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生物 高校生

蛍光ペンの部分なのですが、私は生態系だと思いましたが答えはバイオームでしたりバイオームと生態系の区別ができませんりバイオームと生態系は何が違うのですか。

65 世界の植生 次の文を読み、下の問いに答えよ。 草原や森林が示す相観は地域によって異なる。 相観の違いは, (a) と降水量とで決ま る。この2つの要素が同じであれば, 構成する植物の種類が違っても, 植生の相観は似て くる。 世界の植生とそこに住むすべての生物の集団を(b)とよび, 構成する生物の種 や相観によって分類される。 (1) 上の文の( )に適する語句を入れよ。 (2)次の表は,陸上植物の分布について,その一部を示したものである。 表の空欄で に適するものを①群から,空欄 f〜i に適するものを②群から,空欄 j〜n に適する を③群からそれぞれ選び, 記号を書け。なお, (b)には(1)と同じ語句が入る。 ② 優占種の生活形 (b) ① 分布地域 f 雨緑樹林 C 亜熱帯多雨林 冬に気温が低下する, 多雨の亜熱帯 常緑広葉樹 硬葉樹林 照葉樹林 夏緑樹林 ステップ 砂漠 森林 草原 荒原 d 多雨の温帯南部 e 乾燥する温帯 乾燥が激しい熱帯や温帯 ③ 主な植物 j k g 1 常緑広葉 (照葉) の高木 タブノキ、ツ h m イネ科の草本 ハネガヤ i n

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国語 中学生

答えと解説お願いします!

