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理科 中学生

理科の問題です‼️‼️ 提出しないと行けないプリントで 教えてください‼️⚠️

結びついた物質を離す反応 ~思考表現編~ ノートプリント No.26 <小話> マグネシウムの酸化について メモ 酸素がくっついたマグネシウムということで 酸化マグネシウムと呼ばれる <1>エタノールを綿にかけ、酸化銅の周りの綿を燃やす。 しばらく燃やした後、火を消さず アルミホイルをかぶせて密閉した。冷めてからアルミを取ると、黒い酸化銅の一部が 赤褐色の銅になっていた。 この原理を考えて、 自分の言葉で説明してみよう。 <2>湯気やお湯に硫黄を含む、 温泉に行った。 温泉から出た後、銀でできたシルバーアクセ が変色してしまっていた。 この原理を考えてみよう。 また、シルバーを元の輝きに戻す方法 を考えてみよう。 (できるだけアクセサリーに傷をつけない形で) <3> 【調べ】自由研究の定番、黒ずんだ10円玉を調味料できれいな色に戻す実験。 酸化銅を 銅にしている (還元している)のだが、 調味料の中の何という成分が還元しているのだろう? <4> 【動画から】 ドライアイスの中で、マグネシウムを燃焼させた。 動画の実験結果から、 どんな ことが言えるだろう。 酸素が結びつきたい相手を考えてみよう。

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化学 高校生

原子の相対質量、分子量式量の単元です。 解答が分からず、どうしたら良いか分かりません。 解答いただけたら嬉しいです。お願いします!

土曜日提出 課題(9月28日 3時間目授業開始時提出) 74. 分子量式量 次の(1)~(6)の分子量または式量を求めよ。 原子量の値は以下の数値を使いなさい。 (1)窒素 N2 H=1.0 C=12N=14 0-16 Ne=20S=32Cl=35.5 Ca=40 Cu=64 (5) 炭酸水素イオンHCO3 (6) 硫酸銅(II) 五水和物 CuSO4・5H2O (2) 塩化水素 HCI (3) 硫化水素 HS (4) 硫酸イオン SO- 解答のみでよい ((2)のみ小数第1位まで。残りは整数で) 72.原子の相対質量 原子の相対質量は、質量数12の炭素原子 12C を基準とし、その質 (1) (2) (3) (4) (5) (6) 量を12としたときの相対値で表される。 次の各問いに答えよ。 (1)12C 1個の質量は2.0×10-2g, ベリリウム原子1個の質量は1.5×10-2gである。 ベリリウム原子の相対質量はいくらか。 (2) アルミニウム原子AIの相対質量は27である。 アルミニウム原子1個の質量は, 12C 1個の質量の何倍か。 (1) 解き方も含めて解答(小数第1位まで) CHO 知識 75. 物質量 次の表中の空欄 (ア)~(サ)に適当な化学式, または数値を入れよ。ただし、 気体の体積は0℃ 1.013×10 Paにおけるものとする。 物質 化学式 物質量(mol] 質量 (g) 粒子数 気体の体験(L ネオン (ア) 0.50 (イ) (ウ) (エ) |カルシウムイオン (オ) (カ) (キ) 1.2×10m 二酸化炭素 (ク) (ケ) 6.6 (コ) (サ) 解答のみでよい(物質量, 粒子数、 体積は有効数字2桁, 質量は整数で) 0° 1.013 × 10 Pa の気体 22.4 L/mol アボガドロ定数 6.0×1023/mol JE) (2) 解き方も含めて解答(小数第1位まで) (t) 1 ア オ (S) ク 73. 同位体と原子量次の各問いに答えよ。 ただし、質量数=相対質量とする。 (1)銅には Cu が 69.2%, Cu が 30.8%含まれている。 銅の原子量はいくらか。 (2)銀は 107Ag と 108Agからなっており、 銀の原子量は107.9である。 銀原子1000個中 には 107Agが何個存在しているか。 整数値で答えよ。 (C) (1) 解き方も含めて解答 (小数第1位まで) (2) 解き方も含めて解答 107Agの個数を α個 とする。 知識 イ ウ エ 76. 質量 粒子の個数と物質量次の各問いに答えよ。 (1)3.0molの水H20は何gか。 また, 含まれる水素原子Hは何molか。 (2)3.2gのメタノール CHOは何molか。 また, 含まれる水素原子Hは何gか。 解き方も含めて解答(有効数字2桁で) (1) (2)

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生物 高校生

明日までなので至急でお願いします!!教科書とか見ましたが全然分かりません。回答の方教えてくれるとありがたいです!!

