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情報:IT 高校生

(1)、(2)を教えてください🙇‍♀️ 今日までの課題です

5 次の問いに答えなさい。 現在、人間の知的な創作活動によって生み出され たものは、他人が無断で使用して利益を生むことが できないように、作者の権利が法律で保護されてい ます。 我々が書く論文やレポートを含め著作物は著 作権によって保護され、例外を除き著作者の許諾 がないと、複製や他人が自由に使うことはできませ ん。 例外の1つとして、 他人の著作物を自分の著作 物に複製して利用することを引用といいます。引用 は自らの考えや主張が独断ではなく、他との関係や 裏付けがあることを示すたいへん重要な行為であり, その引用の仕方には,一定のルールがあります。 (1)引用が一般的な書籍からであった場合、出所を 明らかにするために必要な項目を列挙しなさい。 (2)次の具体例が、下線aの例外に該当する場合には ○該当しない場合には× と答えなさい。また、 xの場合にはその理由を述べなさい。 ①自分が買ったCDに入っている曲を,ジョ ギング時に聞くため携帯プレーヤーにコ ピーした。 友人も一緒に走るので、友人の プレーヤーにもコピーした。 調べ物をしていて、 図書館に役に立ちそう な資料があったので、 必要部分を図書館で コピーし持って帰った。 学校で教材として配付されたプリントはある 本のコピーであり、最終的に全ページのコピー が配られたので, その本を買わずに済んだ。 ④ 有名な小説の一部分が, 大学入試問題の長 文問題として利用された。 ⑤ あるレポートに取り組んでおり, 自分が今, 頭の中で考えていることと全く同じ内容の 文章をネット上のニュース記事で発見した ので,その文章を無断でコピーし自分の考 えとして発表した。 ⑥ 現在ベストセラーの小説を全ページ点字翻 訳して点字図書を作成し, 視覚障がい者の 方々に楽しんでもらった。 ⑦ 以前アルバイトでお世話になったスーパーの 新装開店イベントに自分もバンド仲間と参加 し、有名グループの最近のヒット曲を1曲演 奏した。 そのときはアルバイトではなかった ので特に報酬は受け取っていない。 長をか って成 ご」を今

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文学国語の朝井リョウさんの18歳の選択についての質問です。 バランスを失ってずるりと口からこぼれ出てしまった。」とは、どのようなことか、言い換えてみよう。13・10 「私の両手はあっという間にいっぱいになってしまった」とはどういうことか?14・13 「きれいなものは... 続きを読む

3 で 志望 結果的に、私は、第一志望の国立大学に落ちた。つまり、浪人をするか、どうにか合格 していた第二志望の私立大学へ進学するか、選ばなければならなくなった。 担任の先生、母、私。狭い部屋だった。第一志望を目指し、浪人。二志望に、進学 - 三人で面談をしていたとき、私の目の前にはそんな二つの選択肢があった。 両親や、当時の担任の先生は、浪人を現実的に考えてもいいのではないか、と言った。 もう一年間努力をすれば届かないわけではないかもしれないし、単純に金銭的な問題もあ った。そのあたりのことを考慮しても、一年間浪人をして、第一志望の大学をもう一度目 指すことが正しい選択なのではないか、という話になった。 あのとき私は、キャスター付きの椅子に座っていた。だからだろうか、心の奥底で決め ていた、いつか言おう、いつか言おうと考えていた言葉が、バランスを失ってずるりと口 1 からこぼれ出てしまった。 「浪人はしたくありません。」 なぜなら、と続けつつ、私は唾を飲み込んだ。 「書きたい話がたくさんあるからです。もう一年なんて我慢できません。」 自分の声が自分の耳に入ってきたとき、私は、なんて寒くて、若くて、青くて痛々しく 1 て、勘違いに満ちた発言だろうと思った。今思い出しても、恥ずかしくてたまらない。だ 十八歳の選択 5 語句 2 「バランスを失ってず るりと口からこぼれ出 てしまった。」とは、 どのようなことか、言 い換えてみよう。 世界を跨ぐ とある 考慮(遠慮・配慮) 勘違い(勘案・勘定)

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写真の文章って「A 普遍性の獲得 → 文脈からの逸脱」と「B 文脈からの逸脱 → 普遍性の獲得」のどちらの流れが正しいですか?

