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世界史 高校生

パレスチナ問題の時期の中東地域について教えてください。イスラエル人やパレスチナ人、ユダヤ人アラブ人など名前が多くでてきて理解が難しいです。どなたか詳しい方教えてくださると助かります

えいきょう あた ■チナ問題 学習|なぜ中東の問題が, 世界中に影響を与えたの 課題だろうか。 アラブ民族主義と その分断 アラブ民族主義とは, 「アラブはアラビア語を母 語とする一つの民族である」との考え方,さらに進 もと んで 「民族自決に基づき一つの国家をつくるべきだ」との考え方である。こ れは第一次世界大戦前後に強くなった。 第二次世界大戦後, 英仏が引いた <- p.111 境界線を基に多くの国家が生まれ, 1945年にはアラブ連盟という国家間 5 p.158 の協力組織が作られた。 しかし、地域的な広大さや各地域の社会的・文化 ちが うむ きょだい 的伝統の違い, 植民地経験の有無, 諸国間の巨大な経済的格差などにより, 国際的な問題をめぐって利害対立が多かった。 結局, 政治的な統一には至 がっぽう らず,58年から3年間, エジプトとシリアが合邦するにとどまった。 ヨーロッパでユダヤ人(ユダヤ教徒) は長い間差別さ 10 パレスチナ問題 QR 資料 12 はくがい れ,時に迫害されてきた。 18世紀後半から19世紀 に市民革命が続き, 国民国家が生まれるなかで, 「ユダヤ人は居住する国 の国民になるか, ユダヤ人の別の国をつくるか」が問題となった。 19世紀 末に後者の考え方 (シオニズム)が強くなり, スイスでのユダヤ人の会議で 議論された結果, パレスチナに建国することが決定された。 その後, ユダ 15 とう ヤ人のパレスチナへの移住が始まり,ナチ党の迫害などでその数が激増し ➡p.131 たため、半世紀の間に50万人以上が押し寄せ,そこに住んでいた約100 万人のムスリムやキリスト教徒と土地をめぐる争いが多発した。 ぶんかつ 1947年に国連がパレスチナ分割案を提示すると、 翌48年にユダヤ人 はイスラエル建国を宣言した。 これに反対する周囲のアラブ諸国とイスラ 20 エルが戦争になったが, アラブ諸国の敗北に終わった(第1次中東戦争)。 1948~49 2

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歴史 大学生・専門学校生・社会人

この歴史の課題についてです!! ユダヤかアラブのどちらかを()にいれるのですが、 どっちがどっちなのかよくわかっていません… 説明を読んだのですが詳しく書いておらず、調べてみても答えになるような回答は得られませんでした😭 途中まで埋めてみたので、そこの合ってるかの確認と埋ま... 続きを読む

>◆◇ パレスチナ問題 裏面の資料を参考にしたり、自分で調べてみたりして、以下の問いに答えましょう。 1. まずは以下の用語を確認しましょう。 また、 空欄には 「ユダヤ」 「アラブ」 のどちらかを入れましょう。 (ユダヤ)人の国家として国連に認められる。しかし、(アラブ) 人の領土も侵略し、拡大化。(アラブ) イスラエル人との戦争が数回にわたり行われ、現在でも (アラブ) 諸国 (シリア、レバノン、イラクなど)と対立関係が続いて いる。 ただ今、イスラーム組織 「ハマス」 撲滅のために戦闘継続中。 パレスチナ イェルサレム という都市 古代は(ユダヤ人が住む土地だったが、のちにイスラーム教徒の(アラブ) 人が定住。その後、(ユダヤ) 人が戻ってきて、そこにいた(アラブ) 人が難民になった。 その難民をパレスチナ人と呼ぶ。((アラブ) 人の一 部である)。 1988年には国連から( 在は( 人による自治が認められ、イスラエル占領地に自治区を作っている。現 人の入植活動や軍事行動で、居住区は狭められ、難民が増え続けている。 三つの宗教の聖地 (ユダヤ教 キリスト教 イスラーム教)。 1948年には国際管理地区としたが、 現在はどこにも帰属し ていない。 ※エルサレムとも表記される。

