古文 高校生 1年以上前 沖縄の組踊です。 わかる方いたら教えて欲しいです 沖縄の伝統芸能 をまつる儀式【イザイホー、ウンジャミ、綱引き】 ・祭祀芸能・ ・神や(1 )、ウスデーク、クイチャー】 民族芸能 (2 の芸能・ 野外集団舞踊【(3 【村遊び、京太郎、多良間の八月踊り】 仮設舞台芸能・ 【多くの三線音楽、御前風五曲など】 ・古典音楽.. くどっち 沖縄の芸能 若衆踊(若衆こてい節、四季口説) 古典舞踊・ 【老人踊(4 ニオ踊(上り口説、前の浜)、女踊り(かせかけ、伊野波節)】 組踊・ 左記で学ぼう 古典芸能 雑踊・ 廃藩置県(1879 年)後、古典舞踊の影響のもと創作された踊り 【谷茶前、鳩間節、浜千鳥、 加那ヨー天川】 歌劇 【泊阿嘉、伊江島ハンドー小、奥山の牡丹】 二組踊とは (4512) 組踊とは、(5 )(7 わせた沖縄の古典的な (8 )伴奏を組み合 です。 組踊りの特色 ☆プリントからまとめよう。 ・踊奉行(9 現在 (10 に生まれる。 . (11 . (12 )や(13 ⚫ (13 の跡取り )の練習に励む )年、初めて(14 )を体験 薩摩や江戸滞在中、日本芸能でるある (15 ) - (16 }. )を鑑賞 (17 .(18 ・ (19 『21 年、沖縄独自の(19 組踊を完成 年、(20 初演 朝薫の五番 『23 作品 ・平敷屋朝敏『26 田里朝直の『27 を迎える式典で、 』と『22 24 』『25 J 』を発表 ・高宮城親雲上『28 - (29 年に国の (30 指定される )に 回答募集中 回答数: 0
古文 高校生 1年以上前 言文の授業であづま下りを勉強しているのですが、 和歌の前後の文章(地の文)は、どのような役割を果たしているか。本文を具体的に示しつつ説明しよう。 この問が分からないので教えていただきたいです。 和歌の前後の文どちらかを抜き出して説明してほしいです。 また、歌物語とはどの... 続きを読む 【評価】 二回目の考察 和歌の前後の文章(地の文)は、どのような役割を果たしているか、本文を具体に示しつつ説明しよう。 一回目の考察 歌物語とはどのような作品群を指すといえるか。総括してみよう。 回答募集中 回答数: 0
英語 高校生 1年以上前 なぜBは時制が合わないのでしょうか?? また時を表す副詞節では未来の内容でも現在時制で表すというのは、 時を表す副詞節での現在時制=未来の説明 ではないですよね?? □ 64. Once all entries have been submitted, Daniel Miller, the advertising director, ------- the winning slogan. (A) choose (B) has chosend .53 as nooz z omit ertyd litnu (C) was choosing (D) will chooseoM sibus JEE-OBSTRE 回答募集中 回答数: 0
倫理 高校生 1年以上前 この問題がわからないです この語句を使って「日常生活は、そんなしぶとい挑戦をいつも私に突きつけてきます。」とはどう言うことか説明できません が必要になってきます。難しいことです。行為の目的と行為そのものが分裂して いけばいくほど、自分も分裂し、つらさが増していくことになるのでしょう。 それにしても、遺産相続とか、作品の創造、墓とか、記念碑とか、写真撮影や ビデオ録画など、 生を記憶しよう、残そうという行為の一方に、カフェの準備の ように、なされるそばから消えていく行為がある。平凡な日々の細部の積み重ね。 私たちが死ぬときも、何一つ、痕跡が残らない、 その意味で気高い行為です。 今、ようやく開店したカフェ。しばらくすれば、 人々のざわめきに満たされて、誰一人、女の子が 開店準備をしていたなんて、考えもしない。私た ちの生は、いつもそんな容貌をしています。 そし てここに耐えることでしか、生の次の段階は開か れてこない。日常生活は、そんなしぶとい挑戦を、 いつも私に突きつけてきます。 権上表記できない写真、 図などです。 教科書で確認してください。 回答募集中 回答数: 0
