学年

質問の種類

地学 高校生

1 2 3とわかりません おしえてほしいです

間2 図4は、 水中で堆積物の粒子が動き出す 流速および停止する流速との関係を水路 実験によって調べて示したものである。 曲線 A は、徐々に流速を大きくしていっ た時に、静止している粒子が動き出す流 速を示す。曲線B は、 徐々に流速を小さ くしていった時に、動いている粒子が停 止する流速を示す (2012年度センター試 験 「地学 Ⅰ』 改題)。 ① 中 =5mm に粒径を揃えた粒子を水路 に堆積させて、徐々に流速を大きくす る実験を行った。 粒子が動き出す流速 流速 (cm/s) を、図4を用いて読み取りなさい。 (4点) 配 512 T 256 128 64 32 16 曲 A 8 4 2 1 祝日・ SOLAR T GOVENAR EZ 1 2 4 8 16 32 1 1 1 1 128 64 32 16 8 4 粒径 (mm) 図4 水中で粒子が動き出す流速および停止する流速と 粒径の関係 (2012年度センター試験 「地学Ⅱ』より) ② 流速が毎秒 5m 以上の水路において、様々な粒径(1/128~32mm)の粒子が移動している。 徐々に流速を小さくしたとき、泥の堆積が始まる流速は何cm/sだと考えられるか。(3点) 問3 地球上でマグマが噴出している主な場所は、沈み込み帯、 中央海嶺、( A )である。AC る火山活動の特徴を、 A の名称を明らかにするとともに、 「プレートの運動」 「プリューム う言葉を用いて100字以内で記述しなさい。(3点)

回答募集中 回答数: 0
現代文 高校生

高校2年生、文学国語の檸檬についてです。 分かりにくくて申し訳ないのですが、シャーペンで丸してある問いの4番の答えを教えていただきたいです。 答えらしきものが見つからず、分からないので模範解答とさせていただきたいです、、! よろしくお願いします!

e (小説)檸檬 【二】 次の文章を読んで、あとの問いに答えよ。 (7) 私はまたあの花火というやつが好きになった。花火そのものは第二段として、あの安っ ぽい絵の具で赤やや黄や青や、さまざまの縞模様を持った花火のタバ、中山寺の星下り、 合戦 枯れすすき。 それから鼠花火というのは一つずつ輪になっていて箱に詰めてある。 そんなものが変に私の心をそそった。 それからまた、びいどろという色ガラスで鯛や花を打ち出してあるおはじきが好きにな ったし、南京玉が好きになった。またそれをなめてみるのが私にとってなんともいえない 享楽だったのだ。あのびいどろの味ほどかすかな涼しい味があるものか。私は幼いときよ くそれを口に入れては父母にシカられたものだが、その幼時の甘い記憶が大きくなってお ちぶれた私に蘇ってくるせいだろうか、全くあの味にはかすかなサワやかななんとなく詩 美といったような味覚が漂ってくる。 間一 傍線部(ア) 問二 問 察しはつくだろうが私にはまるで金がなかった。とはいえそんなものを見て少しでも心 の動きかけたときの私自身を慰めるためには贅沢ということが必要であった。二銭や三 銭のもの――といって贅沢なもの。美しいものといって無気力な私の触角にむしろ媚 びてくるもの。――そういったものが自然私を慰めるのだ。 生活がまだ癧まれていなかった以前私の好きであった所は、たとえば丸善であった。 赤や黄のオードコロンやオードキニン。洒落た切子細工や典雅なロココ趣味の浮き模様を 持った琥珀色や翡翠色の香水瓶。 煙管、小刀、石鹸、煙草。私はそんなものを見るのに小 一時間も費やすことがあった。そして結局一等いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするの だった。しかしここももうその頃の私にとっては重くるしい場所にすぎなかった。 ショセ キ、学生、勘定台、これらはみな借金取りのボウレイのように私には見えるのだった。 S (オ)のカタカナを漢字に改めよ。 二重傍線部a 「心をそそる」、b 「典雅」の意味を答えよ。 次の中か 傍線部①「私はまた・・・・・・好きになった」のは花火のどのようなところか。 ら選び、記号で答えよ。 ア 花火が小さいながらも鮮やかに弾けるところ。 花火それぞれに音の鳴り方や開く形に違いがあるところ。 ウお店で売られる花火に種々の名前があるところ。 花火の模様や色彩に親しみが感じられるところ。 問四傍線部②「詩美といったような味覚」とはどのような味覚か。本文中の語句を用い 七三五字以内で答えよ。 問五傍線部③「私自身を... 必要であった。」とあるが、なぜこのような贅沢が必要な のか。次の中から選び、記号で答えよ。 ア経済的に恵まれないために満たされない心を癒したいから。 イ 安っぽい花火やおはじき、南京玉だけでは不満だったから。

回答募集中 回答数: 0
物理 高校生

問題集17についてです (4)の解答で①を代入してと書いてありますが、①は切断する前の関係なのになんで切断後も使えるんですか?