6 アメリカが生み出した消費のマニュアル化としてどうしても無視できないものがあります。言うまでもなく、 マクドナルドです。 2 マクドナルドは、簡単に言えば、フォードが開発した大量生産方式を食生活に持ち込んだと言っていいでしょ う。これはジョージ・リッツァという人が述べていることですが、マクドナルドほど見事に方法化され、マニュ アル化され、技術主義的なものによって支配された消費の場はありません。生産工程の流れ作業的管理を、食生 活という消費プロセスにまで拡大したわけです。 -3 そして、この徹底した方法化によって、マクドナルドは世界へ進出することが可能となった。世界中どこへ行っ ても同様のテンポがあり、ほぼ同様のサーヴィスが受けられ、同様の商品が出てきます。基本的なコウゾウは同 じです。そして、店に入ってからカウンターの前で注文し、商品が出てくるプロセス、店員の応対、座る椅子、 テーブル、出入り口の配置―これらが完全に管理され、マニュアル化されています。モノを食べるという消費 過程そのものを、テーラーシステム化してしまっているわけです。 4 ですから、マクドナルドがきわめてアメリカ的だと言われるのは、ハンバーガーのためというより、本来は、 ゆっくりと味を楽しみ、友人知人や家族の団欒の場であり、社交の場であったはずの食事という文化を、徹底し 技術主義的にとらえ、生産工程のように計測された効率性と画一性を重んじる、技術主義的な思考方法のもと に置いたからにほかなりません。しかも、方法化することによって、特定の場所とか文化に囚われない、一見し たところ普遍的なものをつくっていく。こういうやり方そのものがアメリカ的なのです。 5 しかし同時に、それが方法化された消費の場であることによって、マクドナルドはアメリカを超えてしまった。 それなりに世界中に散らばることが可能となる。それは、アメリカ以外のどこからも出現しえないという意味で はきわめてアメリカ特殊的であるのですが、まさにそのことによって世界化が可能となっているわけです。 これはアメリカ文明のある本質を突いていて、技術主義と方法化によって、特定の文脈に囚われない普遍性を 獲得しようとすると、それが本来置かれている場所、コンテクストを失ってしまう。マクドナルドはもはや、そ れが最初に発生した場所やコンテクストには収まらない。 その意味で、技術主義、方法化は脱文脈化をハカります。コンテクストを逸脱していく。コンテクストを逸脱 していくことによって、普遍化しようとする。脱文脈化したものは、言ってみれば、どこにでもあるものであり ながら、どこにも定着しないものです。一種の故郷喪失者と言ってもよいですね。ですから、言い換えると、ア メリカ文明が生み出した現代文明の大きな特徴はまさに故郷喪失であり、故郷喪失による普遍化なのです。故郷 喪失者であることが、同時に普遍化につながるというコウゾウになっているということなのです。

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現代文 高校生

演繹的な推論のの答え教えて貰いたいです🙇🏻‍♀️՞

都市がもつ市場的な行害を 3 交通のネットワークが都市をゾーンへと分割したために、権力支配は停滞し、経済効率は低下することとなった 4 時間は標準時を、空間は地図を基準とした社会的な指標となり、組織や地域を統合して都市を変貌させていった 5 情報化による統治にともなって都市開発が進められ、都市内部で労働や教育を管理する指標が多様化していった 七傍線部C 演繹的な推論 とあるが、その具体例として最も適当なものを次の選択肢の中から一つ選び、その番号を なさい。 「この小説の主人公は友人に嫉妬心を強く抱いているので、後の展開では報復に出て自分の恨みを晴らすだろう」 2 「この絵の画家は当時の社会情勢に反発していたので、絵に描かれた自然は作者の逃避願望を反映したものだろう 3 「この小説の作者は幼少時に戦争を経験しているので、その体験が影響して平和運動に力を注いでいたのだろう」 4 「この絵には繊細な色や筆遣いが認められるので、描いた画家はきっと写実的な手法を好んで使っていたのだろう」 5 「この小説の作者はどの作品にも耽美的な文体を用いているので、今後も情緒的な作風の小説を発表するだろう」

