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日本史 高校生

すみません!大至急です!! これの答えを教えてください🙇🏻‍♀️

21 りつりょう 794年に(1)から平安京に遷都した箱 室生寺盗 室生寺は真言宗の寺院で、地形に応じた自由な伽藍配置をもつ 寺の五重塔は、 屋外の五重塔としては最小のものである。 また ては、金堂釈迦如莱岦像や釈迦如来坐像などがある。 平安初期の政治 次の文を読んで、下の問いに答えなさい。 あん 21 武天皇は、律令制の再建に努めた。 I 1 勘解 飛 鳥 はんでん ぞうよう 使を設置し, 班田の期間を一紀 (12年) - a 難に改め、雑搖を年間60日から30日に減じ 667年 大津宮 645年 654年 難波宮 -2 3 た。 また, 一部の地域を除いて軍団を廃止 し,(2)を採用して、 郡司の子弟らに国 府の守備などを担当させた。 さらに天皇は, ぐんだん A 飛鳥浄御原宮 ぐんじ 14 694年 藤原京 740年 恭仁京 (1) えみしせいとう b (3)を派遣した。 蝦夷征討に力を入れ,征夷大将軍として ↓710年 744年 B 平城京 難波宮 -5 -6 784年 さが 嵯峨天皇も桓武天皇の改革を継承し, 律 (1 745年 744年 C 紫香楽宮 -7 令制の再建に努め, (4) に際して(5) 794年 18 くろうどのとう を任じた蔵人頭や,都の治安維持や裁判 のために設けた ( 6 )など, 令に規定の ない新しい官職を設けた。 さらに法制の整 備を図り, つぎつぎと出された格や式を, D平安京 ← 福原京 1180年 d II 丹 き 近江 A -B きゅく しき 221 10 (7) 格式として編纂した。 その後, 貞 摂津 . 延喜格式が編纂され,また, 公式に令 の解釈を統一した 『(8)』 も編纂された。 (1) 文中の( )に適する語句を書け。 (2) 右のⅠの宮都変遷図のA~Dの位置を Ⅱの地図中のあ〜けからそれぞれ選び, 記号を書け。 (3) 思考 桓武天皇が下線部aを設置した目 的は何か。 当時の地方政治の問題点にふ れて,簡単に書け。 (4) 下線部bについて, 次の問いに答えよ。 ちんじゅ ① 右のⅢの地図のアには802年に鎮守 府が置かれた。 アの城の名を書け。 ② 鎮守府はアに置かれる前は,イに置 かれていた。 イの城の名を書け。 (5) 下線部cを長官とする役所を何という か。 (6) 下線部dを何というか。 III 和泉 河内 秋田城 733 おがち 雄勝城 759 いわらね 伊賀 うえ ■え 大和 志波城 1803 伊勢 3 (4) D (5) (6) (7) ぬたり 渟足柵 (8) 647 0 舟柵 648 キ (7) 文中 (7) 貞観延喜格式の3つを総称して何というか。 ちょくえいでん 8)9世紀に財源確保のため、大宰府管内に置かれた直営田を何というか。 16 T @ は

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日本史 高校生

写真の内容が、何度読んでも全然意味がとれないです。どなたか短く内容をまとめてくれないでしょうか。

になった。 10世紀後半には、任地に土着した国司の子孫たちゃ 荘園の発達 こくが 地方豪族の中に、国衙から臨時雑役などを免除され かいはつりょうしゅ て一定の領域を開発する者が現れ、11世紀に彼らは開発領主と呼ば ○れるようになった。 かんしょう 開発領主の中には、国衙からの干渉を免れるために、所領を含む きしん 広大な土地を貴族や大寺社に寄進し、その権威を背景に政府から官物 ふ ゆ かんしょう ふしょう や臨時雑役の免除 (不輸)を認めてもらう荘園 (官省符荘 6 ) にして、 あずかりどころ げし しょうかん みずからは預所や下司などの荘官となる者も現れた。 寄進を受け せっかんけ た荘園の領主は領家と呼ばれ、この荘園がさらに摂関家や天皇家な ほんけ どに重ねて寄進された時、上級の領主は本家と呼ばれた。 こうして できた荘園を寄進地系荘園と呼ぶ。 やがて、 荘園内での開発が進展するにともない、 不輪の範囲や対象 をめぐる荘園側と国衙との対立が激しくなると、 荘園領主の権威を利 けんでんし ふにゅう ○用して、 検田使など国衙の使者の立入りを認めない不入の特権を しょうえん る荘園も多くなっていった。 受領は荘園を整理しようとしたが効

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古文 高校生

帝のセリフの中の敬意対象は全て帝でいいのですか?

