学年

質問の種類

国語 中学生

至急くしゃくしゃですみません、明日テストでこの問題の答えがなかったので答えを教えて欲しいです、、、

2° 5 次の各文から、形容詞をそのままの形で抜き出し、その形容詞の活用形を書きなさい。 1 白い犬がゆっくり歩く。 2 町までの道のりは遠かった。 3 私たちの学校の給食はおいしい。 (④) 道ばたの花が美しく咲いている。 ⑤ 今日はよい天気だ。 6 次の各文から、形容動詞をそのままの形で抜き出し、その形容動詞の活用形を書きなさい。 1 白いネコが静かに走る。 2 おだやかな海に朝日がのぼる。 ③ 彼のあいさつは明るく元気だ。 ④ 高原の風はさわやかで気持ちがよい。 5 彼女は素敵な歌声の持ち主だ。 7 次の各文から、①から④は副詞を、何から⑧は連体詞を抜き出して書きなさい。 1 困ったときはこうするとよい。 2涙がポロポロ出る。 ③ 公園をゆっくり走る。 4 ここでしばらく休もう。 ⑤ あらゆる方法を試してみる。 ⑥彼はわが国を代表する選手だ。 ⑦77の人にお願いしてみよう。 8 みんなと大きな声で歌う。 8 次の各文の線部の副詞に呼応する言葉を下から選んで書きなさい。 1 きっと明日は雨( ②もしも私が鳥 ( 空を自由に飛べるのに。 ③ 少しも痛くは( 4 どうしてわかってくれないの( ⑤どうか無事にゴールできます( ⑥ まるで生まれたての子鹿の ⑦ たとえ今日はできなく( )。 )、明日はわからない。 ても ない ならば だろう ように ようだ

回答募集中 回答数: 0
現代文 高校生

模倣となぞりの教科書の読解と構成の答えが分からなくて教えて欲しいです🙇‍♀️🙏

<課題>具体例に基づいて論を構成する力を身につけよう 筆者は豊富な具体例と二項対立を提示しながら、日本の芸道におけ る身体訓練を考察していく。書道・舞踏の稽古といった事例や、自分 議論を支える文献などを参照しながら、模倣と「なぞり」、「形」と 「型」といったよく似たことばを対比させることで、日本文化における 身体のあり方という大きなテーマを言語化していくのである。筆者の 議論を参考に、具体的で説得力ある議論の組み立て方を学んでいこう。 ●構成 「模倣と「なぞり」」(一七四・1)の違いについて、本文に沿って 筆者の考えを説明しなさい。 2、「型」(一七五、1)と「形」(一七七・114) とはそれぞれどのような ものか、整理しなさい。 読解 「雪面と全身とが相呼応して、いわば両者の変転が一つの活動と して進行してゆく」 (一七五・122) とはどのようなことか、説明 なさい。 2.「『~できる』知、身に染みこんだ図式にほかならない」 (一十 ・16) とはどのようなことか、説明しなさい。 「心身態勢を内部から「なぞる』」 (一七八・144) とはどのようなこ とか、説明しなさい。 4.「型破りが『さまになる』」(一八〇.8)とはどのようなことか、 説明しなさい。 ●言語活動 1. 「なぞり」によって身につけたものにどのようなものがあるか、 話し合ってみよう。 「模倣」について自分なりのテーマを定め、「序論(問題設定)」 「本論(具体的事例に基づく考察)」 「結論(問題設定に対する自分の 答)」という構成で、八〇〇字以内で論じてみよう。