現代文 高校生 1年以上前 文章の意味が分かりません。 単語とか調べたものの、筆者の伝えたいこと、 各段落の内容が分からないので分かりやすい言葉で教えてほしいです。 問題の解説が掲載されていないため、漢字問題以外、解説お願いできませんか?🥺 シャーペンが私の、間違っていたとこのみピンクで正解を示して... 続きを読む off ② ひとひととして向き合い、関係を構築すること自体が稀なことだから。 ⑧ 自立した主体の確立こそを理想とする社会の中で育ってきたから。 ④他者との関係性を損なわないためには、互いに適度な距離をとることが必要だから。 ⑥ 関係だけでなく、個人の能力も自分の本質を為すものとして無視できないから。 五日 (解答番号は、第二間で【古文】あるいは【現代文】 のいずれを選択した場合でも1~35 です。) 第一問 次の文章を読んで、設問 (問1~間10)に答えよ。 ひとりの人間と、彼/彼女が最初に出会うことば 〈言語〉との関係は、自明であり必然的であるというよりはるかに、ある種 偶然と事故によって支配されている。ひとりの人間がその誕生時において引きずる言語的ケイプそのものも、すでに複雑で した経路と水をかかえている。そうだとすれば、ことばの獲得とは、生得的な関係による る種の根源的な喪失とのなかから再発見 再獲得されるなにかであることになる。そのときことばは、私たちの生地ではな なものではなく、あ く、移住地であるのかもしれないのだ。 もしそのように考えることが許されるなら、ことばは私たちの存在を根源的に決定づけるなにものかであることをやめる。こ とばと私たちとの関係のなかに、 な属関係・新有関係を前提としない、旅と移住の運動性が生まれはじめる。こ とばはそれ自体として説明されるのではなく、それが言語的な未発の意識とのあいだに保存する記憶や痛みや欲動のほうから 定義され、そのことによってことばは言語的言語外的な認識によってつねに流動の渦のなかに置き直される。 私たちはみな、自分自身の前言語的な存在のかたちを、ことばという場に住みつかせるのだ。言語を とせずに存在する自分自身というものがあって、それをあらためてことばという異土に移り住まわせる。 そのとき、われわれが な手掛かり ことばを使うという行為は、本来的にすでに移住の行為、移民の行為だということになる。私たちはそのようにして日本語の世 さらにいえば、私たちはそのようにして、日本語話者としての「日本人」へと移民した。 ブラジルでは、ればふつう 「グラフィチ」と呼ばれる。 街路の壁々に描かれた、奔放な落書きのような風刺絵。 そもそもイ タリア語で柱や壁に傷をつけて書かれた「掻き文字」を意味する考古学用語が、日常の街路の壁の落書きをさすことはと 定の業界で仲間内だけで使われる僕。 された「グラフィティ」 (Graffiti)を、そのままブラジルのポルトガル語風に発音すれば「グラフィチ」。この国の街で、グラ フィチはあらゆる通りと路地とに満ちている。消されても消されても、人々は色とりどりのスプレーをふたたび持ってきては、 知らぬ間に家々の、シャッターを呟くばかりの想像力の氾濫によって色と線で埋め尽くしてしまう。 落書きが文字だけであれば、それはふつう「ビシャソン」である。 独特の字体に、特のようなことばの断片が踊り、かぶ 文字が歌やのかたちに変容してきだし、壁の平面に陰影の凹凸が生まれ、ことばに色と風合いとかたちが備わりはじ める。俗っぽいことばや政治的なスローガンを書き連ねる(「ビシャール」=壁に落書きを描く)だけのピシャソンにまじって、 時々はっとするほど時的な数行が、うす汚れた壁面に陥っていることもある。 ブラジルのグラフィチやビシャソンの世界の豊能さを、ブラジルを訪ねるはるか以前に私がはじめて知ったのは、デニス・ テッドロックの詩集『夢の暦の日々』のなかの記述からだった。 ニューメキシコのズニ族や、グアテマラのキチェ族の口承文化 や神話の研究で知られる北米の人類学者・民俗学者テッドロックは、ブラジルのカンピーナス市に滞在して特異な詩集のコウソ ウを練っていたとき、町の落書きのひとつに印象的な詩句を発見する。