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この暇と退屈の倫理学の問題が考えれば考えるほど分からなくなってしまったので、解説、解答してくだされば嬉しいです!お手数おかけしますがよろしくお願い致します🙇

R (H M 青 Jeg いるのである。 は社会主義革命の到来後の社会 以外の何に向かうのか。 に向かうのだろう。 余裕を得 しよう。そのときに私たちけ の講演 「民衆の芸術」で、 の盗人のように突然やってく。 モリスは、もしかしたら 起こそうかと考えている。 おもしろいのは、社会 だろうか。 者、ウィリアム・モリ 理学の試みは、 いかに生きるべ 殿の中で退屈し 国や社会が豊かになれば、そこに生きる人たちには余裕が生まれる。その余裕には少なくとも 一つ目はもちろん金銭的な余裕だ。人は生きていくのに必要な分を超えた量の金銭を手に入れ る。稼いだ金銭を全て生存のために使いきることはなくなるだろう。 二つの意味がある。 もう一つは時間的な余裕である。社会が富んでいくと、人は生きていくための労働に全ての時 間を割く必要がなくなる。 そして、何もしなくてもよい時間、すなわち暇を得る。 では、続いてこんなふうに考えてみよう。富んだ国の人たちはその余裕を何に使ってきたのだ ろうか。そして何に使っているのだろうか。 「富むまでは願いつつもかなわなかった自分の好きなことをしている。」という答えが返って きそうである。確かにそうだ。金銭的・時間的な余裕がない生活というのは、あらゆる活動が生 存のために行われる、そういった生活のことだろう。生存に役立つ以外のことはほとんどできな い。ならば、余裕のある生活が送れるようになった人たちは、その余裕を使って、それまでは願 いつつもかなわなかった何か好きなことをしていると、そのように考えるのは当然だ。 ならば今度はこんなふうに問うてみよう。その「好きなこと」とは何か。 やりたくてもできな かったこととはいったい何だったのか。今それなりに余裕のある国・社会に生きている人たちは、 その余裕を使って何をしているのだろうか。 「豊かな社会」、すなわち、余裕のある社会においては、確かにその余裕は余裕を獲得した 人々の「好きなこと」のために使われている。しかし、その「好きなこと」とは、願いつつもか なわなかったことではない。 問題はこうなる。「そもそも私たちは、余裕を得たあかつきにかなえたい何かなど持ってい! たのか。 少し視野を広げてみよう。 二十世紀の資本主義の特徴の一つは、"文化産業とよばれる領域の巨大化にある。 二十世紀の資 本主義は新しい経済活動の領域として文化を発見した。 もちろん文化や芸術はそれまでも経済と切り離せないものだった。芸術家だって霞を食って生 きているわけではないのだから、貴族から依頼を受けて肖像画を描いたり、曲を作ったりしてい た。芸術が経済から特別に独立していたということはない。 けれども二十世紀には、広く文化という領域が大衆に向かって開かれるとともに、大衆向けの 作品を操作的に作りだして大量に消費させ、利益を得るという手法が確立された。そうした手法 に基づいて利益を上げる産業を文化産業とよぶ。 「好きなこと」はもはや願いつつもかなわなかったことではない。それどころか、そんな願い なこと」を与えてもらっているのだから。 があったかどうかも疑わしい。 願いをかなえる余裕を手にした人々が、今度は文化産業に「好き 分の好きなことが何なのか分からない。 資本主義の全面展開によって、少なくとも先進国の人々は裕福になった。そして暇を得た。だ が、暇を得た人々は、その暇をどう使ってよいのか分からない。何が楽しいのか分からない。自 そこに資本主義がつけ込む。文化産業が、既成の楽しみ、産業に都合のよい楽しみを人々に提

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