例:(聖モ)無常を心にないだ (聖も) 無常を心にかけていらっしゃったとうかがう。 二 次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。(一部省略) くわさ 延喜の、世間を作法したためたまひしかど、過差をばえしづめさせ 醍醐天皇は 世間の風俗習慣をお取りしまりになったが 過度のぜいたくを抑えなさることが さうぞく たまはざりしに、この殿、制を破りたる御装束の、ことのほかにめで できないでいらっしゃった時に、左大臣時平公は うち 2) てんじゃう たきをして、内に参りたまひて、殿上にさぶらはせたまふを、帝、 宮中に 殿上の間に こじとみ しきじ 小蔀より御覧じて、御けしきいとあしくならせたまひて、職事を召し 蔵人 いち 臣下の最高位 びん て、「左のおとどの、一の人といひながら、美麗ことのほかにて参れる、 便なきことなり。はやくまかり出づべきよし仰せよ。」と仰せられけ 不都合なことである れば、承る職事は、いかなることにかと怖れ思ひけれど、参りて、わ ( かしこま ななくわななく、「しかじか」と申しければ、いみじく驚き、畏り承 りて、急ぎまかり出でたまへば、御前どもあやしと思ひけり。 先払いの者たちも不思議なことだと思った ひとつき さ さて、本院の御門一月ばかり鎖させて、人などの参るにも、「勘当 時平公は家の門を おとがめ 重ければ」とて、会はせたまはざりしにこそ、世の過差はたひらぎ なくなって たりしか。うちうちによく承りしかば、さてばかりぞしづまらむと みこころ て、帝と御心あはせたまへりけるとぞ。 こんなふうにしてこそ (大鏡)

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国語 中学生

この大問四はなぜアになるか教えてください 解説見ても全然わかりませんお願いします

② 次の文章を読んで、問題に答えなさい えんぎ A おほかた延喜のみかど、つねにゑみてぞおはしましける。 そのゆゑは、「まめだちたる人には、ものいひにくし。うちと 真面目すぎる 理由 大 けるけしきにつきてなむ、人はものはいひよき。 小こと聞かむがためなり」とぞおほせごとありける。 それ、さ ることなり。けにくき顔には、ものいひふれにくきものなり。 無愛想な むらかみ 村上のみかどはた申すべきならず。 「なつかしうなまめ 親しみやすく優雅な点 また申しあげるまでもない きたるかたは、延喜にはまさり申させ給へり」とこそ、人申す まさり申しあげていらっしゃる たま 申しあ めりしか。「われをば人はいかがいふ」など人に問はせ給ひけ げているようだった るに、「「ゆるになむおはします』と、世には申す」と奏しければ、 寛容でいらっしゃる みかどに申しあげたところ 「さてはほむるなんなり。 王のきびしうなりなば、世の人いか 褒めるのであるようだ どうし 古典編 1 古文の基本 3-3----.. 2線② 「そのゆゑ」について、「延喜のみかど」た言い していらっしゃった理由に当たる部分を、文章中から十二字 き出しなさい。 よく出る □には「だから」という意味の語が入ります。 てはまるものを次から一つ選び、記号で答えなさい。 ア しかれども されば ウさりとも されど えが 4 A・Bの文章に共通して描かれている主人公の好ましい姿と て適切なものを次から一つ選び、記号で答えなさい。 (5 お しんちょう ア深い考えをもちつつ、穏やかな態度で人々に接する姿。 イ 人々のまとまりを大切にするために、慎重に行動する姿門 正義を重んじ、善悪の判断を正しく行おうとする姿。 エ人々に対して、厳しい面と優しい面とをあわせもつ姿。 やさ 3 H 聞かむかた (

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日本史 高校生

問1、問2、問3について教えて頂きたいです。

料書 P44~65〕 中世社会の成立 4ページ 摂関政治と文化の和様化 [教科書 P44~54〕 I) 空欄にあてはまる語句を入れなさい。 また、下線部の問いに答えなさい。 1. 貴族社会と摂関政治〔教科書 P44~47] ED 平安時代になると藤原房前の子孫である藤原氏北家が天皇の母方の親族a 外戚となり勢力を伸ばす。 藤原冬嗣・・・ 房前の曾孫。嵯峨天皇の信任を得て、蔵人頭となる。 - 藤原良房 ・・・冬嗣の子。 842年の承和の変で伴 (大伴) 健岑・橘逸勢らを退ける。 866年に応天門の変のとき、臣下として 初の(摂政)となる。また、応天門の変を利用し、有力氏族の伴氏・紀氏を没落させる。 藤原基経・・・良房の養子。 884年に最初の(関白)として天皇を補佐した。 藤原忠平・・・基経の子、時平の弟。 朱雀天皇の摂政、朱雀・村上天皇のb関白を務める。この ろ、醍醐・村上天皇による延喜天暦の治とよばれる天皇親政が行われる。 藤原実頼・・・忠平の子。 969年の安和の変で左大臣源高明が左遷されると以後、ほぼ常に摂政・ 白が置かれるようになる。 藤原道長)・・・忠平の曾孫。後一条・後朱雀・後冷泉の3天皇の外祖父となり、摂関政 最盛期を実現。 浄土教に帰依し、 法成寺を建立。 藤原頼通)...c道長の子。 後一条・後朱雀 後冷泉の3天皇の摂政・関白となるが、 の娘と天皇との間には、 皇子が生まれなかった。 宇治に平等院を建立。 世紀末~10世紀 (平安時代前期~中期) 天皇が延喜の荘園整理令を出す→班田制の立て直しをめざす。 制度の変更→国司の最上席者の権限が増大し、受領とよばれるようになる。のちに赴任せず 入を受け取る (遙任)がさかんになる。 農民 (田堵) や田地の耕作を請け負い、租庸調や公出挙の利息にあたる官物や臨時雑を国 納めた。 課税の対象となる土地は名という単位にわけられ、 税の請負人は負名とよばれた。 がんから土地に変化。 してもらう

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