次の文章を読み, 以下の問いに答えよ。 同一種内の生息地による形質の差異は必ずしも局所適応によるものとはかぎらない。 生 物の形質はすべてが遺伝的に決定されるわけではなく、 環境条件によって変化させること ができる。 このような性質は表現型可塑性 (かそせい)とよばれる。 数を表に示す。 個体当たりの種子数 は適応度の指標であるとみなし 生 息地HとJの環境条件が適応度に 与える影響をふまえたうえで, 種 G が生息地HとJに局所適応している と考えられるか, また, その理由に 実験により得られた個体当たりの種子数 種子の親 生息地H の生息地 生息地】 移植した先の生息地 生息地 H 生息地】 30 80 10 120 ついて 80字以上100字以内で説明せよ。 なお, 遺伝的な影響以外に親の形質が子の形 質に与える影響は無視できるものとする。 生息地 E 生息地 F (1) 1 ③ ④ 生息地ごとの形質の差異が局所適応による遺伝的変異によって生じているのか, 表現型 可塑性によるものなのかを判別する実験的な手法として, 共通圃場 ( ほじょう) 実験 ((1) および相互移植実験 ((2)) がある。 (1) ある昆虫種D は, 環境条件の異なる2か所の 生息地EとFにそれぞれ個体群が存在している。 生息地Eの個体群では羽の色が白い個体が見ら れるが, 生息地Fの個体群では羽の色が黒い個 体が見られる。これらの両個体群から同数の卵 を採取し, 共通圃場として実験室内の一定な環 境下で育てた。 その結果, 両方の個体群由来の 卵から羽の色が灰色の個体が現れた (図1)。 この実験について, 以下の①~④の記述 のうち適切なものに○を,適切とはいえないものに×をつけよ。 なお, 遺伝的な影響 以外に親の形質が子の形質に与える影響は無視できるものとする。 共通場 図1 昆虫種 D を用いた共通圃場実験の概念図 ① 種Dの羽の色は遺伝的に決定される部分が大きい。 (2) 種Dの羽の色にかかわる遺伝子について, 生息地EとFの個体群で局所適応が 生じている。 ② (2) : 提出日 次回授業時に提出 ■POINT 生息地H 生息地H わからない内容があれば、 教科書を使って調べてみよう。 成績に反映するので遅れても必ず提出をしよう。 生息地 J 「生息地J 図2 植物種G を用いた相互移植実験の概念図 33 種Dの羽の色は環境条件によって変わる可能性がある。 4 生息地EとFの間では遺伝的な交流が行われていない。 (2) ある植物種Gは高標高の生息地 Hと低 標高の生息地 J に個体群が存在している これらの2つの個体群から同数の種子を採 取してそれぞれ半数ずつを生息地HとJ で育てる相互移植実験を行った。育てた 植物はそれぞれ成長して種子を生産した 図2)。 個体当たりの得られた種子の 評価