彼はそのポルトガル語の詩句を、こう写し取ってい VAI-SE A PRIMAVERA QUEIXAS DE PASSAROS, LAGRIMAS NOS OLHOS DOS PEIXES テッドロックが住んでいた家からわずかに二ブロックほど離れた路地に書かれていた、このビシャソンの飛び跳ねる奔放 筆跡を想像しながら、私はすぐに(テッドロックもおそらく気づいていない) この詩句の出自を理解した。 24一般入試A問題 (2024 AG-B-1) 介護は介護する介護されるという立場が明確であり、その主体は介護される者であるため、介護される者が介護とい 関係を受け容れることを待つことしかできない。 介護する者と介護される者の間にひととひととの個別的関係が築かれるためには、それぞれが主体と客体としての役割 をバランスよく果たしつつ、対話の機会を十分に持つ必要がある。 春がゆく鳥の嘆き 涙が魚の目に (行く春や鳥啼き魚の目は mmm はしょう 「奥の細道」の矢立初めの句としてよく知られたこの芭蕉の詩句が、ブラジルの地方都市の路地の壁に優美に踊っているの 想像して、私は不思議な興奮にとらえられた。芭蕉の句が、地球の対地点にまでたどりつく三百年をこえる時の道程のなか で経験した無数の声と文字による橋の過程に携帯用の筆入れと墨壺である立」からとりだされた筆記用具によって 聖の手帖の表面に走った毛筆の軌跡が、時を超えて、南米の植民都市の街路の壁の、スプレーによる躍動する落書きへと転 写されるという、筆跡の機知に満ちたはるかなる旅程に。 このビシャソンとなった芭蕉の句において、過ぎゆこうとする「春」はもはや日本的な春の惜別の感傷を宿してはいない。 ブ ラジルの春とは、いったい植物的な陰喩として測られるものなのか、それとも生き物や食べ物の推移として感知されるものなの か、それすらもはや判然とはしない。 ここで悲しく啼く熱帯の鳥とは? アマゾン川の獰猛な魚の目に溜まる泪とは? 日本語 の Haikaiへと転生するあいだに、ひとつの文化が感情の構造として宿していた意味と感覚の図の が、ポルトガル語の 一体が破れ、異形の、しかしみずみずしい力にあふれた別種のポエジーが、一気に侵入する。 自宅の近くの壁にお気に入りの落書きを見いだしたテッドロックは、たしかにこの時の古典日本的起源を知ることはな かったかもしれない。 しかし「夢の暦の日々」という詩集が示すように、彼はブラジルにおいて経験する日常的な出来事と、そ の反映としての夢のイメージとを、彼がよく知るマヤ=キチェ族の暦の形式に置き換えられた日録のなかに書き込んでいった。 「の」の日にはじまり 「一三の死」の日で一回転する精緻なマヤ暦のなかで自らの日常と幻想とを反することで、彼は近 代世界を統べる日常の時間から離脱し、先住民の生きてきた別種の暦との連続性の感覚のなかに入ってゆく。人類学という実践 そのものが異なる時間性の境界を越えてつかのま生きる実践であり、自らがフィールドにおいて生きたはずの別種の時の充足 ふたたび近代的な時間の支配するアカデミーのなかへと回収してしまう逆説的な行為であるからこそ、人類学はつねに幻影 既存の粋を解ょうヒスコ 夢のを「詩」として、フィールドノートと民族誌の余白に分泌するほかはない。 そして、テッドロックの想像力のなか に堆積した、そうしたヨジョウとしてのポエジーの氾濫が、ポルトガル語となった芭蕉の詩句による無意識のによってうな がされたものであることは、かえって芭蕉の転生としてのビシャソンの力を示している。ハイカイは、ここでたしかに、異土に 移住して別種の「時」と季節を渡りながら、ことばと文字がたどる一つの真実の旅の道程を見事に示している。 ブラジルにおいて、俳句をブラジル時のゼンエイ的な運動へと架橋し、芭蕉の評伝的なエッセイを書いた詩人がパウロ・レミ ンスキーである。姓からも察せられるように、彼の祖父母はポーランド系の開拓移民で、さらに彼の母親には黒人の血統も流れ こんでいた。ポーランド系ムラート〈黒い混血児〉のブラジル人。 この特別のケイフの混合に、レミンスキーは大いなる誇りと を感じていたという。(中略) クリチバという日系人も多く住むブラジル南部の街に生まれ育ち、 「日本」と早くから出逢い、若いときに日本語を習 得したレミンスキーが芭蕉と出会うのは、かならずしも驚くべき偶然とは言えなかったかもしれない、とわかる。