (『提中納言物語』 逢坂越えぬ権中納言より) (現代語訳) 五月を待ちかねてようやく咲いた花 橘 の香も、昔馴染の人を恋しく思い起させるほどで、それが秋の夕べにも劣らぬ身にしむ風に匂いくるのは、 の) 古歌などの連想を生み、また人恋しさの。しみじみとした感興やらもそそられる。そのうえ、山ほととぎすさえ五月ともなると里なれて、人に語らう をJ ように鳴き渡る空には、三日月が光ほのかにかかっている。そんな折からじっとしていられなくなって、いつものように恋しい宮のお邸 あたりを訪 ねたくお思いになるが、行っても無駄足だろうと、ため息まじりで、いっそ別のあそこの女の所、あれなら私が困惑するほどたっぷり思いやりをかけ てくれる、そこへでも行くかとお思いになるが、やはりそちらへは気乗り薄なのだろう。 かんげん どうしようかなと、ぼんやり思案なさっていると、「宮中で管絃の御遊びが始まるから、今すぐ参内なさい」と蔵人少将が使いにいらっしゃった。 「帝がお待ちかねでいらっしゃるのに」などとおせき立てするので、気がすすまないものの、「牛車の用意をせよ」など、命令なさる。少将は、 さんだい Jを A気乗りのしないご いらっしゃる、さてはお約束になった女性があなたの違約を恨み申しあげるだろうからというわけですね」と 痛いところをつく。「こんなつまらぬ私ごときを恨めしいとまで慕ってくれる人は、いったい誰がいますかねえ」など応酬し合って、宮中へ参上な し。 さった。 (日本古典文学全集より)

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国語 中学生

【できるだけ早めがありがたいです!】 このプリントが配られた時に濃厚接触者で学校を休んでいて先生に連絡はしたのですが、返信が返ってこず分かりません……😭 この答えがわかる人はいますか? (枕草子の範囲です) 明日テストでかなりやばいです…… 自分で分かるところは赤で書いてあ... 続きを読む

線の「あけばの」 とは、一日のうちのいつのことですか。 適切 なものを次から一つ選び、記号て答えなさい。 r 国 ヨや 曲 a一線の「やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲 の細くたなびきたる。」とありますが、筆者はこの情景をどのように感じて いるのですか。囚の古文中から三字で抜き出しなさい。 必修問題0 H ウ 内 »次の囚·回の文章を読んて、あとの問いに答えなさい。 春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかり て、紫だちたる雲の細くたなびきたる。 夏は夜。月の頃はさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひ たる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもを一 かし。雨など降るもをかし。 一線の「闇もなほ」とありますが、「闇」と対比している言葉を国の古 文中から三字で抜き出しなさい。 秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の 寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど飛び急ぐさへあ はれなり。まいて雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、リ いとをかし。日人りはてて、風の音、虫の音など、はたいふべ 一縦S「I0回、二つ三つ」とありますが、これは鳥のどのよ うな様子を表していますか。適切なものを次から一つび、記号て答えなさ」 ア 烏が一団となって羽を動かし、せっせと飛んでいる様子 ' 一つの群れが仲良く呼吸を合わせて羽を動かしている様子 一羽一羽がばらばらに、勝手に飛んでいる様子。 ェいくつかの群れがあちらこちらに飛んている様子。 線回「つとめて」の意味として適切なものを次から一つ選び、記号て きにあらず。 冬はつとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず、霜のい と白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭 ¥ 持て渡るも、いとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもて いけば、火桶の火も、白き灰がちになりてわろし ア夜明け前 イ早朝 H エ母 ウ 【現代語訳】 春はあけぼの。だんだんと白くなっていく山ぎわが少し明るくなって、 紫がかった雲が組くたなびいている(のがいい)。 |線「さらでも」とあリますが、具体的にはどうでなくてもというこ とですか。十字以内で書きなさい。 夏は夜。月の眺めのよい頃はいうまでもない、月が出ていない闇の夜も ュ= ん飛びな いるのがいい。 また、ただ1つニつな Sる来PんていVS あ° 4どが降る夜 がある° 一線「つきづきし」について、次の各問いに答えなさい。 -「O し」の意味を車がるわる ギは 日が 山の端にたいう近くなったに、島が寝 レsくにり 、三つ四つ、二つ三つなU朝て飛んでい~子 ニた 始がする。まして照などが別になって際んYニ9のが大型 そイン 9Sはと p-ろいロ系や リ っ S 2何が、何に対して「つきづきし」と述べているのですか。「 に対して。 に統くように、三十字以内で豊さなさい 二相が降り っ はS もない、霜が降りて地 信家ロv4レいると たそうてなくても、大変楽い部に、 火を急 いておこして、侍女が炭を持ち運ぶ様子も、いかにも冬の らしい。 昼になって、寒さがだんだんゆるんて暖かくなっていくと、火栖の火も白 回 V)ポの つくしきもの。瓜に描きたるちごの顔。雀の子の、ねず鳴 線「うつくしきもの。」について、次の各問いに答えなさい。 1「うつくしきもの」の意味を書きなさい きするに帰り来る。二つ三つぼかりなるちごの、急ぎて泣ひ来 に条「つくしきもの」としてあげた例はいv6Sますか°郷数学 て答えなさい。 型SAそ」がのありけるを、 目さとに見っけて をかしげなる指にとらへて、大人ごとに見せたる、いとうつく 国 -の「SJるしげなる」の味とJト網なものを次から」 ○関 品か答えなさい。 ト P もしろい 伝が回 なるちごの、日に望のおほへるをかきはやらで、 J-製-げる 3 指率は、 どのうなpSを「うつく」と陸PSますか。 遠切な Sや%会|つ選び、祝号で答えなさい ト そニゃS。 * 総4S。 るちめレる た い H 河2 があ の送るー 4- 2 4ニ) 条ポSPの。 H が条-JSpS