回答募集中 回答数: 0
日本史 高校生

すみません、答えが分かりません教えてください

1340 1320- ●ポイント 40 20. 室町幕府の成立 ① 10 JAFR MT 【重要用語】 ① 鎌倉幕府はなぜ滅亡したのか。 ようりつ ほくちょう じゅりつ 基盤とし,のち足利氏に擁立されて京都に北朝を樹立した。 □12(大覚寺統 ② 天皇親政の理想をかかげた建武の新政が短期間で崩壊したのはなぜか。 へん けんむ 正中元弘の変を経て鎌倉幕府を滅ぼし, 建武の新政を実現。 □14 ( 挙兵し, 諸国の反幕軍の興起を促した。 建武の新政で重用。 新田義貞 こうき うなが 15 1305~58 鎌倉幕府の有力御家人であったが,元 ろくはらたんだい りはん 弘の変で六波羅探題を攻略し, 新政に参加。 のち離反。 60 1301~38 鎌倉幕府の御家人。 元弘の変で鎌倉を あしかがたかうじ 攻撃し幕府を滅ぼした。 建武の新政で足利尊氏と対立。 170 がわら らくしょ 〕 1334年京都二条河原に立てられた落書で, 建武 ふうし ねんかん き 新政権下の混乱ぶりを風刺した。 「建武年間記』 に収められる。 こうごん □180 1321~80 足利尊氏に擁立され持明院統から光厳 せいい 天皇のあとを継ぎ即位。 1338年尊氏を征夷大将軍に任命した。 90 よしの 〕 1336年, 後醍醐天皇が吉野に開いた大覚寺統の ・朝廷。 北朝を擁立する室町幕府と争い, 南北朝の動乱を現出。 にかいどうぜえん ) 1336年,足利尊氏が二階堂暮らに諮問し,替 鎌 倉 幕 府 ③ 南北朝の分立とはどのようなものであったか。 尊 だいかくじとう 13 (後醍醐天皇) 1288~1339 笑覚寺統から即位。 親政を行い, しん しせい 申された室町幕府の施政方針。 11 じんのうしょうとう き 中心人物。 南朝の正統を主張した 『神皇正統記』を著した。 氏 □120 こうのもろなお しゅうしゅう 氏の執事 高師直と直義の対立に始まり、尊氏の直義毒殺で収拾。 じみょういん 基盤とし、鎌倉幕府の干渉により持明院統と交代で皇位についた。 20. 室町幕府の成立 ① 建武の新政と南北朝の内乱 MARCUSKE AT ごふかくさ こうとう ちょうこうどう 後深草天皇に始まる皇統。 長講堂領を経済的 かめやま はちじょうにょいん 亀山天皇に始まる皇統。 八条女院領を経済的 かわち どう ごだいご おう 】1294~1336 河内の土豪。 後醍醐天皇に呼応して 朝 大覚寺統] 後醍醐天皇 ごむらかみ 1293~1354 後醍醐・ 後村上天皇に仕えた南朝の 文保の和談 南北朝の内乱 ただよし 1350~52年の足利尊氏と弟直義の対立抗争。尊 6 with (両統) 1迭立 後醍醐天皇吉野に移る 南関東・九州で 戦う 正中の変 元弘の変 <建武の新政 (二条河原の落書) 筑後川の戦い (菊池氏) 「持明院統」 尊氏入京、 光明天皇擁立 建武式目制定 北 室町幕府 尊氏, 一時帰伏朝 半済令 一観応の擾乱 守護大名 りょうとうてつりつ ◆両統迭立 持明院統と大覚寺統が皇位を争っ たため, 1317年幕府の仲介で文 保の和談が成立し, 両が交代で 皇位につくこととなった。 したかとき 北条高時 たかすけ 鎌倉幕府14代執権で、最後の得 宗。 内管領長崎高資に実権を握 られ、幕政を乱した。 もり ◆◆護良親王 後醍醐天皇の皇子。 父を助け討幕 運動に活躍し、 建武新政府で征夷 大将軍となるが、足利尊氏と対立 ゆうへ なかせん し失脚。鎌倉に幽閉され、中先 代の乱の時足利直義に殺害された。 いらいついか ◆建武以来追加 しきもぐ> じょうえい 建武式目は施政方針を述べたもの で, 基本法としては永式目が 用いられた。そして貞永式目の追 加や修正は、建武以来追加といわ たいへいき ぱいしょうろん 「太平記」と「梅松論」 どちらも南北朝の動乱を題材とし また軍記物語であるが、 「太平記」 は 南朝の側から,「梅松論」は足利尊 氏の側から描かれ、 好対照をなす。 〔地方〕 建武政府の職制 天皇 〔中央〕 国司・守護 ( 陸奥将軍府 鎌倉将軍府 -武者所(警備) しゃどころ 雑訴決断所 ぎつけっぱんしょ T恩賞方(思食事」 記録所(重要政

未解決 回答数: 1
古文 高校生

徒然草の問題です。 問4の答えは「東国でしら梵字の師が殺されたこと。」だと思ったのですが、解説に「いろをしの立場からまとめる。」と書いてあって、答えは「東国でしら梵字の師を殺したこと。」となるようです。どうしていろをしの立場からまとめると分かるのか教えてください…! (下線... 続きを読む