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現代文 高校生

問9の解説お願いします🙏💦

20 ねばならない。 また、こ (解答番号は、第二間で【古文】 を選択した場合は1~現代文を選択した場合は1~25です。) 第一問 次の文章を読んで、1~問1)に答えよ。 少女が涙に濡れた。差し出し、言う。「ピッ」 それを見た少年が、え、雨なの、と空をアオぐ保証など、言語にはどこに ちない。少年が朝鮮を知らなければ何だって? 何て言ったの? どういう意味なの? と、いきなりことばそのもの が前面に立ち現れる ことになる。 www. ロサンゼルスでも、アルフ・アタでもどこでもよい。 英語とスペイン語でも、北京語 広東語でもよい。 秋田空港でタク シーに乗った高知からの運転士との会話でもよい。複数の言語が出会う言語場複数の言語が用いられている場では、こう したことは日常である。 「おそらくこういう意味だろう」というような意味の曖昧な実現の仕方も、まさに日常の出来事である。 ホテルのフロントで 交わされる会話に耳を傾けてみよう。そこがホテルのフロントであるという言語場の条件に支えられて、「おそらくこういう 意味だろう」解ってくれたようだ」といった仕方で、意味がかろうじて立ち現れている、そんなことは、今もおそらく二四時間、 世界中あちこちのホテルのフロントで起こっている。あちこちの場で起こっている。 ことばができあいの意味を有していて、 それをキャッチボールのようにやりとりするといった図式は、ホテルのフロントでも、国境の検問所でも、やはりBに過 この意味な実現というありようを見てゆくと、意味の鮮明な実現と意味の曖昧な実現の境界もまた、しばしばゆ やかなものであることがわかるであろう。意味の実現を考えるにあたって、この点はまた重要である。 「ことば常に多義的である」といった次元のことを述べているのではない。「ことばが常に多義的である」と それ自体として大きくってはいないものの、ことばが意味となる機制の結果を語っているに過ぎない。 ことばは 意味となったりならなかったりする、そしてそのなったり、ならなかったりという境界自体も、また原理的に固定し難いもの だという意味の実現の原理的なありようをここでは問題にしているのである。「多義性」とは、ことばが意味を持つものでは 意味なものであることの結果についての書学的なアプローチによる名づけである。「両義性」 や 「曖昧性」もま たにする。ついでに言えば、「それはまあ、なんて言うか、ちょっとあれですが」とか「これこれっていった感 ことばにする方式、意識的に表現を明瞭にする曖昧化といったことが、表現上の選択肢となり得ることも、 この度にある。 ことばは意味を持つ」と考えた。このことは言すると、ことばを「意味を持つ/持たない」という二項 対立の中に位置づけようとしていることに他ならない。実際の甘酒場において意味が立ち現れる、立ち現れないの際にあること レクがありま は、いくらでもある。そうした意味の「持つ/持たない」の二分法で切り分けようとすること自体が、生理の所行と言わ れがされたことば)であれ書かれたことばであれ、外形を有している。形が在る。形を有すること ばか何らかの意味を持つと見たくなるのは、素朴な意味論のように見えるけれども、実はソシュール言語学を決定的な淵源とす 現代である。 ことばがじないのは、青森方言や鹿児島方言のごとく、そもそもコードが異なるからだとか、意味を持つことばを 聞き手が知らないからだとか、あるいは するからだと考えた。こうした考えは全て、ことばは通じるものだ」という テーゼとして出発している。そうした前提に立って、 伝達の失敗とか意思ソツウがうまくゆかな いといったこと、じようとしてきた。あるいは「文字通りの意味」がまずあり、それが実際に用いられる段になると、「言 があると考えてきた。書かれたことばには「行間を読む」などという比喩もあった。「コミュ ニケーション」にあっては、ことばを「正しく」「正確に」用いることがしばしば語られた。さらにはことばが「文化」にまで める てきたのである。 あらかじ 拡大され、「異文化」というコードを知ること、「異文化理解」などといった考え方が喧伝されてきた。これら多くの考え方の中 で、大前提となる、同一言語コードの上で、即ち正しいコードの共有の上で、ことばの十全たる受け渡し、即ちことばの正しい キャッチボールさえ実現できれば、「ことばは通じるものだ」という暗黙のテーゼ自体は揺るぎないものとして、保持され続け かも戻すた形がと ことばを「意味を持つ/持たない」という二項対立の中に措定しようとする限り、「ことばは通じるものだ」という暗黙のテー ゼは動きようがない。