月 〈随筆〉 (1.5.10… は行番号です。) 中学一年生の夏休み、生れて初めて高山を間近に眺めた。 父親の仕事 の手伝いで上高地に行ったのである。 車酔いでふらふらになった私の頭 上へ、穂高連峰がいきなりおおいかぶさってきた。 私は突然自分が蟻み たいに小さくなるのを感じた。 そして山は美しさと荘厳さにおいて、ま さに神に近かった。 山に人が太刀打ちできるとは、とうてい思えなかっ た。その印象はいまだに体に彫りこまれていて、消すことはできない。 北の山を中心にあちこちの峰をめぐり歩いていたときも、私は偉大なる 山に遊んでもらっていたにすぎない。 父は双翅目が専門の昆虫学者であった。上高地には妖精のような高山 もふわふわ舞っていたのだが、私が捕るように命じられたのはハエと アブだけだった。たぶん父は研究対象の双翅目の許可だけをもらってい たのであろう。私は笹やぶを補虫紙で引っかき回すのに退屈して、手伝 いを放棄すると、魂のけし飛ぶ思いでいつまでも山々を眺めつづけた。 そうかいかん 翌年、焼岳と西穂に登った。頂上に立って四方を見わたす爽快感を知っ 156た。その次の年は館が岳。下山後、雲海の夢につきまとわれた。〈中略〉 五歳まで札幌で暮らしていた私は、ふるさとの山や雪に特別の思い入 れを持っていた。北大に進学したのも、北の自然が私を呼んだのである。 〈中略〉 しょかん ていね あしべつ そらぬま 四年間に登った山々は、 空沼・朝里・十勝・大雪・手稲・芦別・暑寒 えにわ らうす ゆうばり たてやま 20別・ニペソツ・石狩・余市・羊蹄・恵庭・羅臼・ニセコ・夕張・立山・ 穂高・白馬など。 夏も冬も道内も道外もひたすら登りつづけた日々であった。 それぞれ の山には、それぞれの思い出が焼きついていて、今となってはどれかを 選びだすことは不可能に近い。 25 ガラスの粉のようにきらめくザラメ雪、羽毛のように軽やかに舞いあ れっぷう ほお がる新雪 烈風を頬にたたきつけて凍傷を残して去った猛吹雪、ヒグマ 2を気にしながらやぶこぎしたハイマツ帯、色とりどりの敷物のように展 基本の確認 問 3行めの足を洗って に関連して、「足を洗う」の意味を辞書など を使って調べてみましょう。 アドバイス 慣用表現には体の一部を使ったものがたくさんあります。 「足を洗 う」と同じように「足」を使ったものには「足が重い」 「足が地に つかない」 「足をのばす」などもあります。 これらの意味だけでなく、 ほかにどのような表現があるかも辞書などで調べてみましょう。 問一 筆者の山に対する印象〉7~8行めの私は偉大なる山に遊ん でもらっていたにすぎない について、筆者が山を偉大だと感じてい る理由を次のように書きました。 後の1~③に答えなさい。 筆者が生まれて初めて見た高山は、筆者に「A(六字)」るほど大 きく、あまりにも美しく荘厳だったので、 人間などとてもかなわない 神様のように感じられたから。 ①Aに入る最も適当な言葉を、 六字で本文中からそのまま抜き出 しなさい。 ② とてもかなわない について、本文中で筆者が山に「とてもかなわ ない」と述べている部分(同じ意味の部分)を二か所探し、それぞれ 一文でそのまま抜き出しなさい。 (注)そうしく ほかほぼ & けだけにしほ ここんちゅう ♦ ようてい ♦ ♦ ♦ ・ ・ ・ • ぞうしょく 2開するお花畑。映像は消えることなく重なりあい、増殖してふたたび山 への慕情をかきたてていった。 30 卒業後も、仕事の間をぬってせっせと山へ行った。五月の尾瀬では丸 し ぶっさん 三日間一人歩きして、出会ったのは至仏山のふもとで春スキーをしてい た数人のスキーヤーのみである。七、八年後には交通整理をするほど有 名になる場所とも知らず、思えばぜいたくな山旅であった。 頂上が目的の登山から足を洗って、十年以上にもなる。 幼い娘たちの 956 体力に合わせて、ゆっくりした山歩きを選んでいるうちに、いつかその ほうが自分の性にも合っていることを発見したのである。 のんびり野山 を歩いていると、それまでは気にとめなかった様々の生命のしるしが現 われてきた。野鳥の鳴き声、茂みを走っていく小動物の足音、ひっそり と咲く野花の群れ、樹木のささやき、昆虫たちのふしぎな生活。自然の 中にはこれら生き物の気配が満ち満ちていた。 そうがんきょう いつのまにか私は双眼鏡を首からさげ、リュックに数種類の図鑑を入 れ、片手にノートを持った自然観察者の姿になっていた。人生の幾つ目 の角を曲がって、山がたて方向にのみではなく、水平の方向にも深い 広がりを持つことを見いだした私は、いわば最初に山を見た中学生の地 145点に戻ったのかもしれない。 彼女が穂高の に人智を超えたものを見たように、私も今、自然を形 づくる生命たちの精巧さに限りなく引かれているからだ。 せいこう (注) 双眼….二枚の翅を持つ昆虫の仲間。 北大・・・北海道大学。 やぶこぎ… 低木の密生する藪を地面に足がつかない状態でかき分けて進む こと。 ハイマツ帯… マツ(ハイマツ)が広がる地帯。 尾瀬・・・福島県・新潟県・群馬県に広がる盆地状の高原。 (③) 筆者が、いろいろな山に登れるようになった後も、「偉大なる山に んでもらっていた」と述べていることを次のように書きました。 に入る言葉を本文中から探して書きなさい。 筆者は を知った後でも、初めて高山を見たときに抱いた、山に対する尊敬の 気持ちは変わらなかった。 問二山歩きを楽しむ筆者〉 4行めの自然観察者の姿について、 山歩きを楽しむ筆者の姿を想像しましょう。 このときの持ち物を、筆 者がどのように使うか、 本文を参考にして考えてみましょう。 そうがんきょう 双眼鏡 問三昔のことを振り返る 〉 4行めの彼女は誰のことをさしますか。 次の1~4から一つ選び、その番号を書きなさい。 筆者の父 2 上高地で見た山 3 筆者の娘 4 中学生の頃の筆者 T ・・・ 長野県にあるんかくけいお こんちゅう (とうゆきこ 山と私」による。