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現代文 高校生

愛知医科大学看護学部の公募推薦の過去問です。 答えがないので、答えを出して欲しいです。お願いします🙇🏻‍♀️🙇🏻‍♀️

国 びまん 令和六年度 看護学部学校推薦型選抜(公募制) 基礎学力試験問題用紙 囲 次の文章は、一九九〇年に出版された山崎正和の『日本文化と個人主義』の一節です。この文 章を読んで、後の問に答えなさい。 文化は、これまで国家や民族という観念と強く結びついてきた。そして、人間の歴史を振返っ てみると、不幸なことに国家や民族の自覚はつねに対立抗争の意識とつながってきた。ひとつ の社会のなかで、個人もまたお互いに争うことがあるが、とりわけ国家や民族は、お互いに争う ことで自分自身をつくりあげてきた。その結果として、文化という特性はただの個人の特性以上 に、とかく他者との比較、対立の観点から考えられがちになる。じっさい、今日の経済マサツ や、つい近年までの世界戦争の現実を振返ってみても、ひとが自国の文化、他国の文化をあげ つらうときには、つねに何らかの意味の優越感や、国家主義的な自己主張の意識が伴っていた。 そして、そういう優越感が、たとえば敗戦といった現実によって崩れたとき、今度は極端な自己 卑下が社会に瀰漫するという事実は、多くの日本人の記憶に新しいことだろう。 こうした事情からして、文化論には、1二つの避けがたい危険な傾向が伴っているといわねば ならない。その第一は、過剰な特殊化の危険である。文化を考える場合には、他民族、他国の文 化と比較して考えがちであるので、どうしても両者の共通性よりは、ひとつの文化の異質性を強 調して考えることになる。 つい昨日まで文化的に じっさい、日本の場合、過去の文化論はしばしば民族主義や国粋主義と手を結びがちであった イクセプショナリズム し、アメリカの場合でも、アメリカ文化の「例外主義」という思想が、長らく見え隠れに受け 継がれてきたようである。ユダヤ人の「選ばれた民」の意識、ドイツ人の民族的な使命感といっ たものは、自国の文化を過度に特殊化し、他国との違いを強調することから生まれてきたが、 ③こうした使命感はいったん裏返ると劣等感に変貌する。 高村光太郎という詩人は、若いころフ ランス留学から帰って、日本の国の貧しさとその精神の狭さを嘆いて、「根つけの国」という自嘲 的な詩を書いたことがあった。しかし、彼が本性において強烈な愛国主義者であり、第二次大戦・ 中には過激な祖国讃美の詩を書いたことは、同時代を生きた日本人なら誰もが知る事実だろう。 とかく異文化との劇的な接触は、精神の単純な人物にとっては、自国の文化について過度な自尊 心を誘い出すか、逆に過剰な劣等感を刺激するものであるようにみえる。 そして、いずれの場合でも、そうした特殊化は、個人が自分の存在や行動について振返るとき、 奇妙に気持ちを安らがせてくれる支えになる。自分とは何か、7自己の実質は何かということは、 もともとたいへん難しい問題であり、簡単には答えが出ないものであるが、ひとは生きるために その答えを欲しがりがちである。そのさい、いちばん安易なやり方は、自分がどういう仲間に属 しているかを実感して、それを語ることで自己の中身を言い表わすことだろう。そして、自分 がどういう仲間に属しているかを振返るとき、その仲間の範囲が狭くて、他の集団と対立してい ればいるほど、自分自身の世界のなかにおける位置は明確になる。ここでもまた、文化論のひず みというものは、人間性の悲しい弱さに深く根ざしているといえそうである。 【

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