そしてポーラ ンド系ムラートのブラジル人によって書かれた、ポルトガル語による唯一の「芭蕉伝」は、やはり「奥の細道」の冒頭における 俳聖の漂泊の心持ちを伝えることからはじまる。 あのビシャソンにもあった「奥の細道」の矢立初めの旬が、ここでも引用さ れているのだ。 レミンスキーによるこの句のポルトガル語ヴァージョンはつぎのとおりである。 primavera não nos deixe pássaros chorum lágrimas no olho do peixe 実験・野心弟で (2024AG-B-3) (2024AG-B-4) 回答募集中 回答数: 0
作文 高校生 2年弱前 家政学部家政福祉学科志望です。志望理由を書いてみたのですが改善点を教えて欲しいです。 ページ) 税の学習コーナーはこちらから! 作品番号 学 た で の 高齢 化 L た た 学 と る N 部 考 よ と が と オ M 玄 え う が 進 考 Spy ( 2 後は て も 学 貴 必 学 要 男女 よ に 3 で B 発 A に t 手 ' す 学 す r 全 *T 3 L の て す 戦 学 人 名 学校名 う " 将来 の の と た Q の 幼 13 と め で 児 に * Sw サ ポ (1 ま - た す L 0 L ま 以 て す 上 安 -2 L て 楽 J む と 予 相 1 ch 久 2 JJ ま す 日 D n が + ル N S あ 障害者 . き か る 5 る 福 保 青学 社 高 会 歯 の づ 6 と で 祉 < や 人 見 考 論 N 2 た え 論 社 会 k M の ま - 季 て 環 の 地 Je 生 す 本 L 節 Cl 境 福社 目 幸 祉 P 城 理 BOY 活 は シ TTO ま の 概 J な 社 さ そ 今 to と す 科 輪 て 14 に 会 送 役 開 0 の 学 は 活 DK ■ 「高校生の作文」 原稿用紙 (20×20) 関東信越国税局 回答募集中 回答数: 0
古文 高校生 2年弱前 国語表現の問題についての質問です。 "すべて"選びなさいということで、ひとつの問題についていくつかの記号を回答するものがあるかもしれないのですが、どの問題も分からないので教えていただけるととても嬉しいです。💧(語彙力皆無ですみません!) 【七】《知・技》次の①~⑤の作品に使われているレトリックを選択肢からすべて選び、記号で答えなさい。(完答) 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 (正岡子規) 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらす (『平家物語』) 33 虫はすずむし。 ひぐらしてふ。 まつむし。きりぎりす。 はたおり。われから。ひを虫。ほたる。 汚れつちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる 汚れつちまつた悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる (中原中也『汚れつちまつた悲しみに』) (清少納言『枕草子』) 5 多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだかなしき (万葉集・東歌) e) ) (☹ ) (→ 【選択肢】 ア 列挙法 イ対句法 ウ反復法 押韻 オ音数律 カ体言止め 回答募集中 回答数: 0
数学 高校生 2年弱前 数学Bの有意水準の問題です。さっぱり分からないので教えてださい! □ 4 ある工場では,これまで17個に1個の割合で不良品が発生していた。 これを改善するために, 新 しい機械の導入が検討されている。 新しい機械の試験導入で試作品を多数作り、その中から無作為 に289個を抽出して検査を実施する。 次の(1),(2)の有意水準について,それぞれ不良品が何個ま でなら, 不良品の割合が減少したと判断できるか。 (1) 有意水準 5% 10: (2) 有意水準 1% 回答募集中 回答数: 0