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現代文 高校生

現代文の100字要約の問題です。 上手くまとまらず、悩んでいるのでわかる方教えていただきたいです。

現代文の文章ですが、松尾芭蕉以降の近世の世界観を逃 さてここで、「山吹や蛙飛びこむ水の音」に戻ろう。このようにかはづの和 歌の歴史を見てくると、「山吹」「かはづ」「水」という組み合わせはさほど不 思議ではない。しかしここにはすでに、和歌の観点から見た場合、重大な欠落 がある。それは「鳴く」という言葉の欠落だ。連歌集である『蒐玖波 集』の 歌でさえ、「なにごとのあらそひか有る鳴く蛙」と、かはづは鳴くことになっ ている。しかし芭蕉はかはづを鳴かせなかった。「蛙飛びこむ水の音」という 着想だけでも、これは和歌の言葉を通して見た自然ではなく、その隙間を縫っ て芭蕉自身が発見した新しい自然だった。かはづは鳴かない。なんと、ぶざま にも水に飛び込んだのである。そして山吹の問題だ。其角は和歌の歴史から 言って当然のように山吹をつけた。なにしろかはづが鳴かないのだから、せめ て山吹でもないことには歌の道に連なることができない。しかし(芭蕉は即座 にそれを退け、やがて「古池や」に至ったという。結果としてここに、「山吹」 も「清流」も「鳴く」も無い、無いものだらけのかはづの句ができた。千年の あいだ続いたかはづの自然は、ここにあとかたも無く崩壊したのである。 それにしても、このような和歌の歴史の中で考えてくると、なんと革命的な 句なのだろう。単に和歌で必須とされる要素が無い、というばかりではない。 鳴く」に対して「 I」が対時され、「声」に対して「 Ⅱ 時され、「清い」に対して「一 D の文章を読み、あとの設問に答えよ。 芭蕉は「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」と言ったという。『三冊子』 はこの言葉について、「X私意をはなれよといふ事也」と書きとめている。魔 末保は、このようなことが言われるには、「松が、まさにそこにある松、つま り、 即物的に接することのできる松として出現しはじめた時代だという前提が なければならない」と論じた。これは「江戸時代にとって自然とは何であった か」という問題を考える上での根幹である。我々の時代はすでにそういう時代 が始まってから久しく、物は「即物的に」物でしかないのが当たり前になって しまった。そうでなければ、これほど環境は悪化しないし、これほど多くの物 が平然と消費され捨てられたりはしない。それゆえに、近世という時代が始 まって間もなく、芭蕉や西鶴や近松に何が起こっていたか、よほビ自夏刀b かせなければ理解できないのである。(中略) A自然はすでに近世において、ただの樹木や石や水という「物」になってし まった、と考えられる。それまでは表現するだけで自然の力を感じさせた雅語 (たとえば和歌の言葉)や雅の絵画(中世山水画など)さえももはや力を持た ず、貨幣経済の中でひたすら自然が消費されていくようになった。遊山を描く 扉風絵や旅を書きつける旅行記などは、まさにそのような消費対象としての 自然(自然の俗化)を調歌しているわけだが、同時に、このような「物」とし ての自然の出現は、新しい文学をもたらすことにもなったのである。 芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」の句は、作られた時のことが「葛の松 原』に書かれている。『野ざらし紀行』の旅を終えて江戸に戻って一年ほど後 のことだ。旧暦三月の暮れ、江戸の郊外に遊んだ。雨が静かに降り、風柔らか に吹き、ときたま蛙が水に飛び込む。芭蕉は「言外の0フゼイこの筋にうかび て、蛙飛びこむ水の音 といへる七五は得給へりけり」という。このとき芭蕉 は七五のみ想い浮かんで、上の言葉は浮かばなかった。するとそこにいた其角 小、上を付けた。それが「山吹や」である。ここに、「山吹や蛙飛びこむ水の 昔」という発句ができあがった。