14 (イ) 糸yの張力はいくらか。 (ウ)Bが板を押している力はいくらか。 16 基 水平な床から 30°傾いた斜面上に 質量mの物体Pがあり, 質量Mの小 物体Qと滑らかな滑車をかいして糸で 結ばれている。 Pと斜面の間の静止摩擦 係数を / 動摩擦係数をとし、重 力加速度をg とする。 2/3 力学 15 (武蔵工大+北海道工大) 0=v+α'tz より 141 17 等速度運動 (等速直線運動) では力のつり合いが成りたつ。 浮力 (1) Aに注目すると T=mg (2) B に注目すると F=Mg+T= (M+m)g ... ① Mg, m P 130° 浮力の公式 F=pVg より V=F_M+m 浮力は周りの流体 の密度で決まる B T pg P (3)Aは初速での投げ上げ運動に入る。 地面の座標は x=-h だから,公式を用いて T A mg (1) PQ が静止しているためのMの範囲をm を用いて表せ。 (2)味からのQの高さをおとしごととして静かに放すと 下がり始めた。Pが滑車に衝突することはないものとする。 (7)Qの加速度の大きさと、Qが床にするときの速さ よ。 か を求め (イ) Q が床に達した後,Pはやがて斜面上で最高点に達して止まった。 Pが動き始めてから止まるまでに移動した距離とかかった時間 を求めよ。 -h=vto+(-9)to gt-2 vto-2h=0 この方法を 3- マスターしたい to >0より to = 1/1 (u+vo+2gh) 9 (4) 糸が切断された後の気球の運動方程式は, 加速度をαとして Ma=F-Mg を代入して a= g えるの 公式③より v₁²-v² = 2 ah .. U₁ = 02+2mgh V M -hmm (富山大 + 横浜国大) 18 (2) 17 質量 M の気球B (内部の気体も含む)が、質量 mの小物体Aを質量の無視できる糸でつるして, 定の速さで上昇している。 重力加速度をg とし 空気の抵抗および物体Aにはたらく浮力は無視でき るものとする。 (1) 右のようになる (Mg, N などの文字は不要)。 N = Mg cos 0 だから 垂直抗力N 空気抵抗力kv B Ma=Mg sin 0-Mg cos 0-kv ...⑰ (3) 等速度運動では力のつり合いが成りたつ。 斜面 方向について Mg sino=μMg cos 0 + kv 動摩擦力 μN A .. v= Mg k (sin0-μ cos0) ... ② 等加速度 重力 3 Mg ではない (1) 糸の張力Tはいくらか。 (2) 気球Bにはたらく浮力Fはいくらか。 また,外部の空気の密度を p とすると,気球の体積Vはいくらか。 物体Aが地面からんの高さになったとき,糸を切断した。 (3) Aが地面に到達するまでに要する時間toはいくらか。 (4) 糸が切断された後, 気球がさらにんだけ上がったときの気球の速 さひはいくらか。 (信州大 ) 別解 等速度では α=0 なので, ①よりを求めてもよい。 (4) t=0では,v=0 なので抵抗力はなく, 加速度を α とすると, ①より Ma = Mg sin 30°μ Mg cos 30° ...3 一方,図2の v-t グラフでは接線の傾きは加速度を表すから ao=3 [m/s] と分かる。 ③より (Mは両辺からカットして) 3= 3-10--10-3 2 2 5√3 15 =2√3 = 0.23 有理化すると 計算しやすい (5)図より終端速度はv=4 [m/s] だから, ② を用いて

