学年

質問の種類

世界史 高校生

問一、 答えはギリシア正教会なのですが、コンスタンティノープル教会ではダメですか? ビザンツ皇帝が支配したのはギリシア正教会なのですか? 二つをどう使い分ければいいのかわかりません。教えてください!!

57 ビザンツ帝国 ビザンツ帝国(東ローマ帝国)は,ゲルマン人やフン人の侵入による影響を受ける ことが少なかった。西ローマ帝国の滅亡後,ビサザンツ皇帝は唯一のローマ呈帝とし て高い権威を保持し,西ヨーロッパの皇帝と異なり政治だけでなく。示教において も最高権力者であった。またビザンツ帝国は商業や( a となく,首都の(? 帝国は6世紀半ばには最盛期を迎え,( )経済が衰えるこ )がヨーロッパ最大の貿易都市として繁栄した。 Sh支)大帝のもと。旧ローマ帝国の 領土の大部分を復活させた。彼は法学者トリボニアヌスに(* A)を編纂さ せたり,中国伝来の養蚕技術を導入して (5 上) 産業を振興するなど内政も 充実し,またこの時代には。ビザンツ文化も繁栄した。しかし,長期にわたる遠征 で国力は低下し, 彼の死後, 多くの領土が失われた。その後周辺異民族の侵入に対し, 帝国をいくつかに分け, 司令官に軍事と行政の権限を与える制度が実施された。 11世紀頃から。。皇帝は中央集権を維持することが困難となり,帝国は衰退し始め た。13世紀になると首都( )が(6年 国が建てられるなど国内は混乱し,15世紀半ばにオスマン帝国に滅ぼされた。 下線部aについて, ビザンツ皇帝が支配した東方教会を,西方のローマ=カ )の攻撃を受け,( )帝 問1 トリック教会に対し何というか。

解決済み 回答数: 1
世界史 高校生

よろしくお願いします!!

B 75年,ペトロニア=ユスタは自らの自由のために裁判で争っていた。ユスタは (カ解放 奴隷を母に持つ女性である。解放された,すなわち自由人の母から生まれたのだから,自 分は「生まれながらの自由人」 である,というのがユスタの主張だ。しかし, 雇い主の妻 はユスタを「解放された奴隷」だと主張し, 全面的に争う姿勢をみせている。 ローマの拡大は奴隷制度の発達をもたらしたが,(キ帝政期になると奴隷の扱いも変化 し,ユスタの母のように解放される奴隷も多くなった。しかし, 市民社会では解放奴隷と 生まれながらの自由人とでは扱いが異なるため,ユスタも必死であっただろう。 ユスタの裁判記録はヘルクラネウムという (ク都市でみつかった。それは, 裁判の登場 人物たちにさらなる困難が待ち受けていることを示唆する。 79年のウェスウィウス火山 の噴火である。同年にヶ即位したティトゥス帝は救援を送ったが,この都市は埋没し, (ケ) ユスタの無事はわからない。判決の記録もなく, 彼女が裁判に勝利したのカ うかも不明 である。しかしユスタの裁判記録は, 2000年近く前の古代ローマにおいて, 一人の女性 が裁判を起こせる (コ文化的,社会的背景があったことを示している。 問9 下線部(ケ)に関連して,下の表はある時期の皇帝と即位年をまとめたものである。こ の時期の政治的状況と, それがどのような形で終息したのかについて,表中のZの名を 明らかにしながら,次の語句を必ず用いて, 55字以内で説明せよ。 属州 皇帝 即位年 マクシミヌス 235 ゴルディアヌス1世 238 ゴルディアヌス2世 238 プピエヌス 238 パルビヌス 238 ゴルディアヌス3世 238 (中略:8人の皇帝) ウァレリアヌス 253 (中略:11人の皇帝) Z 284

解決済み 回答数: 1