26 0 つれづれぐさ 『徒然草』〈第百十五段〉 文法詳解図 内容を確認しよう! はぼろぼろ」に対する肯定的評価 は否定的評価 太字は終助詞・間投助詞 名 八四体名 格助 名 (筆者→仏) 四 宿河原といふ所にて、 名 格助サ四・用過去・体接助 名格助力変・完了・体 ぼろぼろ多く集まりて、 宿河原という所で、 九品の念仏を申しけるに、 九品の念仏を 外より入り来たる ぼろぼろが 大勢集まって、 唱え申し上げていたところ、外から 入って来た 副詞の呼応〈疑問〉 格助 名名格助 謙(しら梵字 →いろをし 四体 名 「係り結び(疑問) 春(しら梵字 名 ぼろぼろの、 いろをし サ四体 格助ナ下二・用過去・已接助 この御中に、 いろをし房と申す ぼろや ぼろぼろが、 おはします。 」と尋ねければ、そ ここにいる方々の中に、 いろをし房と 申し上げるぼろは 「もしや、 いをしが いらっしゃいますか。」と尋ねたので、 尊(いろをし 格助 名 格助 丁(いろをし 名 格助八四終 →しら梵字) 文末用法(強調) →「ぞ」の清音化 →しら梵字) ハ四体 係助 名 ※聞き手敬意の謙譲語 謙(しら梵字 いろをし 四体 格助 八下二・已接助 80 の中より、 「いろをし、ここに候ふ。かくのたまふは、誰そ。」と答ふれば、「しら梵字と申す の中から、(一人のぼろが)「いろをしは、 おります。このようにおっしゃるのは、どなたですか。」と答えると、 (私は) しら梵字と申す 謙(しら梵字 謙(しら梵字 ↓2から 名 格 名 謙(しら梵字 名断定終 名 →なにがし) 格助サ四・過去・体名 →いろをし →人) 名 格助 名 四体名 格助サ四・未受身・用過去・終格助ラ四川 者なり。己が師、なにがしと申しい人、東国にて、いろをしと申すぼろに殺されけりと承り 者です。 私の師匠で、 何某と 申し上げた方が、 東国で、 いろをしと 申し上げるぼろに殺されたと うかがっ 謙 (しら梵字 謙 (しら梵字 謙(しら梵字 →いろし) 名格助 名格助ハ四・用補ラ四・用接助 →いろをし →いろをし しら梵字は ナ下二・用補サ四・体定・終 格助ハ四終 過去 マ上二用補サ四・未経助格助ハ四・用接助 しかば、その人に逢ひ奉りて、恨み申さばやと思ひて、尋ね申すなり。」と言ふ。 いろをし、 たので、 その人に お会い申し上げて、 恨みを晴らし申し上げたいと思って、 尋ね申し上げたのです。」と (その者は言う。いろをしは、 尊(いろをし 丁(いろをし 謙(いろをし 梵字) しら梵字) 丁(いろをし 名 格助サ四用補ラ変・体推量・終 →しら梵字) 係助 ナ下二用補サ変・用完了終 →しら梵字) ラ変・過去・終 シク用 変体名 名 格助 サ変・袖ラ四・未接助 「ゆゆしくも尋ねおはしたり。さる事 侍りき。ここにて対面し奉らば、道場を汚し侍るべし。 「殊勝にも よく尋ねていらっしゃいました。そのようなことがございました。ここで お手合わせ申し上げれば、道場を 汚すことになるでしょう。 尊(いろし →わささしたち) 名 格係 ガ四用 補八四終格助 (尾) 聞き手敬意 謙(いろをし の謙譲語しら梵字) 名 格助名 格助ラ四・用八四・未意志・終 幹 前の河原へ参りあはん。 いづ方をもみつぎ 給ふ な。 あまたの あなかしこ、わきさしたち、 傍らに付き添う者たちよ、 参ってお手合わせしましょう。 決して、 どちらをも 加勢なさってはいけない。 大勢の 前の河原へ 丁(いろをし きさ ち) 四終 名 格助 名 格下二・用ハ四・用接助 マ下二・用接助 名 名 格助 名 断定用補ラ変体推量・終 格助ラ四・未接助 わづらひにならば、仏事の妨げに侍るべし。」と言ひ定めて、二人、河原へ出であひて、心行く 二人は、 出て 河原へ 立ち合って、 思う存分 話をつけて、 迷惑に なっては、 修行の 妨げでございましょう。」と →(あらむ) 1から 名 四体名 ク・体名 名係助用 過去・体断定・用係助 剛助 変・用完了・用過去・終 八四用 格助 接助 ばかりに貫き合ひて、共に死ににけり。 ぼろぼろといふもの、 昔はなかりけるにや。近き世 ぼろぼろという者は、 近世に、 昔はいなかったのであろうか。 二人とも死んでしまった。 刺し違えて、 (省略) 名名定・用過去・体格助係助間助 名 格助夕下二・用完了・体格助力上一・川助 剛助 ハ四用過去・体名 格助 ぼろんじ・梵字・漢字など云ひける者、 その始めなりけるとかや。 世を捨てたるに似て ぼろんじ・ 世俗を捨てたようでいて 梵字・ 漢字などと いった者が、 その起源であったとかいうことだ。 随筆 名 名 名 ここに 名 名 格助四体格助十上一・用接助 5 80 (Br =) < (5 名 そ 3 (省略) 格助 名 名 名 格助サ変・終 名格名 断定・巳接 名格助ク・サ愛用後助 我執深く、仏道を願に似 闘を事とす 放逸無意の有様なれども、死を軽くして、少しも 闘争を 仕事としている。 勝手で恥知らずの有様であるけれども、死を軽くみて、 執着心が強く、 仏道を 願うようでいて 少しも 副詞の呼応〈打消〉 四・未打消・体名 格助 丁(筆者→読み手) 格助 カ下二相変体新定・ ク用 ヤ下二 名格助四・過去・体 なづまざるかたのいさぎよくおぼえて、人の語りしままに書き付けるなり。 生に執着しないところが 痛快に 思われて、 人が話したとおりに 書き付けたのでございます。 2

未解決 回答数: 1