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理科 中学生

Q. 中1理科 光の屈折応用  画像の(3)の考え方を教えてください

3 光の進み方を調べるために,次の実験を行った。 <群馬> 実験 図1のように, 茶わんの底に硬貨を置き, 点○から茶わんの中を見たところ, 硬貨は見えず茶わんの内側の点○' が見えた。次に, 茶わんの中に水を入れなが ら,点○から茶わんの中を見たところ、 図2の水面の高さまで水を入れたとき, 硬貨の点Aがはじめて見えた。 なお, 図の点線は,水を入れる前に点○から茶わ んの中を見たときに見えた点○' と, 点○を結んだ直線を示している。 (1) 光が水中から空気中へ進むときの、入射角と屈折角の大きさの関係として適切 図 1 目 点〇 硬貨 図2 「茶わん 点 点 水面 なものを,次から選べ。 点 A 図 3 ア 入射角<屈折角 イ 入射角=屈折角 ⑦入射角>屈折角 (2)作図 図2で、硬貨の点Aから出た光が点まで進む道すじをかけ。 (3) 図2からさらに水を入れた場合, 硬貨の点Bがはじめて見えるときの水面の高 さとして最も適切なものを, 図3のアウから選べ。 (1) (2) 図2に記入 (3) 4 光源,焦点距離が10cmの凸レンズ,スクリーン, 光学台を 使って、 図1のような装置を組み立て, スクリーンに像ができる 位置を調べた。 凸レンズの位置を固定し、 図1の矢印のように光 源とスクリーンを動かしていくと, 図2の位置に光源とスクリー 図 1 〇' 図2の水面 点B スクリーン IT 凸レンズ 光源

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生物 高校生

なんのために眼球外へ伝わるのですか?🙇🏻‍♀️

眼は,光を受容し,その強さとしての明るさや, 光の波長の違いなどの情報を伝達 BER することに関わる受容器である。 mの球形をしており、 ●眼の構造と視覚が生じるしくみ ヒトの眼は直径約25mm 眼 球前部にある角膜と水晶体は光を屈折させて網膜上に像を結ばせる。 網膜には感覚細 rod cell しさいぼう もうほん 胞として錐体細胞と桿体細胞の2種類の視細胞があり(図2),これらの細胞によって 光を受容する。受容して得た情報は,網膜に分布する視神経繊維を通じて眼球外へ伝 わる。このとき,視神経繊維は1つの束となって,網膜を眼球内から外へと貫くため、 その部分には視細胞が分布せず, 光を受容することができない。この部分を盲斑とい う。左右の眼球から出てきた視神経は,視交叉と呼ばれる部分で一部の神経が交差して 大脳にある視覚の中枢に情報を伝え、そこにあるニューロンが興奮して視覚が生じる。 自分の盲斑の形を調べてみよう (実験10)。 しこう さ blind spot 鼻側) 右眼の水平断面 (耳側) 角膜 水晶体 瞳孔 虹彩 毛様体 結膜 チン小帯 網膜 脈絡膜 強膜 視神経 盲斑 視神経繊維 断 (左) 頭部の水平断面 (右) 視神経 視交叉 -ガラス体 脳 盲斑 黄斑 視神経の 細胞 黄斑 連絡の ニューロン 視覚の中枢 網膜の右側の情報は右脳で、左側の 情報は左脳でそれぞれ処理している。 ■光| 錐体細胞 網膜 桿体細胞 桿体細胞 錐体細胞 色素細胞 脈絡膜 血管 強膜 図21 ヒトの右眼の構造と視交叉 O 網膜の断面 20μm

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現代文 高校生

国語の「光の窓」という小説なのですが、問題が 「暗闇の中に差し込む光」について、これを比喩的に表現している言葉を本文中6字で抜き出して答えなさい。 ⤴︎これを教えて頂きたいです。

光の窓 家の雨戸には、横並びに五つか六つ、細長い小窓が付いていた。 窓全体を覆う戸板が で、それをずらすことで開閉できる。雨戸を閉めても、外の様子をのぞくことができ 換気の役目も果たしていただろう。こういう窓を「無双窓」とよぶというのは、後 って知ったことだ。 双窓は子供部屋にもあった。私と妹は、その六畳ほどの狭い和室で寝起きし、宿題も というふうだった。以前は嫁ぐ前の叔母姉妹の部屋だった。 板の微妙なずれ方によって、朝、そこから、 まぶしい光の侵入がある。暗闇の中に差 込む光の模様は、一日として同じことはなかった。 光のトンネルの中に浮かび上がる、きらきらと舞う無数のほこり。 それがおもしろくて いつまでも見ている。そんな子供はどんな時代にもいるはずだ。 110 5 私は、あのとき何を見ていたのか。舞うほこりに見とれていたのか。 いや、光によって 照らし出されたものよりも、通過する光そのもの、光の「働き」のほうに魅せられたので はなかったか。 見るとは実に不思議なことだ。視覚を通して何かを「見る」とき、私たちはいったい何 を見ているのだろう。木だ、空だ、花だと、一つ一つ認識しながら見る場合はいい。そう ではなく、目を開けて何かを見ていても、頭は別のことを考えているということがある。 例えば壁の染みに、染みから想起された全く別の、過去のある出来事を見ているというこ とがある。 視覚の力は圧倒的だが、ほかの感覚に引きずられるとき、目を開けていながら、視界が 空っぽになり、見えている眼前の風景を見ていないということにもなるのはおもしろい経 験だ。 それでも、目が見える場合には、どうしたって見えてしまうし、見てしまうのだから、 その経験は長くは続かない。それが大人の肉体である。今、私は見ている、見ている私が いる、というふうに自意識も動き出してしまう。 こんぜん 子供の頃はそうではなかった。視覚も聴覚も嗅覚も触覚も、五感がもっと渾然と溶け合っ ていて、もっと放心してものを見ていた。我を忘れて、一個の感覚の器として、世界の中 に一人あった。幼年の「からだ」は泥のようになまめかしい。 5 10

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