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現代文 高校生

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Since 1994 N TURITORY 【二】 次の文章は、小池昌代の随筆「道について」の一部である。後の問いに答えよ。 (30点) 知っている道に出たときの、あの不思議にほっとする、あたたかい感じ。わたしたちはどんなに大人になっても、身体の奥に、迷子に なることの恐怖をかかえて生きているのではないだろうか。 しかしどんな道も、いかなる町も、生きているひとと知り合うのに似て、少しずつ、だんだんと、なじんでくるものだ。 町の構造がようやく身体に入ってきたころ、「近道」とか「遠回り」というガイネンも入ってきた。 目印だけを頼りに通っていた道が、 案外回りであることがわかったり、思い切って足を踏み入れてみた小路が、思いがけぬところへ抜けていたり。 道を歩くことは、こ うして全身をかけて土地を切り開き、土地にもぐりこみ、土地になじんでいく行為にほかならなかった。 知らない道が見知らぬ場所へひとを誘うのは当たり前だが、知っている道が見知らぬ場所にひとを運んだり、知らない場所がよく知る 道に通じていることを知ることには、いつもささやかな感動がある。 1 道には知っていることと知らないことを結びつける機能が備わってもいるようだ。知っていることを伸ばしていけば、知らないところ へ出る。 知らないものを伸ばしていくと、知っている道に出る。 外国に旅に出ると、特に一人旅では、こういうことは明瞭に起こる。 言葉の不自由さに加えて、土地そのものからはじかれている感じ は、ひとを二重に異邦人にするが、それでもひとつの道が次第に親しい道になっていき、日々、見知らぬ場所へとひとを運び、再び宿へ とひとを戻すとき、その道はひとにとって、水や塩に等しい、命をつなぐ脈ともなる。 そうした道に付けられてある通りの名前を知った りすると、道は、いつでも記憶のなかに呼び出せる、親しい友のような表情さえ表す。 初めての道に足を踏み入れるときは、いつも身体に緊張が走るが、すべての道は、二度目に通るときから、「知っている道」になるこ とも面白い。当たり前のことだが、そのことはうれしい。 二度目に通るとき、ひとは、今の道と記憶のなかの道の、二つの道を同時に歩 くのだ。 以前、わたしの友人に、新しい記憶ほど剥がれ落ちてしまうという記憶障害を持っているひとがいた。そのせいなのだろうか、彼は何 度来ても、わたしの家へたどりつけない。 わからなくなったと、途中で電話が入る。 障害のことをそのとき知らなかった。そのたびに駅 まで迎えに行って、目印になるものを教えながら歩いたが、ついに、ひとりではやってくることができなかった。 わたしの祖母の呆けも、自分の家に帰れなくなったところから始まっている。 祖母も友人も、どれほどに自分がもどかしく、ふがいなく、心もとなく、不安だったことだろう。あのときは、ただ困った状況として とらえるだけで、彼らの不安そのものには目が向かなかった。 行きたい場所へ、行き着けないいま思うと、彼らの不安は、わたしの不安そのものに思える。 不安はすべて、未来を先取りした途 上に生まれ、その意味で、生きることはそのまま丸ごと、「不安」そのものだ、とわたしは思う。 子供のころ、迷子になったことがある。 夏の朝、家の前の道を、ひとりでずんずんと進んでいった結果、とんでもないところへ出てし まったのであった。 気がついて見回した町並みは自分のまったく見知らぬ場所である。見知らぬひとが歩いている。 見知らぬ自転車がとまっている。 自分 で勝手に歩いてきただけなのに、自分の帰るべき根元のようなものが、ぷっつんと音をたてて切れてしまったようだった。 遠心力のよう な透明な力によって、リフジンに道端に捨てられたような気がした。 わたしは、ひとりだった。 あたたかい共同体からはじきだされて。 こん棒で胸をつかれたような、激しい悲しみの感情がわいた。 わたしは大声をあげて、泣いたのではなかったか。 今でも遊園地やデパートや公園などで迷子のアナウンスがなされると、その子供の不安が自分のなかで、同じくらいの大きさにふくら んでしまう。きっと誰かが迎えに来てくれるに違いないと思うが、そうしたアナウンスは、見つかりましたという結果までは流さない。 とっ さに脳裏に浮かぶのは、親から見捨てられた、永遠の迷子としての子供のイメージである。 それが自分のなかの悲しみのようなものと共 鳴する。 ここはどこ? すべての迷子は、まずその疑問に射抜かれている。いつも暮らしている場所にいるとき、わたしはそんな質問をもった ことがなかった。自分が生きている場所を見失う不安、それは自分自身を見失う不安のことなのかもしれない。 ここはどこ? というひ とつの疑問は、わたしはだれ? という次の疑問を容易に呼び出しそうな気配を持っている。 しかし、わたしは、自分が迷子になったあのときの、ひりひりとした、 異様に新鮮な不安を、大人になった今、時々、味わいたいと思 & e 1

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