回答募集中 回答数: 0
現代文 高校生

この問題を教えて欲しいです

問題文をよく読むこと。 *句読点、「」は一字として数えます。 【1】 ないでしょうか。 次の文章を読み、後の問いに答えなさい 時間は、物のように世界の中に直接観察できるわけではありません。 それにもかかわらず 「時間はある」と言いたくなるとすれば、それはどのよ うに「ある」のでしょうか。 私たちは、「時間がある」 とか 「時間がない」 という言い方を、日常の中でも用いています。その日常的用法をヒントにしてみましょう。 時間が「ある」とか「ない」とかいう言い方は、何を意味しているでしょうか。 「時間がない」とは、時間がどんどん過ぎ去ってゆき、いろいろな出来事に次々追われているときに出てくる言葉です。だから、時間は「まっ たく存在しない」わけではありません。時間は確かに流れており、しかもめまぐるしいほどの勢いで流れ去っています。 それにもかかわらず、そこ で出てくる言葉が、 「時間がない」 という言葉なのです。 ト 逆に、「時間がある」というのはどういう場合でしょうか。 それは、忙しく物事に追い立てられている状態とは反対に、何かをゆっくりと、じっ くりとやれる時間が目の前にあると感じるときでしょう。つまりそれは、「何を、どのくらいの時間をかけてやるのかを、自分でコントロールでき るとき」であると言えます。この場合、「時間」とはある程度の長さを持った、「余裕」や「X猶予」を意味しています。これ は 「まだ時間はたっぷりとある。」 バスや飛行機など、 乗り物の出発時刻まで、まだ十分に時間はある場合、私たちはそんなふうに言います。その逆 は、「もう時間がない。」と焦っている場合です。「もう時間がない。」と言う場合、自分の意志ではどうにもならない何かに迫られて、否応なく追 い立てられている感じがします。 その違いは、自分が、自分のコントロールのもとで、何かを自由に展開できるような広がりが感じられているかどうか、という点にあるのでは 「時間がある」「時間がない」というのは、自分の生の広がりを自分の意志でコントロールできるかどうかということ、③自分が「生きる」という ことの主体的なあり方に関係していることがわかります。 そこで「時間」は、ある種の「広がり」として意識されています。 「広がり」とは、何かができる「余裕」、言いかえれば何らかの活動が展開でき る「スペース」と言ってもよいでしょう。 しかし、 「スペース」とは英語で「空間」のことです。そうなると、ここでは「時間」がある種の「空間」 として意識されているということになります。にし もう一つ、日常における「時間」との関わり方を考えてみましょう。 「時を忘れる」という言い方があります。 「時が過ぎるのを忘れて、会話に熱中した。」とか、「あまりに面白い小説だったので、時を忘れて読み耽 った。」といった場合です。 つまり私たちは、何かに没頭しているとき、時間が過ぎるのを忘れてしまう、という経験をしばしばするようです。 そのような場合、私たちは「我を忘れる」とも言います。時間を忘れて何かに没頭しているとき、私たちは「私自身」をも忘れてしまいます。 やはり、「時間」と「私」とは深い関わりを持っているようです。事 先ほど、「時間がある」というのは、自分がコントロールできるような広がりが意識されていることだと言いました。この意味での時間、つまり 「空間化された時間」 と、「ある広がりの中で起こりうる様々な出来事を支配しコントロールしうる私」とは、深い関わりを持っています。 「空間化された時間」の中で、私たちはあくせくと立ち働いています。現代において、私たちはますますカレンダー的な時間とそれによって きざまれたスケジュールに支配されるようになっています。 これは時間がますます空間化された仕方でとらえられるようになっているという ことです。時間がますます空間化された仕方でとらえられるということは、自己の支配がますます拡大し、世界を 「私が支配しコントロールするも の」として思い描くようになることを意味しています。 時間に追われる現代社会は、自己のコントロールが無限に拡大する世界であると言えそ うです。 しかし、時間とは空間化された時間に尽きるのでしょうか。⑥「空間化された時間」とは異なる時間もあるのではないでしょうか。次に、そのよ うな時間が経験される可能性を探ってみたいと思います。 す。 すでに述べたように、「空間化された時間」は、自己のコントロールしうる空間でもあります。そうだとすると、「空間化された時間」から外に出 るとき、それは自己のコントロールしうる空間から外に出ることを意味するのではないでしょうか。 例えば、時間を忘れて小説に没頭しているとき、私は、私がすべてを支配するという生き方のモードを脱け出しています。むしろ私は、小説の中 に展開される世界に、自己の支配を委ねています。 その小説が操るがままに、その世界に私自身を委ねているのです。もちろん、私が私であるとい う意識がまったく失われるわけではないですが、私の生のモードは、「自己と自己の行為を私自身がコントロールし、そこで展開される一切を自己 が支配する」というモードではありません。私は、心地よく小説の世界に身を委ねているのです。同じことが、様々な趣味への没頭にあてはまり ます。 またそのようなとき、時間が完全に止まっているように感じられる、というわけでもありません。例えば、会話に没頭して時間を忘れる体験を例 にとりましょう。会話に熱中しているとき、会話はどんどん進み、話題は尽きることがありません。会話が進み、その内容が豊かに展開していると き、当然この「進んでいること」「展開していること」の意識を私たちは持っています。 このような意味での「時間」は、忘れられていません。 一 切は止まっているどころか、極めて生き生きと動いています。この「生き生きと動いていること」も、ある種の「時間」の性格を持っているのでは ないでしょうか。 ⑥このとき、直線的なカレンダーの時間はすっかり忘れられています。 しかし他方で、私たちは眼の前で現に展開される極めて生き生きとした活 動に参加し、その豊かな動きを経験しているのです。 では、生きた時間とはどのような時間でしょうか。 少し考えてみましょう。 生き生きと動いている時間は、カレンダー的な時間の中にはありません。 カレンダー的な時間においては、過去も、現在も、未来も、同じ平面に 並んでいます。これはまさに、空間化された時間です。 カレンダーだけを見ていても、どこが現在なのかは見えてきません。どれも同じような数字が並んでいるだけです。 どの日も現在でありうるし、 過去でも未来でもありえます。 これに対し、生きて動いている時間においては、過去は現在ではないということははっきりしていますし、現在は過去ではないということ もはっきりしています。また、現在は未来ではない、未来は現在ではないということも明白です。過去はもちろん未来ではないし、未来も過 去ではありません。このように、生きて動いている時間においては、過去・現在・未来はまったく異質なのであり、同じ平面上に平等に並べ マルリッ。 六

回答募集中 回答数: 0