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現代文 高校生

プラトンにとっての〈わたし〉は、対話の中でプラトンが送り出すロゴスである。 と解答にあったのですが、このことはどこを読めば分かるのですか?

16 望の形態である。それゆえ、「記録」をめぐる手法は常にその時代を象徴する一つのテクノロジーであった。記録は、人々の 記憶を「かたちあるもの」として表現するためのテクノロジーであり続けてきた。ロゴス(言語表現)を用いて「書くこと」; は、「かたちあるもの」として表現するための最も代表的なテクノロジーなのだ。だ <わたし〉と〈他者〉との関係を表現する形態の中で、対話はたぶん歴史上、最も古いロゴス(言語表現)だと僕は思う。 書物や図書館など問題にならないほどの古くて豊かな表現力をもっている。 旧約聖書には、〈わたし〉と〈他者〉という関係が発明された経緯が語られている。中沢新一は、〈わたし〉と〈他者〉とい う関係が神とユダヤ人との「対話」によって始まったとしている。神とユダヤ人との「対話」が始まった瞬間に、〈わたし〉 と〈他者〉との「関係」が定義されたのである。絶対という「関係」が定義されると、世界に意味が与えられる。「対話」に よって、意味が動き始めるのだ。 プラトンはそのような「関係」と「対話」を重視した。書物に問いかけても何も応答がないので、プラトンは神とユダヤ人 がおこなった対話を採用することにした。プラトンにとって、〈わたし〉は、プラトン自身ではない。ソクラテスはもとより、 神になり変わることもできるのだ。対話の中でプラトンが送り出すロゴスは、ソクラテスになったり神になったりしながら生 き続けることになったのだ。 論語やピュタゴラス学派でも、「対話」が重視されている。彼らが殺し文句のように用いる「師曰く」という枕詞は、師の 言葉に服従することを強制しているわけではない。対話を通じて、「師の言葉」を発展させる自由が用意されていることを表 明しているのだ。 5 対話は、「粋な希望」なのである。「有限」としての資料は記述の体系に依存し知覚からは自由であるが、「無限」としての 欲望や想像力は記述の体系から自由になるにつれて、僕たちが持つ知覚の波にさらされ、6のように漂うことに なる。この「有限」と「無限」のとの間の相互作用によって、僕たちは「粋な希望」である対話を実感するのだ。

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国語 中学生

国語 この問題の意味がわからないです。 解説文がどれか、章句とは何なのか。 教えて欲しいです🙇‍♀️

「論語」から」が終わったら のです。 うわき おし 次の「論語」の章句と解説文を読んで、問いに答えなさい。 のたま 子曰わく、 しる 黙してこれを識し、学びて厭わず、 人を誨えて倦まず。何か我れに有らんや。 先生が言われた。 子曰、默而識之、學而不厭、誨人不倦、何有於我哉 「大切なことを黙って心に刻み覚える。 学び続けて、あきること がない。人に教えて退屈することがない。この三つのことは私に とって特別難しいことではない」 じゅつ じ (巻第四 述而第七 二) 天職や天命を見つける才能があるとしたら、それは「飽きない」 ことです。その道に入り込んでひたすら歩き続けてみる。 他の道 に浮気しないで、その道で力のすべてを尽くしてみることです。 考えてみれば、世の中には一生お米をつくる人もいれば、何十年 と家を建てつづけている人もいます。 この道一筋という人がたく さんいるからこそ、世の中は発展し、成り立っています。 はら この「道」は、肚を据えなければ見えてきません。たとえば、 米づくりという道にハマると、その年の気候や土壌の条件によっ し、つくるたびに水のやり方や肥料の量、田植えや稲刈りの日取 などを自分で考えて、変えていかなければならないことを知り す。完全な正解はなく、毎年がチャレンジで新鮮、その世界に ーっと入っていきます。これぞ「学びて厭わず」の境地です。 間の一生は短いものです。 その間にやり尽くしてしまえること どありません。どの道も、つねに新しく、興味深く、奥が深い さいとうたかし (齋藤孝「声に出して読みたい論語」より

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日本史 高校生

日本史なんですが色々な人物や似てる言葉などが多くてとてもわからないです! 日本史お得意の方どうかお願いいたします🙇🏻‍♀️ 2枚目は右の図の拡大したやつです

【2】 律令国家の形成と古代文化の展開について,次の各問いに答えなさい。 (P24~33) (I)次の文章の空欄に適する語句を答えなさい。 ・3世紀後半ごろ, 近畿地方から瀬戸内海沿岸各地に( ① )と呼ばれる大きな墳丘を持つ古墳が つくられるようになった。 ・4世紀初めには,古墳をつくった各地の王が大和地方の王を盟主として( な連合体を形成していたと考えられる。 盟主となった王は,のちに( ③ ・5世紀前半には大阪平野に誉田御廟山古墳や ( のよ ②)といわれる政治的 )と呼ばれた。 に圧迫 しら 新か を維持 下には うな巨大な古墳がつくられた。 は墳丘の全長 486m, 日本最大の前方後円 構を 勢力を した。 96年 対立 ・右図の( ⑤ 墳である。 (2) 次の文章の空欄に適する語句を答えなさい。 ・5世紀ころ, 日本には,朝鮮や中国から移住してくる( ① ) が増え、彼らは様々な新しい技術を伝えた。 STAN ・6世紀には,大陸から, 記録に役立つ文字である(②)や、人の心に平安をもたらす(③) も伝わった。 (3) 次の文章の空欄に適する語句を答えなさい。 こ畿内の有力豪族により構成された政権で,血縁に基づく政治的集団である氏と,地位や身分を表す称 した ユカ 築 築に 号である姓によって秩序立てられた政治機構を( ① )という。 ・5世紀末以降大陸の墓制の影響を受け古墳が変質し,(② ②)があらわれた。 また, 民俗信仰が展 開し、人々はけがれをはらい神々の意向を知ろうと太占や ( ③)などの呪術も行った。 (4) 次の文章の空欄に適する語句を答えなさい。 ・6世紀末, 物部氏を倒し政権を握った大臣( ① )は,(②)とともに国政改革を開始した。 やがて中国に ( ③)が送られるようになり途絶えていた国交が回復した。 国内では人材登用や外 交上の必要性から( ④ が、天皇中心の国家秩序確立のため官僚としての心構えを豪族たちに 説く(⑤)がそれぞれ定められた。 ・(②)が建立した( ⑥ )は、仏教文化といわれる ( ⑦ )を代表する寺院である。

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