この其角の案はもっともで、まさに和歌に連 なる句の世界としては、まっとうな作だった。そしてそこには、Bまだ近世の 俳人たちを支配していた自然観がかいま見える。 『万葉集』にいう。「かはづ鳴く清き川原を今日見ては何時か越え来て見つつ 偲はむ」||かはづは必ず清い川、澄んだ水にいる。そしてかはづは必ず「鳴 く」。澄んだ水でないと生息しない蛙のうち、和歌の世界でその美しい鳴き声 が詠まれるのはたった一種類、かじか蛙だけである。『万葉集』に始まった 「かはづ」の歌は、つまりかじか蛙だけのための歌であり、そうであるからに は「澄んだ水、清流」そして「鳴く」という二つの言葉が不可欠だったのであ る。「かはづ鳴く神名火川に影見えて今か咲くらむ山吹の花」 は、神社のある場所の川のことをいう。ここでは飛鳥川か竜田川だ。この歌に は山吹の花が出現する。「清流」「鳴く」「山吹」の三つの言葉がこうして、「か はづ」とセットになって現れるようになる。「かはづなくるでの山吹ちりにけ り花のさかりにあはまし物を」 |これは『古今和歌集』の歌だ。井出の玉川 は山城の国の川のことだが、「玉川」は清流を意味する。川は清流でなくては ならず、水は、常に流れて水を入れ替える=でよくてはよう!よい。「匹こよく pv しゅう が対 日 」が対時され、「流れる川」に対して 」が対時されたのである。古池とはどんな池だろうか。まず流れな い。水が入れ替わらない。澄んでいない。その底には、枯れ葉や木の残骸や動 物の死体が腐って堆積し、間違いなく濁っている。その周辺には苔や菌類や古 木や下草がいつも濡れてじっとりと生きていて、数え切れないほどの生命が地 を這っている。古池とは歴史の堆積であり、生命のるつぼなのだ。そこに蛙が 飛び込めば底の堆積物は一気に舞い上がり、水はさらに濁るだろう。かじか性 がそういう環境に暮らせるはずがなく、ここに登場する蛙はがま蛙や殿様蛙 牛蛙など、そのあたりで庶民が日常的にみかける生命力旺盛な蛙に違いない。 Vト さらに言えば、古池が川と違うところは、ふだんはじっと動かないところ だ。まるで川は我々人間の意識の流れのようであり、古池は我々人間の無意識 の堆積物のようである。みじろぎもしないその濁り水に突然一匹の蛙が飛び込 む、というその一瞬に起こるハモンのざわめきは、記憶の堆積と無意識に起 こるざわめきのようだ。何が起こったのか。周知のように禅では、座禅の際に このざわめきを意図的に起こす。p意識によって隠された連関への目覚めをも たらすためである。 芭蕉はこの句から、風雅の道を見つけたと言われている。すなわち、蕉風の 確立である。蕉焦風では、言葉の革命と新しい境地の創造が、確かにあった。そ トトキA+ -神名火川と れは、和歌の言葉の背後に隠された自然を、詩の言葉として発掘するというこ とだった。「木のもとに汁もなますも桜かな」 ーごく日常的な食べ物の出現。 J るャ 了東風々に糞のいきれを吹きまはし」 ふがん人のうしろむき」 -排池物も詠まれる。「団扇もて -まるで浮世絵のように、俗世の人の姿を捉える。 うぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれか うたをよまざりける」と、『古今和歌集·仮名序』にも言う。もはやかはづは 驚と同じくらい、和歌の世界のスターとなった。それもその美声ゆえであっ た。いったんスターとなったからには、代表的な和歌の集に登場し続ける。 海くれて鴨のこゑほのかに白し」||思い切りのいい不定形。声が色とL て眼に見える。和歌の言葉の繰り返しの中で日本人の脳裏に形成された定型E 自然観は、このように次第に崩れてゆき、江戸時代になってそれは新たな自 世界を構成することになった。私たちの今日の自然観は、和歌のそれではな~ 俳譜の自然観にずっと近い。 傍線部 a.bの漢字の読みを記せ。 (日留) (田中優子『江戸の自然,

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