現代文 高校生 2年弱前 文学国語「共感と驚異」穂村弘 「それ自体の純度を追求されてはいけない」とはどのようなことか。 教えて頂きたいです。 体験に即しているという点では原作よりもむしろこの方が自然である。 多くの読者の体験と一致しているはずである。 それにもかかわらず、感動の度合 いでは明らかに原作の方が強い力を持っている。「桜色のちいさな貝」では、心 の深いところには刺さらないのである。読者の多くは、自分では「飛行機の折れ た翼」を砂浜に埋めたことがないにもかかわらず、その思い出に対してより強い 感情移入をすることができる。それはなぜだろう。 「翼」と「桜貝」の違いはそのまま、言葉が驚異の感覚を通過しているかどう かの違いである。おかしなたとえになるが、「桜貝」の歌がコップのように上か ら下までズンドウの円筒形をしているとすれば、原作の方は砂時計のようにクビ レを持ったかたちをしている。このクビレに当たるのが「飛行機の折れた翼」の。 部分である。この歌を上から読んできた読者の意識はここに至って、「えっ? 飛行機の折れた翼?」という、自分自身の体験とはかけ離れた一瞬の衝撃を通過 することによって、より普遍的な共感の次元へ運ばれることになる。 その際一首のなかで「飛行機の折れた翼」は、あくまでも共感へ向かうための クビレとして機能しており、多くの作品同様に、ここに含まれる驚異の感覚は、B つまり か。 寸胴。 語句 ●意表をつく 漢字 翼(翼賛・尾翼) 普遍 ★「言葉が驚異の感覚を 通過している」とは、具 体的にはどのようなこと ズンドウ 上から下まで が同じ太さであること。 在)→不変・不偏 277 回答募集中 回答数: 0
現代文 高校生 2年弱前 全部分からないので教えてください💦 手の変幻 清岡卓行 第一段落 ミロのビーナスを眺めながら、彼女がこんなにも魅惑的であるためには、両腕を失 っていなければならなかったのだと、僕は、ふと不思議な思いにとらわれたことがあ る。つまり、そこには、美術作品の運命という、制作者のあずかり知らぬ何物かも、 微妙な協力をしているように思われてならなかったのである。 パロス産の大理石でできている彼女は、十九世紀の初めごろ、メロス島でそこの農 民により、思いがけなく発掘され、フランス人に買い取られて、パリのルーブル美術 館に運ばれたと言われている。そのとき彼女は、その両腕を、故郷であるギリシアの 海陸のどこか、いわば生臭い秘密の場所にうまく忘れてきたのであった。 いや、も っと的確に言うならば、彼女はその両腕を、自分の美しさのために、無意識的に隠し できたのであった。よりよく国境を渡っていくために、そしてまた、よりよく時代を 超えていくために。このことは、僕に、特殊から普遍への巧まざる跳躍であるように も思われるし、また、部分的な具象の放棄による、ある全体性への偶然の肉薄である ようにも思われる。 僕はここで、逆説を弄しようとしているのではない。これは、僕の実感なのだ。 ミ ロのビーナスは、言うまでもなく、高雅と豊満の驚くべき合致を示しているところの、 いわば美というものの一つの典型であり、 その顔にしろ、その胸から腹にかけてのう ねりにしろ、あるいはその背中の広がりにしろ、どこを見つめていても、ほとんど飽 きさせることのない均整の魔が、そこにはたたえられている。しかも、それらに比較 して、ふと気づくならば、失われた両腕は、ある捉えがたい神秘的な雰囲気、いわば 生命の多様な可能性の夢を、深々とたたえているのである。つまり、そこでは、大理 石でできた二本の美しい腕が失われた代わりに、存在すべき無数の美しい腕への暗示 という、不思議に心象的な表現が、思いがけなくもたらされたのである。それは、た しかに、半ばは偶然の生み出したものであろうが、なんという微妙な全体性への羽ば たきであることだろうか。 その雰囲気に、一度でも引きずり込まれたことがある人間 は、そこに具体的な二本の腕が復活することを、ひそかに恐れるにちがいない。たと え、それがどんなに見事な二本の腕であるとしても。 図解 ●要点整理(箇条書きで) 回答募集中 回答数: 0