ことばが意味を「持っている」なら、何かしらの外的な阻害条件が加わらない限り、 ことばは投げ与えら れたので、その意味は話し手から聞き手に「伝達」されることになってしまうからである。 言語学的な立場から情報通信理論の図式を提出している典型として、R・ヤコブソン『言語とメタ言語」を挙げることができ る。 「送り手」が「受け手」に対して「メッセージ」を送る。この「メッセージ」ということばも、なかなかに危ないことばで ある。同書では「場面」が強調されている。 送り手と受け手に完全に、もしくは部分的に共通した「コード」と、送り手と受け 手の物理的経路と心理的なつながりである「接触」が欠かせないとして、ヤコブソンはこうした六つの因子を挙げる。場面を強 調している点は首できるものの、送り手が受け手にメッセージをあるコードに従って送るといった考え方は、いかにも機械的、 図式的で、素朴な発想である。こうした機械的 図式的という非現実性は、ヤコブソンの論の隅々に通底する二項対立論がもた らすものである。もっと言えば、ソシュール以来の言語学、記号学、 構造主義が、共通して胚していた二項対立論の、謂わば 負の表れである。負の表れと言ったのは、二項対立論は、二〇世紀思想とまではゆかずとも、少なくとも二〇世紀言語学にあっ ては、長足の発展を基礎づけた、決定的な方法論の一つだったからであり、負の結果と同時に巨大な正の成果も招来してきたか らである。 ジュリア・クリステヴァのような言説の中にも、送り手が「受け手=解読者」にメッセージを送るという、こうした図式が入 り込んでいる。 「伝達される意味」などということばに頼れているように、送られる「タッセージ」はそこでは事実上、意味を 持っていると考えられている。 クリステヴァが「受け手=解読者は、聞こえることを言える範囲でのみ解読する」と言うとき、 「送り手」における意味と、「受け手」における意味という、少なくとも二種の意味があり得ることを掘り下げる、一歩手前まで 来ているのにも拘わらず、どうしても意味を持った「メッセージ」を伝達するという観念から、抜け出ることができないでいる。 「送り手」がある意味をメッセージとして込める、その「メッセージ」を受け手が自ら「言える範囲でのみ」 解読するというク リステヴァの図式においては、やはり「ことばは意味を持っている」 という前提が揺るがない。J・J・カッツ「言語と哲学」 にも似たような考えが見える。 実のところ、送られるのは、一定の意味を持った イッセージなどではなく、一度は音声とい う形で意味から自由になったことばなのである。 ヤコブソンなどのこうしたコード論に立って、意味が実現しないと言っても、それは異なったコード間での出来事ではないか、 エンコード (encode) したのと同じ code でデコード (decode) していないのだから、と反論するのは、見苦しい言い訳に過ぎ ない。その言語観は、まるで数理的な体系でもあるかのような、コードなるものを幻想する以前に、コードなど成立しない言語 場を予めはっきりと理論的に位置づけ得ていただろうか? あるいは一瞬でも考えただろうか? 繰り返すが、 ことばが意 味となったりならなかったりする、あるいはかろうじて意味となる、それは私たちにとって日常であり、世界にとって自然で ある。言語にとっては存在のありかたそのものなのである。そうした事態がその言語観の中に鮮明に位置をシめていないのであ れば、言語の実現のリアリティの大きな前提が、その言語観においては予め切り捨てられている、ないしは隠蔽されていること になる。「ことばが通じる」という事態よりも「通じたり通じなかったりする」ことが先に、あるいは、より深いところにある がゆえに、その深いところにある前提を除外した時点で、その言語観は少なくとももう今日の理論としては失格である。 言語学 としてもヒソウであり、言語教育にあっては、余計に罪深い。ことばが通じない悲しみを背負わぬ言語教育など、信じられるだ ろうか? 百歩譲って、コード論者の言い分を一旦、受け入れてみてもよい。そうしたコード論を理論的に成立させるためには、少なく とも次の二つの本質的な部分を解決せねばならない。 第一に、異なった言語の間だけではなく、実はいわゆる同じ言語の話し手の間でも、つまり同じコードの間でも、ことばが意 24一般入試A問題

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